こんばんは。タロット占い師のなかにしゆいです。


マルセイユタロットに
「わたしにとってこのテーマをブログに書くことはどういうこと?」
と聞いたら【女帝】が出ました。


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暗い話だけど、これで心置きなく書くことができます(笑)


ではでは(前回)のつづきです。


幼いわたしが最も辛かったこと。


それは、差別と嘲笑でした。


住んでいる場所に対するいわれのない差別や


わたしやわたしの家族に対する心無い嘲笑が


幼いわたしの心を引き裂きました。


わたしが生まれ育った場所は、被差別部落と呼ばれる地域でした。


いわゆる同和地区です。
(詳しく知りたい方はググってくださいね)


今は昔と違って、そこまで偏見の目で見られてはいないようですが、存在するところでは未だに根強く存在している問題です。


そこに流れる独特の暗鬱とした空気は、実際に住んでみないとわからないもののように思います。


わたしは、親戚も含めて、地域に住んでいる横柄で下品な大人たちが大嫌いでした。


「これじゃあ嫌われて当然だわ」


「友達に見られたくない」


「恥ずかしい」


「絶対にこんな大人にはならない」



子供心に、そう思っていました。


わたしが彼らを滑稽かつ哀れだなと思ったのは、差別されていることに怒りをあらわにしながらも、自分達も同じように他者を差別し貶め、ストレスを発散していたところでした。


悲しいかな、わたしも同じ穴のムジナでした。


そうやって彼らをバカにしていたわたし自身も、差別意識が強く、滑稽極まりなかった。


穴倉の中には、綺麗なものなんて何一つありませんでした。


少なくとも子供のわたしの目には見えなかった。


そこにあったのは、憎悪と不満と悲しみの連鎖でした。


人はなぜ差別するのでしょうか。


わたしが自分の人生経験で得た答えは


「それが人間の生存本能だから」


差別することは「悪」ではない。


かと言って「善」でもない。


ただの生体機能に過ぎない。


「だから世の中から差別がなくならないんだ。


だからわたしが差別されるのも仕方のないことなんだ」



今思えば、
「そんなバカな方程式が成り立ってたまるか」
って感じですが、絶望感と虚無感に支配され、またそれが断続的に続くと、人は簡単に希望を見失います。


『わたしは愛されない』


『わたしには価値がない』


と思い込んだわたしは、すすんで牢獄の中に入り、自分の手で鍵をかけました。


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こうして「わたし」は封印され、誰からも信頼される頭の良いしっかり者の「わたし」が出来上がりました。


誰にもバカにされないように。


これ以上、傷つけられないように。


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(つづく)


今日も最後までお読みいただきありがとうございます♪


Have a good night!
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ラナンキュラス❤️