本当の自分に出会う旅 〜真の幸せを探して〜

本当の自分に出会う旅 〜真の幸せを探して〜

ずっと、生き辛さを抱えていた波乱万丈な幼少期〜30代。葛藤・苦しみ・悲しみ・不足感・孤独・不安いつも満たされない気持ちがで暗いトンネルの中みたいだった。「本当の自分とは何か?」「真の幸せとは何か?」ずっと答えを探し続けた旅のブログです。

ヒーラーの知花(ともか)です

 

サロンOPENに向けて、全力でエネルギーを注ぎたかったので、その前に、離婚という一大イベントを終了させました。

 

肩の力が抜けてすっきりと風が通った感じがしました。

 

私の場合は、23歳から36歳まで、2度の結婚・離婚・旦那の転職などで、その都度環境が変わってきました。

 

楽しい事・嬉しい事と同じくらい、辛く苦しい事があった結婚生活。

 

この貴重な体験を通して、私は多くの事を学び、沢山の感情を味わう事ができました。

 

この経験は、自分で舵をとる生き方へシフトし、自立への道ができただけでなく、

 

自由となり好きな事をして生きていく事や、真の幸せへを追求する大きなきっかけとなりました。

 

そして、その人生の経験は、様々な女性のお悩み相談やコミュニケーションを取る中で、とても役に立つ事になりました。

 

 

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2013年10月、自宅サロンがOPENしましたビックリマーク

 

必要な人が必要な時に現われる

 

当時、ホームページを教えてくれる人、パソコン作業を教えてくれる人、POPを書いてくれる人、チラシを配ってくれる人、ビフォーアフターやモデルに協力をしてくれる人など・・本当に多くの方が協力してくれました。

 

息子の保育園で、息子と私を家族のように仲間に入れてくれる友人家族も現れました。

 

そのご家族とは一緒に遊んだり、お誕生日を祝ったり、旅行に行ったり、今まで自分たちが体験出来なかった家族的な事を一緒にさせてもらえました。

 

仕事が忙しい時は、「いつでもきて良いよ!」と言って預かってくれました。

 

息子も父親がいなくなった後だったので、一緒に過ごしてくれる友人にどれだけ救われた事でしょう・・

 

私も、その家族には心から救われました。

 

感謝という言葉しか見つからないです。

 

本当に多くの人にお力をお借りしました。

 

その愛や優しさを思い出すだけで、涙が出そうになります。

 

 

人は、みな愛に溢れていて素晴らしいのだと・・最近気が付きました

 

今となれば、出会った人全ての人へ感謝しかありません。

 

この事を決して忘れてはいけないと思っています。

ヒーラーの知花(ともか)です。

 

新しい家へ引っ越しして、サロン開業準備を着々と進めていきました。

 

旦那は家に帰って来ない日も多かったですが、当時保育園の年長だった息子には

 

「パパは仕事が忙しくて、遠くに行くこともあるんだよ」

 

などと、フォローをしていました。

 

パパのことを悪く言うことは口が裂けても言えませんでした。

 

なぜなら父親と息子の関係は良くて、息子はパパが大好きだったからです。

 

なので、パパが外へ出て行く時は

 

「どこいくの?」

 

と泣きながら外まで追いかけて行った日もあり、私も息子も、おそらく彼の心もみんな苦しんでいました。

 

私は、心のどこかで「息子がいるし、また家族3人で仲良く暮らせるのではないか」という期待もありました。

 

でも、運命には逆らえず、彼は彼女から離れることはできませんでした。

 

 

知り合いの紹介の弁護士さんに相談すると、離婚をするなら「公正証書」を作る事を進めてくれました。

 

養育費や慰謝料などの取り決めをきちんとした方が良いという事でした。

 

しかし、何度か話しているうちに

 

「このまま引き下がるのも、なんか悔しいです・・」

 

こらえていた悔しさや悲しみが出て来たり、両親や子供の顔も浮かび、離婚をしないで彼を引き止める事もできないかと聞いている自分もいました。

 

最後のあがきでした。

 

普段冷静な弁護士さんが、珍しく情熱的に私に言いました。

 

弁護士:「僕は、そうやって離婚もせずに中途半端に繋がっていて、憎しみあい、傷つけあって苦しんでいる夫婦を沢山みてきました。

本当に彼を愛していますか? 一緒にいて幸せですか?」

 

「幸せに生きると決めたのなら、自分に正直に生きた方がよいです。あなたにとって優先順位はなんですか? 全てを手に入れるのは難しい事もあります。優先順位をきちんと考えてみて、答えを出してください。新しい環境になって、幸せに生きている人は沢山います」

 

とう言葉をいただきました。

 

多くの離婚問題をみてきた弁護士さんの言う言葉は、重く心に響きました。

 

離婚したくない理由は、子供の為もありましたが、彼と彼女が結婚して幸せで自由になるのが悔しい、2度目の離婚で親に合わせる顔がない、経済的に苦労するのではないか、世間体的に恥ずかしい・・・などの理由がありました。(随分と未熟者です;)

 

優先順位と考えた時に、彼の順位が高くない事に気が付きました。

 

ただの依存や執着でした。

 

私の中で優先順位が高いのは「子供と仕事」がトップ2でした

 

大好きな子供を育てながら、目標だったサロンを開業出来るだけでも幸せな事だと気が付きました。

 

そして、仕事にもっと集中したいので、彼と別れたらストレスは減るので、すっきりとした気持ちで仕事が出来るのではないか?と前向きな気持ちになってきました。

 

あれもこれもではなく、自分の優先順位を確実に大切にする

 

みんなそうやって優先順位で生きているんだと思うと、心が落ち着いてきて、離婚を決断するに至りました。

 

そして、彼にもきちんと離婚話をしました。

 

私:「もうこんな生活終わりにして、お互い好きな道で幸せに生きよう」

 

と話しました。

 

すっきりとした顔で言ったので驚いていましたが、彼も息子の事、彼女と私の間で苦しんできたのだと思います。

 

そんな環境から解放されるので少しほっとしたような顔で、

 

彼:「色々と迷惑かけてごめん。公正証書も書いて、2人のフォローはこれからもするし、出来る事はする」

 

と言ってくれました。

 

良い形で別れることができて、これで良かったのだと思いました。

 

そして、彼女とも電話で連絡を取りました。

 

渡す:「離婚を決めたので、彼をどうぞよろしくお願いします」

 

という話をしました。

 

彼女:「まだ彼の事を信じているわけではないし、離婚しても私達もどうなるか分からない。」

 

という意外と不安そうな感じでした。

 

私:「そこは2人の問題なので、頑張ってください」

 

という話をして、彼女とも和解をして終わりました。

 

1年半という戦い、長い問題がやっと解決しました。

 

肩の荷が降りて、すごくほっとしたのを覚えています。

 

 

両親にも離婚については話して理解してもらいました。

 

ただ、サロン開業に対しては、反対でした。

 

親:「東京に帰ってきて正社員の道でも探したら?」

 

などとずっと言い続けていました。

 

私:「大丈夫だから、心配しないでほしい、福岡で場所も見つけたし、ここの土地も気に入っているから」

 

親に納得は最後までしてもらえなかったけど、気持ちがブレる事はなかったです。

 

シンブルマザーとして生きていく覚悟と責任を持ちながら、

 

自分の真の幸せに向かって

 

心機一転、新たな旅立ちでしたはね

 

 

ヒーラーの知花(ともか)です

 

今から6年前、当時35歳1児の母、サロン開業にむけて準備を始めました。

 

家も決まり、どんなサロンにしたいかというイメージが具体的になってきました。

 

まずは、自宅サロンになるので「女性専用サロン」にしようと決めました。

 

男性は、指名客になってくださる方も多かったのですが、一部の方で恋愛感情を頂いたり、性欲がどうしてもセーブが難しい方も居たので、避けた方が良いと感じました。

 

次に女性相手なので、女性の悩みに特化した「美と癒し」をテーマにしたサロンにしようと思い、あまり得意ではないフェイシャルやリンパマッサージなどを強化するために、またスクールに通い始めました。

 

リラクゼーションサロンで週に4日ほど仕事をしながら、合間にエステのスクールに半年間は通っていたと思います。

 

その他、HP(ホームページ)の作成を始めました。

 

以前、妊婦の時に体験した内職詐欺でのHP作成の知識が役に立ちました!

 

しかし、本格的にHPを作ったのは初めてなので、大苦戦して1つのHPを作成するのに3ヶ月は掛かりました。

 

特に始めは試行錯誤なので、内容の変更など頻繁だと思ったので、プロにお願いすることは考えませんでした。

 

実際に、現在3つのHPを運営していますが、イメージや内容などが自由に作れて、自分で出来て本当によかったと思います。

 

そして、いよいよ新しい自宅へ引っ越しをして、本格的に準備することになりました。

 

引っ越し費用は、以前の引っ越しから1年ちょっとしか経っていなかったので、貯金も少なくて相当キツかったです。

 

貯めていた「金」を売ったり、それでも足りなくて学資保険を解除したり、内職したり、なんとか資金をかき集めたのを覚えています。

 

 

引っ越し後は、お部屋作り、カルテ、メニュー表、チラシの作成、ポイントカードやPOPなどの作成などに力を入れました

 

色々と作るのに、「ラベルマイティ」というソフトがとても役に立ちました。

 

 

引っ越し準備、サロン準備と忙しい中、旦那はあまり帰って来ない日多く、彼女の家と家を行ったり来たりしていました。

 

そこで別れるにも、どういう条件で別れたらいいのか分からなかったので、知り合いの紹介の弁護士に相談をしてみる事にしました。

 

ヒーラーの知花(ともか)です


以前の私は、苦労したり、犠牲になったりする事が癖で、自分を愛する事や大切にする事が出来ませんでした。

 

しかし、それが、子供に悪い影響を与えていると分かった以上は、自分を変える必要がありました。

 

その為には、まずは「自分が幸せになる決断」そして「1人でも子供を育てる」という「自立への覚悟」をしました。

 

子供を1人で育てるというのには、もちろん不安もありました。

 

しかし、例えシングルでも、お母さんがいつも笑っているような幸せな家庭を作れば、子供も安心して暮らせるはずです。

 

その為に、生活費としては、雇われているだけでは難しいのはすぐに分かりました。

 

道としては、目標にしていた「自宅サロンを実現するしかない!」と、思えたので、フル回転で動き出しました。

 

まずは、物件探しからスタートしました。

 

イメージしていたような物件で、駅が近く1階で、入口が二つある場所が見つかり、物件を見に行くと、そこには私の大好きな薔薇が庭に沢山咲いていました。

この庭があったら、子供が遊んだり、私の好きなお花を育てたり、いずれ犬も飼う事もできるかも?!・と思いワクワクしました

 

お部屋の作りもばっちりで、プライベートとサロン部屋を2部屋ずつ半分に分ける事が出来て、真ん中は扉で仕切りになっていました。

 

まるで、私を迎え入れてくれているような気がして運命を感じました。

 

「ここしかない!」

 

そう確信で思えた私は、

 

「ここでサロンをして、子育てをしながら生活をしていくので、この物件が欲しいです」

 

そう旦那に話して説得をし、住宅の購入をお願いしました。

 

その時はまだはっきりと離婚するかどうかは決まってなかったのですが、もしも仲良く戻って家族3人で暮らしても良いし、別れてシングルになっても良いし、どちらに転んでも良いように・・と、そこは気持ちを軽く考えました。

 

そして、なんとかギリギリでしたが、ローンを組む事が出来て、無事に環境が手に入りました。

 

引っ越し・サロンの計画・HPやメニューの作成、着々と準備を進めました。

 

準備をしているうちに、悲しんだり、恨んだり・・という、彼への嫌な感情や執着の時間も減っていきました。

 

もし、お付き合いしている彼女と本気というなら、いつまでもしがみ付いていないで、応援して別れよう・・という気持ちになってきました。

 

不安や心配も少しはあるけど、それよりも、夢が一つ叶うという前向きな気持ちやワクワクの方が上回りました。

 

よく考えたら、8年間で5回も引っ越しをしていました。

 

コロコロ変わる環境や、人に振り回される人生を辞めて、安心して自分のやりたい仕事、生きたい道を生きよう・・!

 

そして必ず幸せになろう・・!

 

 

ヒーラーの知花(ともか)です。

 

旦那の浮気が分かって、彼に問い詰めたところ、そこは認めました。

 

そして、「彼女とは本気ではない、別れた」と嘘をついて、彼女と時々会っていました。

 

もう大丈夫だと安心していた矢先に、また浮気が見つかる

 

そんな事を繰り返し、私は彼を信頼出来なくなっていました。

 

本当に別れた時もあったみたいですが、彼は彼女となかなか離れる事が出来ず、エスカレートして、2人は半同棲生活を始めたのです。

 

イライラや怒り・悲しみは増し、今思えば、その時の自分は不幸そうな顔をして、笑顔が少なかったのではないかと思います。

 

私は情緒不安定で、突然涙が出る時もありました。

 

こんな事を東京にいる親には絶対に言えませんでした。

 

2回目の結婚で福岡にまで来て、また辛い目に合っていると分かったら、怒ったり、心配するのが目に見えていたからです。

 

とにかく自分が我慢すれば良いのだと思って、感情を押し殺していました。

 

そして、大好きな息子(当時5歳前後)の前では、明るく振る舞ってごまかしていました。

 

しかし、ある日、私をみて息子が言いました。

 

息子:「なんかハートが痛い、チクチクする」

 

私:「どうしたの?何があったの?」

 

息子:「わからない、けど、ハートが痛い・チクチクする」

 

 

その時、やっと気が付きました。

 

私が、日々辛い気持ちでいる事が、全部伝わっているんだ・・・と

 

この嫌な感情が、子供に影響を及ぼしているという重大さに気が付いたのです。

 

 

「このままではいけない」

 

もう、こんな気持ちやこんな生活は終わりにしたい

 

 

息子の為にも・・

 

私は心から笑って「幸せに生きないといけない」

 

今のままでは、いけない

 

そう思った私は、

 

重たかった腰を上げて、いよいよ「幸せを探す旅」と「自立」へ向けて、行動を起こし始めました。

 

 

 

こんな感じで、以前の私は、心理学の交流分析でいう「犠牲者のゲーム」「苦労性のゲーム」をしている事が多かったと思います。

 

また、観念として「男はダメな生き物」「男によって苦労する」「自分が頑張らないといけない」

 

という思い込みを根強く持っていたので、いつも思い込みを証明するような同じような現象で苦しんでいたのです。