うちは新聞記事を読むのは私だけで
パパは見てもテレビ欄かスポーツ欄、競馬のG1レース表くらい
新聞のない環境で育ったから新聞を読む週間が全くないんだよね・・・
けど私がSLEを発症し日に日に悪くなって
家では半寝たきりのような状態になってからは
新聞はただ毎朝届く「紙」でしかなくなり・・・
その後私は入院
入院中
治療は「毎日薬を飲むこと」だから体が元気になってくれば暇かもしれないと
入院して少ししてから主治医に言われ
家族が本を持ってきてくれたりもしたんだけど
大量のステロイド治療のせいなのか
書類くらいはちゃんと目を通せても
「活字」を読む
ということがあまりできなくなってて
読んでも集中力が全くなく
いつの間にか「活字」から目を背けるようになってました
それは退院してからも変わらず
だから
新聞を読む者が誰もいなくなり
ただただ山積みになっては捨てる
というもったいないことばかりが続き
新聞購読をやめてしまいました
それから2年
ステロイドの減量が進むにつれ
自然に本も少し読むようにもなり「活字」にまた触れるようになってきて
だから感じるようになったのかもしれないけど
新聞はなくても今はテレビだけでなくネットでもある程度社会的なニュースや大きな経済のニュースは耳に入ってくるけど
経済といってももっと身近なニュースは新聞の方が入って気易い感じがして
新聞読みたいなぁと思うようになってました
(これもある意味回復という進歩だよね)
まだ元気で仕事をしていた頃
私は20人規模の小さな建設会社の経理、労務、総務を
一人で担当していました
経費削減は徹底していたので会計ソフトも給与計算ソフトも入れてもらえず全て自分でエクセルで計算式を入れて試算表や給与台帳などあれこれ作って効率を上げ
決算も決算書作成手前までの決算整理までが私の仕事
もちろん資金計画や預金や手形など会社のお金も管理もしてました
労務は給与計算、年末調整、社会保険・労働保険関係全てをやっていて
文書作成や就業規則等の書類、安全書類など
なんでも屋さんでした
直属の上司が会長であったこともあり職務的にもそうですがいつも世の中の動きも把握していないといけないところもあったので
毎日新聞を読むことも仕事の一つみたいなものだったんですよね
会社は残念ながら東日本大震災の影響を受けて解散となってしまいましたが・・・
やっぱり新聞読んでないとさらに社会から遠ざかっていくような、置いて行かれるようなそんな気持ちになり
パパはなきゃないで困ることもないし別にいらないんじゃない?と言ったりもしてたけど
また購読を始めました
新聞ある生活はやっぱりいいです
広告見るのも楽しいし
仕事は好きな方だから本当は働きたい
就労許可も一昨年12月に条件付きだけど出ていて
それは今も変わらない
でも・・・
去年夏に知的障害者自立支援施設の経理事務に病気を分かっての採用を頂いて
それは本当にうれしくて私なりに一生懸命頑張ってたんだけど
けど入って2ヶ月を過ぎた頃から私のいた本部の次長から毎日のように
病気がどうした?治す気がないから治らないんだとか母親のくせに病気になるなんておかしいとか色々
挙げ句に社会復帰したいって言うから雇ってやったんだ
などと酷いパワハラに遭ってしまい、さらに上司の事務局長の経理を見るにはあまりに素人すぎるハチャメチャな考えにも疲れ果てていて体調もどんどん悪くなって心もボロボロになって1月に辞めてしまったの
そんな事がなければずっといたかったんだけどね・・・
仕事してた事業所が福祉事業所であったが故にそのショックは表現しがたいものがあり
今でもその事がトラウマになっていてなかなか社会に戻る勇気が出ずにここまできてしまっていて
けど新聞が私に「社会」を思い出させてくれてるのか
せっかく積んできたキャリアをムダにしたくないってふと思うことがあって
「また仕事したいなぁ」
って思う自分も少し出てきてます
まだ臆病な自分と前向きな自分が混在していて
臆病な自分が今はまだ足を引っ張ってるかなって感じですが
また社会に出たいという自分のために
税制改正等動きをちゃんとキャッチして勉強して把握しておきたいと思い
今は毎日新聞を見るのが私の日課になってます
なんでもいいから
少しずつ
これも私にとっては一歩前進
いつも希望という力をもらってる歌
10000回ダメで へとへとになっても
10001回目は 何か変わるかもしれない
****
10000回ダメで 望みなくなっても
10001回目は来る
きみを呼ぶ声
力にしてくよ 何度も
明日がその
10001回目かもしれない
(by Dreams Come True
)
がんばりたい
パパは見てもテレビ欄かスポーツ欄、競馬のG1レース表くらい
新聞のない環境で育ったから新聞を読む週間が全くないんだよね・・・
けど私がSLEを発症し日に日に悪くなって
家では半寝たきりのような状態になってからは
新聞はただ毎朝届く「紙」でしかなくなり・・・
その後私は入院
入院中
治療は「毎日薬を飲むこと」だから体が元気になってくれば暇かもしれないと
入院して少ししてから主治医に言われ
家族が本を持ってきてくれたりもしたんだけど
大量のステロイド治療のせいなのか
書類くらいはちゃんと目を通せても
「活字」を読む
ということがあまりできなくなってて
読んでも集中力が全くなく
いつの間にか「活字」から目を背けるようになってました
それは退院してからも変わらず
だから
新聞を読む者が誰もいなくなり
ただただ山積みになっては捨てる
というもったいないことばかりが続き
新聞購読をやめてしまいました
それから2年
ステロイドの減量が進むにつれ
自然に本も少し読むようにもなり「活字」にまた触れるようになってきて
だから感じるようになったのかもしれないけど
新聞はなくても今はテレビだけでなくネットでもある程度社会的なニュースや大きな経済のニュースは耳に入ってくるけど
経済といってももっと身近なニュースは新聞の方が入って気易い感じがして
新聞読みたいなぁと思うようになってました
(これもある意味回復という進歩だよね)
まだ元気で仕事をしていた頃
私は20人規模の小さな建設会社の経理、労務、総務を
一人で担当していました
経費削減は徹底していたので会計ソフトも給与計算ソフトも入れてもらえず全て自分でエクセルで計算式を入れて試算表や給与台帳などあれこれ作って効率を上げ
決算も決算書作成手前までの決算整理までが私の仕事
もちろん資金計画や預金や手形など会社のお金も管理もしてました
労務は給与計算、年末調整、社会保険・労働保険関係全てをやっていて
文書作成や就業規則等の書類、安全書類など
なんでも屋さんでした
直属の上司が会長であったこともあり職務的にもそうですがいつも世の中の動きも把握していないといけないところもあったので
毎日新聞を読むことも仕事の一つみたいなものだったんですよね
会社は残念ながら東日本大震災の影響を受けて解散となってしまいましたが・・・
やっぱり新聞読んでないとさらに社会から遠ざかっていくような、置いて行かれるようなそんな気持ちになり
パパはなきゃないで困ることもないし別にいらないんじゃない?と言ったりもしてたけど
また購読を始めました
新聞ある生活はやっぱりいいです

広告見るのも楽しいし

仕事は好きな方だから本当は働きたい
就労許可も一昨年12月に条件付きだけど出ていて
それは今も変わらない
でも・・・
去年夏に知的障害者自立支援施設の経理事務に病気を分かっての採用を頂いて
それは本当にうれしくて私なりに一生懸命頑張ってたんだけど
けど入って2ヶ月を過ぎた頃から私のいた本部の次長から毎日のように
病気がどうした?治す気がないから治らないんだとか母親のくせに病気になるなんておかしいとか色々
挙げ句に社会復帰したいって言うから雇ってやったんだ
などと酷いパワハラに遭ってしまい、さらに上司の事務局長の経理を見るにはあまりに素人すぎるハチャメチャな考えにも疲れ果てていて体調もどんどん悪くなって心もボロボロになって1月に辞めてしまったの
そんな事がなければずっといたかったんだけどね・・・
仕事してた事業所が福祉事業所であったが故にそのショックは表現しがたいものがあり
今でもその事がトラウマになっていてなかなか社会に戻る勇気が出ずにここまできてしまっていて
けど新聞が私に「社会」を思い出させてくれてるのか
せっかく積んできたキャリアをムダにしたくないってふと思うことがあって
「また仕事したいなぁ」
って思う自分も少し出てきてます
まだ臆病な自分と前向きな自分が混在していて
臆病な自分が今はまだ足を引っ張ってるかなって感じですが
また社会に出たいという自分のために
税制改正等動きをちゃんとキャッチして勉強して把握しておきたいと思い
今は毎日新聞を見るのが私の日課になってます

なんでもいいから
少しずつ
これも私にとっては一歩前進

いつも希望という力をもらってる歌

10000回ダメで へとへとになっても
10001回目は 何か変わるかもしれない
****
10000回ダメで 望みなくなっても
10001回目は来る
きみを呼ぶ声
力にしてくよ 何度も
明日がその
10001回目かもしれない
(by Dreams Come True

がんばりたい