人って褒められると嬉しいですよね



自分の子供たちがいいことしたり、出来なかったことができるようになると、


大袈裟なくらい褒めてあげます。


子供たちが褒められて喜ぶのが親としては嬉しいものです。



今日は承認欲求について以前考えたことを書いていきます。



なぜ人は褒められると嬉しいのでしょうか?


褒められり、認められたりすると、よっしゃ!という気分になります。


人によるかもしれませんが、自分はなります。



マズローの5大欲求でしたっけ?

また、うろ覚えな知識ですが、認められたいという気持ちは承認欲求と言われていて、


3大欲求である食欲性欲睡眠欲が満たされたうえで、満たされたいと思うものらしいです。


たしかにお腹がめちゃくちゃ減ってたら、ものすごく眠かったら、承認欲求は起きないですよね。



さて、この承認欲求ですが、なぜ起きるのか自分なりに考えました。


というのも、一緒に仕事をしている後輩が、仕事のやる気が起きないです、まじ仕事したくないっす、と


ぼやいていたので、じゃあこの後輩の承認欲求をうまく満たしてあげれば、仕事を意欲的にするようになるのでは?と思ったのがきっかけです。



自分なりの結論を述べてしまいますと、


以前欲についてブログに書きましたが、人が生きるために必要なものが欲として出てくると考察しました。


つまり、承認欲求もその人が生きるために必要なものなのではないでしょうか。


承認、認めてもらい、他人から自分が必要とされることに快感を覚えているわけです。


当たり前の話ですが、人は1人では生きていけず、社会という中でいきています。


今着ている服や住んでる家、歩いている道、お水を飲む時の水道などなど、


すべて他人の仕事によってもたらされていますよね。


なので、今の生活は1人では成り立たず、社会によって今の生活ができています。



その社会で、お前はいらない、必要ない、となってしまったらどうでしょう。


仕事はなくなりお金もなくなり、娯楽や衣食住がまともに手に入らなくなってしまいます。

これだと生きていけないですよね。


なので、人に必要とされる≒生きていける、というのが成り立ち、


必要とされる=承認欲求、となるのではないかと考えました。



少し話戻りまして、

仕事にやる気のでない後輩のやる気を出させるために、例えば、


少し大変な仕事を与え、できるように目を配り手をかけ、仕事ができたときには、君は必要な人間だ!ありがとう!と、


承認欲求を満たす。これがいいのかもしれません。褒め方が難しいですけどね。


子供たちにも言葉に出して、いてくれてありがとう!ずっと一緒にいてほしいよ!など、声をかけてあげるのもいいかもしれません。


承認欲求、うまく使いこなしていきたいものです。