小学生の時、無性に死ぬのが怖い時期がありました。


夜寝ようとすると、死ぬとどうなるのかが気になり、不安になってしまい、寝れなくなる、というものでした。


結局は、気にしないようにして、寝るときは別のことを考えるように努力し、いつのまにか死ぬことを考えないようになりました。


みなさんにもそんな経験ありませんか?



社会人になって考える力がついてきた時に、改めて死ぬことについて考えましたので、ここに書いていきます。



死ぬとどうなるか?


古今東西色んな説が考えられて宗教の教えなどでも説かれていますが、唯一解はおそらくないですよね。


だって、死んでしまったら、それを教えようにも教えてられないのですから。


なので、死ぬことに関する説は色々あるわけで、色んな人が考えるテーマです。


自分なりには、唯一解はありませんが、辛い時死にたいと思う時は下記のように考えて、ポジティブに気持ちを持って行くようにしてます。



死ぬとどうなるかは分からないけど、

今見ている世界は、あるところにいる自分が目というモニターを通じてフルダイブしているように見ている世界で、


自分というRPGをゲームしているので、今辛くても最終的には良い方向になって、ハッピーエンドになるんだ、


という考えです。


昔読んだ本にこれに近い表現があって、その当時はこれにかなり感化され、自分なりに考えを深めました。



少し話が飛びますが、

昔の哲学者でデカルトさんという方がいて、

方法的懐疑、を提唱してました。


専門家ではないので、ざっくりとした記憶をもとに書きますが、


方法的懐疑とは、否定できる部分がある事柄は、すべて怪しいので真実ではないかもしれない、

という考えです。


これを突き詰めると、

これについて考えていること、というのは疑いようもない事実であり否定できる余地がないので、


これを考えている自分は真実だ、ということです。この考えが、我思う故に我あり、につながっています。


※たぶんこんな感じだったと思います。違ってたらごめんなさい。



これを応用すると、

自分が見ている世界は現実ではなくゲームのようなものだ、


という自分の考えは、否定できる部分もありますが、すべてを否定できるものではないため、真実である可能性があると思われます。



なので、その可能性があるという気持ちをもって、辛い時に、結局ハッピーエンドに向かっている可能性があるんだ!と思うことで、


気持ちが軽くなる、という寸法です。

言い聞かせのようなものでもありますが。



運命とかはあまり信じていない口なのですが、

ご都合主義万歳!で行ければ、結局人間は気持ちの生き物なので、楽しくいけるかもしれませんね。


うん、明日からまた仕事頑張ろう!笑