最近やっぱ書評とかって大事だよなぁって結論に至りまして、できるだけ書いていこうということで今回は「王とサーカス」について自分の思ったことをつらつらと書いていこうと思います。

 

 

本書は米澤穂信先生の作品でして、確か「このミス」にも選ばれているものだったと記憶しています。あらすじはざっとこんな感じ。

 

主人公の太刀洗万智がネパールでの取材最中に王族の殺害事件が発生、万智は急遽その事件を取材することになる。王宮で働く軍人に話を聞けることになったのだが翌日その軍人は殺害されてしまう。ネパールの貧困層の子供たちの現状や、記者とはただその事件を取り上げ、サーカスにしてしまうだけの迷惑な職業なのかといった社会問題も取り上げている作品です。

これからは結末も含めた感想になるのでまだ見ていない人はご注意ください。

 

この作品を見てふと思い出したのは去年受けた社会学の授業。人はメディアからのニュースを見て、考え、判断するが、それは「語られた歴史」である。何かを語ることはそれと同時に何かを書かないことでもあり、「忘却された歴史」が存在することなのだ。

例えば核兵器。「ヒロシマ」,「ナガサキ」に象徴されるように敗戦国の日本はいわば「被害者」としてそして平和を希求する国として世界を代表することになった。しかし日本が植民地支配をしていたことも事実であり、「被害者」の面を強調することによって「加害者としての歴史」が忘却されてきたのも事実だということ。

いろんなメディアがあふれている中で決して記事そのものをうのみにしてはならないと教わった授業でした。

 

本書ではメディアを書く側からの視点を描いていて、「なぜ記事を書くのか、書かなければならないのか」に焦点を当てて描かれています。王族の殺害事件と軍人の殺人は何かつながりはあるのか。もちろん事実だけを伝えて考察を他人に任せることはできる、注目もされるし、大金も稼げるだろう。何せ王家の陰謀論に結び付けられるのだから。しかし記事をそんな安易に扱ってはいけないという、メディアの本質に対し警鐘を鳴らす作品だと思います。

 

個人的な感想として、題材としてはとても魅力的なのにその一つ一つの内容が薄い、押しが弱いと感じた作品でした。王族の殺害事件と陰謀論についてもっと言及し、深く深く掘り下げたところで最後のどんでん返しにすれば、サガルの最後の場面はより衝撃的になったはずだろうに・・・。

 

なぜ記事を書くのか、それは僕も本書に同意する。少しでも完成に近づくために書く。あえて付け加えるなら世間の関心というコンパスの針を少しでも良い方向へ促すために書かれなければいけないものだと思う。

 

愚痴も少しありましたが、それでもメディアについて改めて考えるにはよい機会を与えてくれた本でした。