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みよログ

小山市議会議員 ひじかた美代のブログです。

「想い」「聴く」「伝える」

現在は、先祖からの授かりもの、未来は子供達からの預かりもの。
私は、皆さまの目に見えない想いを、目に見える形にするために、全力で働きます。

土地家屋調査士会と心のケアセンターみやぎに訪問


8月6日、仙台は七夕祭りで賑わい、笑顔と熱気に包まれた様子を伺うと、ほんの4年前に、あの未曾有の震災があったとは信じられないほど、町は彩りを取り戻していました。

しかし、一歩離れた海岸沿いは、津波の傷跡がまじまじと残り、無機質な重機が黙々と作業を繰り返す。すべてが流され更地になった土地の真ん中に道路だけが走り、土砂を積んだダンプが土煙を立てながら次から次へと往来する。景色がモノクロ写真に見えた。そんな感想を正直抱きました。

今回お話を聞きに伺ったのは、宮城県土地家屋調査士会の震災当時の会長さんでした。

私たちは防災に関して、どのように準備しているのでしょうか?
防災マニュアルをつくる。防災グッズを用意する。避難訓練をする。
指揮系統を整え、連絡網を確認する。

これらのことに対し、会長さんからひと言。
「どれも素晴らしいことですが、すべて自分たちが無事であることが前提に作られていますね。もし指揮系統のトップ(市長)や幹部役員の半分が被災者だったら、そのマニュアルは機能しますか?役所の職員自体が被災者だったとき、あなたは今すぐ役所に集合しなさいと命令できますか?連絡網を作っても携帯電話がつながらない、連絡が取れない場合はどうしますか?防災グッズを買っても、押し入れや物置の中に保管していた場合、その扉が開かなかったり、崩れて取り出せないときはどうするのですか?避難訓練、避難場所が消失したり、壊滅的被害が出ていた場合、第2・第3の候補地は確保されていますか?震災とは、絶えず想定外のことだらけです。だから平時の時につくったマニュアルは半分しか役に立ちません。」

正直、何も言葉がありませんでした。

確かに、自分たちが無事で、電話がつながることが前提で、避難場所まで道路がつながっていると信じて疑わずにマニュアルをつくっているからです。

重ねて会長がこう言われました。
「どんなに素晴らしい防災マニュアルをつくっても、あなたはすべてを読み、頭に入っていますか?何百ページにもおよぶ分厚い規定をつくって書庫に眠らせていては意味がないのです。震災が起こってから、それらを読むことは物理的に不可能だからです。一番大切なのは、平時の時から仲間やご近所と、ちゃんとコミュニケーションをとって生活してきたかどうかなのです。震災が起こったから絆が生れたわけではありません。震災前から信頼関係を築いてきたからこそ、問題に対処し、乗り超えられるのです。」

言葉が重く、心に突き刺さりました。

では、防災として市民が取り組むべきことと、私たち議員が取り組むべきことは何なのでしょうか?こんな愚問に対し会長は、
「市民のみなさんは常日頃から人と関わり、信頼関係を築くことです。一朝一夕には絆は生まれません。その絆こそが復興の原動力になるのです。そして、議員の皆さんに求めることは、迅速な決断力とそれに伴う覚悟です。その瞬間瞬間に判断し、決断を迫られることがほとんどです。後になって、結果論としてその判断が良かったのか悪かったのか問われます。それでも、悩んで何もできない議員では意味がありません。憎まれる覚悟をする。それでも決断し、行動する。それが議員の仕事です。」

今回お話を伺って、私自身、物理的なハード面ばかりに気を取られ、本質的なソフト面を二の次に考えていたのだと気づかされました。

深々とお辞儀をし、新たな課題を胸に次の視察先に向かいました。

次に伺ったのは、みやぎ心のケアセンターさんでした。

こちらは、震災後のこころの傷(トラウマ)からの回復を支援している団体です。
こころの傷は目に見えません。被災者の中には、その傷を打ち明けられる人、一人で抱え込む人、お酒で紛らわす人、うつ病になり薬で治療を受ける人、様々です。

しかし、この様な方々の多くは、決して震災のせいで発病したのではなく、震災前から内在的に芽をもっていて、震災は、発症のきっかけでしかないとおっしゃっていました。
続けて話されたのは、トラウマからの脱却は、震災前からの社会的な関わり方、人との信頼関係、そこから生まれる地域の団結力にかかっているのだと。

「人は孤独には耐えられますが、孤立には耐えられません。」

しばらく沈黙が続きました。

ここでも私は、物理的なハード面ばかり考えていたのだと気づきました。支援者の確保は?心理療法士の派遣数は?センターの立ち上げと、ランニングコストは?行政と民間との棲み分けは?相談窓口の開設は?・・・
用意していた質問が言葉になりませんでした。

人を癒せるのは、人だけなのです。
もちろん救援物資である毛布や食料、仮設住宅は必要ですが、なによりも大切なのは人の心に寄り添う「人」そのものなのです。


私達、被災地以外で暮らす人々にとって震災の記憶は時間と共に風化傾向にあります。
栃木県内にも被災地から移住してきた多くの方々がいます。私たちが震災の痛みを忘れつつある平穏な生活の中で、雑踏に紛れ、一人孤独に傷と向き合っている人々がいます。そんな方々を孤立させないためにも、いろんな人とふれあい、地域の絆を深め、よりよい人間関係の構築に一層励んでいかなければならないと思いました。

最後に、今回協力してくださった、宮城県土地家屋調査士会様とみやぎ心のケアセンター様に心からの感謝と、併せて、自身の今後の活動を通して「想いには、想いで応えていきます」とお約束し、お礼の言葉とさせていただきます。


ひじかた美代 ⇒ http://hijikata-miyo.com