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自分を知り、自分を信じる事だよ
私は、自分の事をどれだけ知っているんだろう?
身長、体重、3サイズ、好みの食べ物、学歴、職業
性格傾向、得意分野、趣味
履歴書に書くような事は分かってるが
それだけが、私?
ううん・・・違う。
それじゃ、私って、どんな人?
友人は、私の事をそれだけ知っているんだろう?
夫は?
妻は?
子供は?
母親は?
父親は?
上司は?
部下は?
子供は私の事を優しいと言う
上司は私の事をしっかりした社員だと言う。
母親は私の事を冷たいと言う。
父親は私の事をだらしが無いと言う。
みんな、言う事が違うじゃん・・・。
ってな経験、ありませんか?
ジョハリの窓という言葉を聞いた事があるだろうか
本来の使い方とは違う使い方をして説明するのだけど
自己には、「② 盲点の窓」と「④ 未知の窓」が
存在している事になる。
どんだけ訓練しても
②と④の領域を無くす事は不可能だと思いませんか?
つまり、どんなに頑張っても
自分の知らない自己というのは存在するということ。
他人から見た私と
私が思っている私とでは
必ずギャップがある。
それは、価値観や評価の基準が
人其々で違うから。
自論の極論を言えば
自分が知らない自分があっても
生きていける。
ただ、社会生活に於いて
人知れず苦悩する場面が増えるくらいかと。
ま・・・悩める本人にとっては
そこが知りたいところなんだけどね・・・。
では、どうやって自分を知るのか?
自分を知る心理学系のツールは
恐ろしく多く存在している。
それでは、それらのツールを使えば
自己が分かるというのだろうか?
答えは、勿論、NO なのだ。
ソクラテスさんも
ユングさんも
自分とは???
という永遠の課題に取り組み続けたけど
未だに誰もこの答えを持ってはいないのだ。
う~ん・・・
理屈をこねるのは
この辺にしておいて・・・(笑)
よく言われる
「自分の事は棚に上げて」という言葉
分かっていて棚に上げているのと
全く分かってなくて棚に上げているつもりもないのでは
行って来る程の違いがある。
分かっていて棚に上げている場合は
そこを指摘されても
「そうなんだよね」と答えられる事が多いけど
分かっていなくて棚に上げている場合は
そこを突っ込まれると
怒るか、否定するかの反応を示す事が多い。
ただ、大事な事は
指摘された事が、全て正解ではないと言う事。
他人が見ている私は
あくまでもその固有の相手から見た私であって
他の第三者から見た私は全く別の私である場合があるのだから。
だから、自分以外の他者から
「あなたって、こういう人よね」と言われても
それを受け取るも受け取らないも
選択する事ができるということなのです。
大切なのは、
悪意のある批判を
そのまま、自分ってそういう人間なんだと受け入れてはいけない
という事なのです。
自分を知る事についての
師の教えは
「あくまでも、反応でしか判断する事しかできないんだよ。
こういう場面では、多くの場合、自分はこういう反応を示す。
何故、そういう反応を示す事が多いのか
日常の中で自分で考えてみる。
そうすることによって、見えてくるものもある。
自分を知ると言う事は
生きている限り永遠に続くもので
それが生きているという事なんじゃないでしょうかね」
というところにいつも落ち着くのだけどね(笑)
この業界で仕事をしていると
年寄りが好きなのが当然・・・みたいな考えを持つ人に出会う。
自分だけ勝手に好きでいてくれれば害は無いのだが
私にまで、それを強要しないで欲しい。
私は、年寄りフェチでは無いので。
保母さんとかになる人は
子供が好きだから、この仕事を選びました的な発言をされる事があるが
それは、相手が子供だから許される発言なのである。
日本人の概念として
子供=可愛い
が、成立しているからである。
しかし・・・最近は、この概念も崩れつつあるが・・・。
高齢者≠可愛い
高齢者で可愛い人ってのは、実際に存在するが
あまり多くは存在しない。
この業界で、高齢者が好きだから、この仕事をしているという人は
要介護状態の高齢者=可愛い
なだけだろうと私は思ってしまう。
健常な、もしくは、病気や障害があっても自立した生活を送っている高齢者を
対象にしての答えでは無いように感じるのである。
もしくは、子供の頃、自分の身内のおじぃちゃん、おばぁちゃんが好きだった
という感覚からくる「好き」なんだろうと思うのだ。
福祉分野は、
乳幼児、学童、障害児、障害者(身体、知的、精神と細かく分かれている)
難病、貧困・・・等々細かく分かれているうちの
高齢者福祉を選ぶ人が多い理由は
単純です。
働く施設等が、一番多いから。
障害を持つ人相手に真剣に向き合って仕事をしたら
自分の身が持たないかもしれない。
難しそうだし。
でも、高齢者なら、いつか、自分もなるし
身近にいる存在だから、手っ取り早い。
ヘルパーの資格も簡単に取れる。
全行程の授業に出席さえすればいいだけだし。
こういう意識で高齢者福祉に携わる人が増えている。
面接で、
「高齢者が好きですか?」と、訳の分らん質問をされると
とりあえず、考えたことも無いから
「はい」なんて、返事をしてしまう。
まぁ・・・
そんなもんですよ・・・。
そこを見抜けずに、
「年寄りが好きだから、この仕事をしてるんだろう」
なんて言われた時は
「年寄りが好きな訳じゃありません。
何も高齢者に限定する必要も無く
人間が好きなだけです」
と、答えるようにしているんだが
厳密に言えば、それも違う。
どんなに努力しても
この世の中には、大っ嫌いな相手がいる訳で
勿論、担当している利用者さんとか家族でも
苦手なタイプがいるのですよ。
聖人君子でもなけりゃ
天使でも神様仏様でも無い
ただのオバサンですからね、私は
「子供が好き」は、
女性が発言すると、優しい人に思われやすく
男性が発言すると、子煩悩で家庭的と思われる。
「年寄りが好き」も、同じ感覚なんだと思う。
「女が好き」と、
男性が言ったら、当たり前の自然な事であるにもかかわらず
変な目で見られ兼ねない。
女性が言ったら、もっと変な目で見られる可能性がある。
「中年が好き」と、
男性が言ったら、オバサンキラーかと思われるかもしれない(笑)
「青年が好き」と、
女性が言ったら、色情だと思われるかもしれない(爆)
まぁ・・・何が言いたいのかと言うと
年代や性別に関係なく
自分と同じ人間として
年老いた人に対しても、
大事に思っているから
この仕事をしている。
ということ。
嫌いな年寄りも中にはいるが
好き嫌いでは無く
一人の人間として、
一つの命として
残された人生の時間の中に
一緒に居させてもらう
ただ、それだけのこと。
小規模多機能型居宅介護におけるケアマネジメントの視点
ケアマネジメントの視点
居宅のケアマネジメントと流れ的にはほぼ同じ。
契約⇒アセス⇒原案作成⇒担当者会議⇒本案作成⇒説明・同意・交付
⇒サービス実施⇒モニタリング⇒ミーティング又はカンファレンス⇒必要な変更⇒請求業務
在宅において支援する居宅介護支援と
小規模多機能の居宅支援との大きな違いは???
全国小規模多機能型居宅介護事業者連絡会が作成した
ライフワークサポートのガイドを読むと、こう書かれている。
「可能な限り自宅や住み慣れた地域の中で暮らし続けるための支援を行う」ことが小規模多機能型居宅介護の役割です。
「どこで、どのように暮らしたいかを支える」ことが目的です。また利用者、家族のその時々の変化(身体的・精神的等)する状況に対応できなければ居宅での暮らしは成り立ちません。
とりわけ、認知症の人の様態は変化しやすく、その変化に対応するためには柔軟さが必要となります。
⇒24 時間の個別的な地域生活を支援するためには、状態や状況の変化に柔軟かつ即対応が支援のポイントになる。
このような柔軟で即時的対応を可能とする小規模多機能型居宅介護でのケアマネジメントを、これまでのケアマネジメントと混同しないために「ライフサポートワーク」と言います。
1)ケアマネジメントの視点
これまで、自分で朝ごはんを作り、着たい服を着て、行きたいところに行く。
そんな思いのままの暮らしをしてきた方が、介護が必要な状態になると突然、これまでと全く異なった暮らしを余儀なくされる。
しかしどうでしょう。
自分の力を可能な限り発揮し、人生の最後まで自分らしく暮らすことはできないのでしょうか。
あれもできない、これもできない、そういう想いになっては生きる気力も出てきません。
人は多少、課題があったとしても、その人らしい目標を達成することはできるはずです。
課題のための課題を抽出し、課題克服のための策を練るのではなく、克服できないことがあったとしても、ちがう手段や方法を考え、自己実現のために必要なことは何かを探す(支援する)ことが重要ではないでしょうか。
そのためには、自己実現という目標を掲げ、どのようにしたら実現できるのか、場合によっては目標自体をブレイクダウンしていくという発想も必要です。
また、自己実現するためには、数多くの選択肢が存在し、支援の仕方も多様にあります。
本人の暮らしは、日々変化し、今日やりたかったことが、明日には変わるとこともしばしばです。
本人が今、どうしたいか、何をしたいかを聞き、実現したいことに向けての支援方策を一緒に考えることが重要です。
達成した喜びを得ることができる目標を、確実にどうすれば実現できるのか、ご本人も含んだチームで考え実践することから始まります。
もうちょっと手を伸ばせば実現できるという、目の前の目標への取り組みの積み重ねこそが重要です。
目の前の目標を達成することで、生きる喜びを得、認知症による喪失感や焦燥感、孤独感をやわらげ、本人も家族・介護者も自信をもって暮らすことができる支援が大切です。
ケアマネジメントの視点は、居宅と何ら変わりはありません。
居宅ケアマネも、その人がその人らしく在宅で生活できるように支援していきます。
ICFの考えを元に、目標の設定やサービスの位置づけを行っていきます。
居宅ケアマネに出来ないところは↓↓↓↓↓の部分
「本人の暮らしは、日々変化し、今日やりたかったことが、明日には変わるとこともしばしばです。
本人が今、どうしたいか、何をしたいかを聞き、実現したいことに向けての支援方策を一緒に考えることが重要です。」
「今、どうしたいか」
「今、何をしたいか」
この、「今」というものに対応する事は、居宅サービスでは非常に難しいのです。
何故ならば、「ケアプランありき」「計画書ありき」「基準に沿った運営」
これが居宅サービスの軸になっているからです。
そして、何度も出てくる言葉として、「柔軟な対応」というものがあります。
つまり、「計画書ありき」の居宅サービスでは限界がある部分も
小規模多機能であれば、「柔軟に対応できる」ということになります。
全国小規模多機能型居宅介護事業者連絡会HPより一部引用
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小規模多機能型居宅介護におけるケアマネジメントの視点
居宅介護支援と小規模多機能型居宅介護では
インテークからアセスメントまでの流れはどのように違うのでしょう。
2)出会い
「出会い」では、事業者は、高齢者にとって本当にサービスが必要なのかどうかを判断する必要があります。
また、高齢者自身からみて、この事業者に自分の支援を依頼するのかどうかを判断してもらう重要な機会でもあるということを忘れてはいけません。
そのためには、まず共感的理解が求められます。共感的理解とは、本人や家族が、どのような状況であっても、その思いを受け入れ、理解することによって関係を形成しようとすることです。
よって、事業者が、自分の価値観を押し付けて、「こうすべきだ」という常識や一般論で考えていると、双方向の関係が作れないままで共感は生まれません。
3)アセスメント(「あきらめない」かかわり)
~最期まで変化するその人を理解し続けていくための継続的なかかわり~
アセスメントとは、課題をあぶり出すことではありません。
本人の持っているエンパワメント能力、セルフケア能力をはかる機会です。
アセスメントとは、いうなれば分析的理解です。
ですから、訪問した日の一断面を切り取って見るものではなく、プロセスを重視します。
今の状態で課題を解決しようとするのではなく、社会との関係性も含めてこれまでの暮らしはどうであったのか、今はどのような状態なのか、これからどのようにしたいのかを暮らしの連続性の中でとらえ、分析することが求められます。
利用者や家族から得た情報がなぜ必要なのか、その情報が何を意味するのかを十分に考える必要あります。
その情報が今の暮らしやこれからの暮らしの中でどのように役立つのかを検討します。
聞き出すだけ聞きだして、根拠なく「通い」や「訪問」のサービスを当て込んでしまうのは間違いです。
アセスメントで重要なのは、自分(事業所・わたし)自身を知ることです。
自分の強さを知り、また弱さを知ることで、自らできること、できないことがわかり、できないことに対しては、これまで以上に関わりを深くもつことの必要性を理解し、チームの一員である仲間の力を借りたりする工夫が生まれます。
アセスメントとはチームで行うものです。
ここで言うチームとは、専門職だけでなく、本人、家族、地域も含めたチームです。
自己実現(目的)をチームで共有し、多面的にとらえることで、自分だけの主観的な捉え方から、チームとして客観的に捉えることにつながるものです。
アセスメントでは、継続的な関わりをするための「関係づくり」の成否によって、得られる情報も変わっていきます。
関係づくりが重要なのは、高齢者からすれば、人生の最後をこのケアマネジャーや事業者に託すことができるのか、全幅の信頼を寄せることができる存在になるのか、そのことが高齢者の人生を大きく左右するからです。
ケアマネジャーや事業者の関わり方によっては、本人自らの生きる力を引き出すことができるようになる場合と、本人の力を奪ってしまう場合があります。
高齢者が人生を託すという決定をするのであれば、ケアマネジャーや事業者は託される責任を実感し、自分自身が担うことができるのかどうかを自己分析する必要があります。
ここでアセスメントする際のポイントを挙げてみます。
関わるということを大切にする事によって互いの関係は深まり、自分の理解者・共感者を実感することによって、生きる力が強化されます。
結果を求めすぎない、急がないことも必要です。
サービスをあてがうのではなく、関わりのプロセスの中で、解決策を見出していくのであり、単に短絡的な課題を解決することに重点をおくのではなく、継続するプロセスの中で本人の自己解決能力を引き出していくことが大切です。
確かに・・・
おっしゃることは、よく分かります。
しかし、居宅介護支援のアセスも、本来、あるべき姿は同じです。
課題分析=アセスメントなので、分析的理解は言うまでもありませんし
あるがままの受容、共感は、何も小規模多機能型居宅介護だけに当てはまるものでもありません。
問題は、この「当然」の事が、実は、とても難しいという事です。
居宅介護支援の現状との違いは、
「プロセス重視」「地域との関わりに重点を置く」ということでしょうか。
サービスありきになってしまいがちな居宅介護支援ですが
これは制度云々というよりも、ケアマネ本人の資質と事業所の姿勢で
本来のケアマネジメントが功を成さないのだと考えられます。
全国小規模多機能型居宅介護事業者連絡会HPより一部引用