小学校時代を語る時、
決して外せないポイントとして書道教室がある。

小3から卒業まで通った。
まさに中学年・高学年を貫く焼鳥の串である。

3年から授業で書道をやりだし、
そこに魅力を感じた私は書道教室へ通うことを志願した。

両親の許可が出て、晴れて土曜日の午後に書道教室へ通うことになった。
行ってみると、同じ小学校の同級生や先輩が多く居て心強かったな〜。

月ごとにいろんな字を書いた。
3年の時は楽だったけれど、
4年でいきなり大きな壁にぶち当たる。
何故か、上手くかけた文字よりも
散々苦心して努力し上達した文字の方がくっきりと記憶に残っている。

「進級」

これが難題だった。
画数が多く、
その上大事なポイントが散りばめられていて、
非常に難しい二文字だったのだ。
書いては赤で直される、
を何度繰り返したかわからない。
良い作品を先生が預かってその日は終わりになるのだが、
みんなが次々と帰って行く中私一人良いものが書けずに苦闘していた。
それほど難しくない字だと1時間強で終わるのだが、
3時間近くかかった日もある。

今思うと不思議である。
よくそんな試練を乗り越えられたなと。
よく投げ出さなかったなと自分で思う。
それはただ、ひたすら目の前のことに愚直に取り組んでいたからではないかと思うのだ。

また、この時を思い出すと必ず楽しさが出てくる。
何かにワクワクしてる感情だ。
先生のアドバイスを徐々に消化し、
ほんの少しづつだけどいい字に近づいていく。
その後過程に確実にワクワクしていた。

そして最後の土曜日、
全てを乗り切った私を待っていたのは、
先生からの称賛の嵐だった。
継続は力なり、を地でいくと何度も褒められた。
書いて先生に見せるたびに大きな丸と褒め言葉をいただく。
痛快だった。
文字通り「進級」した自分がそこにいた。
まるで「会心の一撃」を連発している感覚だった。

小3から卒業まで、何十という字を書いたけれど、
この「進級」以上に心に残るものはないよ。

高学年になると、実力も付いてきて
「挑む」というより「こなす」感じになった。
もちろんそこには成長と楽しみが伴っていたから良いのだけれど、
「進級」ほど己を叩きつけるように練習した文字はなかったね。

仲間と馬鹿話で笑い転げ、怒られてばっかりの日もあった。
みんな字が上手かったから、
大したもんだよな〜と思っていたけど、
私が不器用すぎたのだよね(笑)

不器用は不器用なりの戦い方がある、
そのことも学んだ気がする。

書くと尽きないけれど、
書道だけは一本筋を通した。

小学校時代、そのことは誇れる。



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