共時性と人の意識について考えてみる ー その2 | バス次郎の徒然なるままに〜無意識の中のもう一人の自分〜

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* この記事には学術的な記述と曖昧な記述の両方が含まれています.

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こんにちは( ◠‿◠ )

 

あいかわらず常識と思われることを疑いながらトンデモなことを考えているバス次郎です💦研究は今の常識を打ち破ることにより前に進み一つの成果が生まれます。

 

このテーマの記事では世間の皆様から見ればおかしなことを言っています。まず私たちが常識で捉えているものが真実なのか?それは明白なことなのか?そんなことをツラツラと書いています。

 

今回もおかしなことを言います(笑)

 

 

 

まえがき

 

『心のお話し』はぼくの専門領域なのでちょっと堅苦しく難しいお話しになってしまいますが、できるだけ簡単に分かりやすく書きますので最後まで読んでいただけるととても嬉しいです。

 

 

以前の記事では「物質の存在」という記事を書きました。

その見え方は物質的なものの見え方よりも観察者のレベルが高い波動領域においては観察者の意識による見え方の変化というものがあります。さらに付け加えるならば有形無形に関わらずあらゆるモノにはその実態とは異なる見え方が観測者(観察する人により)の”心”に存在しているということです。

 

 

このシリーズでは『人間の体と心』のお話しを心理学や人間科学などの論文や文献に書かれている難しい事をお話しするのではなく(勿論、前提となる理論はありますが)これまでバス次郎が人の感情について研究してきたことなども含めてわかり易く心とはどんなものなのかシリーズとして順を追ってお話ししていきたいと思います。

 

 

そこで、このシリーズを通して心の働き方や身体の不思議について連載で分かりやすくあまり固くならないようにお話ししていきたいと思っています。

 

 

 

時間は流れているものなのか?

 

前回の記事(”共時性と人の意識について考えてみる ー その1”)では共時性とは何かということと”時”は永遠に流れ続けるのか?というお話しを少ししました。今日は、その”時”の「流れる」感覚はどこから来ているのかということを少しお話ししたいと思います。

 

 

 

時間が流れるように過ぎ去っていく感覚というのは誰もが感じていることだと思います。ただ、バス次郎が子供の頃を振り返ってみると子供の頃はそんな感覚がいつもあったわけではありませんでした。子供の頃の時間の進み方というか小学校低学年頃までの期間は1日の感覚が大人になってからの感覚の倍くらいの時間があったような感じがします。そして高校受験とか大学受験の頃になると1日がものすごく短く感じていました。

 

 

社会人になってから50代前半くらいまでの間は1日の時間が12時間くらいの速さで時が進んでいるような感覚になりました。気がつけば子供たちも成人式も終わっていました。50代半ばになり20代〜50代前半くらいまでの30年間の時間がすっぽり抜け落ちたような感覚です。まさに”時”が流れる感覚を体感していますがこんな体験は誰にでもあると思います。

 

 

さて、前置きが長くなりましたが、このような”時”が流れる感覚についてここでは少しだけお話ししてみようと思います。

 

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人それぞれ1日の感じる時間というものは違うと思います。

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脳によるエラーなのか?生理現象なのか?

 

吉田伸夫先生の ”時間はどこから来て、なぜ流れるのか?” 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」 (ブルーバックス) (Kindle版). 講談社. に書かれていることを最初に引用させていただきます。

 

時間は物理的に流れるものではない。では、なぜ流れるように感じるのかというと、人間が時間経過を意識する際に、しばしば順序を入れ替えたり因果関係を捏造したりしながら、流れがあるかのように内容を再構成するからである。

 

これは以前にバス次郎も記事に少し書いていますが、時間と意識の関係が深く関わっているということです。

 

 

もう少しだけバス次郎の持論(仮説)を詳しく言うと私たちが寝ている時に見る夢は私たちの意識に働きかけるものであり意識を訂正させる役割があるのではないかと考えています。たとえば、事の善悪や良心に基く葛藤が生じている場合に見る夢は誤ちを正す意味深い夢をみることがあります。

 

 

夢はまた朝起きるとはっきりと覚えているシーンもあればまったく覚えていないということもあります。しかも順番も鮮明にシーンだけは覚えているがそれが後先どっちだたかはまるっきり思い出せないことも多くあります。つまり印象深い夢の一部が意識に働きかける作用があるということです。

 

 

また夢の中での”時”の進み方(流れ去る感覚)というのは起きている(覚醒)ときとは違い”その感覚”を感じることはあまりないと思います。昼とか夕方とか夜とかある一定の時間帯に夢の中で生じている出来事でしかないと思うのです。”その時”の時間の流れに似た感覚というのは夢の中では起きないのかもしれませんね。

 

 

つまり覚醒状態の下での意識の中だけで感じられる”時の流れ”というのは人間の体そのものの生理現象(たとえば、呼吸や体内時計)と同じように一定時間ごとに規則正しいサイクルを必要とし、それが覚醒状態下では”時の流れ”とする”感覚”として感じているのではないかということです。

 

 

脳に格納されている自分の引き出しの内容と経験(身体経験と感情経験)や自我から芽生える感情が意識とリンクしてあたかも自分自身が経験したかのような状況に陥るのが夢であるとするならば、”時”というのも”夢”と同じように”流れ過ぎ去るモノ”として人の体で感じている生理現象的な”時”を脳が複雑に処理している本来の”時”とは異なる脳によるエラーが私たちが感じている”時の流れ”ではないかと思うのです。

 

 

その結果、私たちは一見秩序正しい時系列な出来事として”時”というものが流されるような感覚に陥っている(疑似体験的なものも含めて)のかもしれませんが何とも言えません。

 

 

 

 

さらに深い”時の流れ”のお話しは次回以降に続きます。

次回はさらに意識をもう少し深掘りした「今(now) と 意識」についてお話ししたいと思います。

 

 

 

 

参考文献

老松克博. 共時性の深層ーユング心理学が開く霊性への扉 (単行本). コスモスライブラリー. 

 

 

老松克博. 心と身体のあいだーユング派の類心的イマジネーションが開く視界 (阪大リーブル67) (単行本(ソフトカバー)). 大阪大学出版会.

 

 

吉田伸夫. 時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」 (ブルーバックス) (Kindle版). 講談社.

 

 

 

その他参考にしたサイト

 

 

 

 

 

 

その他の参考文献

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はこの辺で。

 

 

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

 

 

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