ある時、
思った。
映像作品は偶像崇拝か?
偶像崇拝と言えば
最もメジャーなのは、
やはり仏教。
映像作品と仏像。
共通点は、
実際に本物は見ていないという点。
仏像を作った人は恐らく、
本物の仏様は見ていない筈だ。
実際に本物の仏様を見ていたとしたら、
仏像は作らないだろう。
仏像は作者のイメージの姿でしかない。
また、
仏教を信仰している人でも、
本物の仏様は見ていないだろう。
実際に見ていたら、
仏像に拝む筈がない。
実際に誰も見ていないからこそ、
仏像が作られ、
偶像崇拝の形がとられているのである。
信仰者の崇拝対象は
あくまで仏様である。
仏像は信仰の媒体に過ぎない。
テレビに映る有名人は、
テレビのLEDであって、
実物はテレビ局にいる。
そんな感じのことである。
映像作品も、
実際にキャラクターを見れる訳じゃない。
例を挙げるとするならば、
ディズニー映画あたりが適切だろう。
ウォルトディズニーだって、
ミッキーマウスは見ていない筈だ。
実際にミッキーマウスが居たら、
わざわざアニメにせずに、
実録映像として
フィルムに納めていただろう。
ミッキーマウスが実在しないからこそ、
ウォルトディズニーが
ミッキーマウスをイメージし、
アニメという媒体で表現したのである。
こうして、
字面だけで見ると、
どうも偶像崇拝と、映像作品は
似通った性質を持っているように思える。
しかし、考えてもみて欲しい。
先述した
テレビに映る有名人の例え。
あれは例えと呼べるものなのか。
否、
その性質は
偶像崇拝のそれそのものではないか。
偶像崇拝と似通った性質を持っているのは
何も映像作品だけではなかった。
我々は
知らず知らずのうちに、
偶像崇拝の仕組みを
体験していたのだ。
テレビに映る有名人、を筆頭に
アニメ、
ドラマ、
漫画、
小説、
YouTuber、
国会生中継、
ラジオ、
テレビ電話に映る恋人、
画面の中に映る嫁、
二次元の彼女、
これら全てが偶像であるが、
これらに対して、
不気味だ、という感想や、
オカルトだ、という感想を持つ者は
恐らくいないであろう。
これだけ長々と書き連ねてきたが、
言いたいことは、
「人や思想に偏見を持つな」
という、単純なことである。
しかし、
この単純な事が、
あまりにも、
浸透していないのだ。
だから
争いが起き、
血が流れるのだ。
浸透して欲しいなぁ。
化粧品ぐらい。