英語漬けの日々
皆さんは、英語漬けって経験されたことがあるだろうか? このブログを読んでいる
皆さんは日本に住んでいるだろうから、英語だけの環境なんてまず一生ないかもしれない。
私はインドで二年半住んでいるので周りは英語だけという環境なのだけれど、意外に英語
漬けって時間は少ないもんである。一日中会議だけとか、学生なら授業という常に誰かが
喋っているということが無い限り 英語漬けということはない。
ところが先日、仕事関係の講義で延々と1日半も聴かなければならなかった。で、この英語、
まったくわからない。理由は先生がイギリス人だったから。二年半のインド生活ですっかり
インド英語になれてしまい、イギリス英語は、まるで東北弁を聞いているみたいだった。
同僚も一緒だったのでよかったけれど、私一人だったら悪いけど絶対仕事なんかにならない。
結局一緒に受けていた同僚に教えて貰った。 彼にとってもイギリス英語は聞き取りづらかった
らしい。
よく日本人でアメリカとか、イギリスの大学で結構な成績で卒業とかって聞くけれど
(たぶん関根真理なんかがそうだったと思うけど。)すげーって思う。でもこういう人たちって
講義だけで100%分かっていたのかなぁ。うちに帰って本を読み、友達にあの先生って何て
言ってたの?って訊き、友達のノートを見せて貰って、初めてああ、あの先生はこう言って
いたのね、と納得するというプロセスの繰り返しだったんじゃないだろうか。・・・と信じたい。
こういう会議とか教育の機会では、自分に一回は発言することを課している。で今回も
一日半の講義の中で一回だけ質問した。 質問内容は技術的なことなので省くけれど
この機会を外したら たぶんこの講義では質問しないだろうと思ったので意地で質問をした。
ところが、自称英語道2級の私には、質問できても 回答の内容が分からないのであった。
落ち込むこともしばしばってのが英語道2級のつらいところだ。
上手な英語
皆さんは、外国語として英語を勉強する上で、何を持って「英語が上手」
と定義されるだろうか?
うーんなんだか非常にわかりにくい質問になってしまった。つまりあなたは
どんな英語を喋る日本人が英語が上手と思いますか?という質問だ。
英語ができるという要素としては
①発音、イントネーションがネィティブっぽい。
②喋っていて文法に間違いがない。
③単語をいっぱい知っていて、難しい会話ができる。
④ネィティブと話をしていても 会話に間ができない。
うーん、どれもできていないので書いてきてだんだん落ち込んできてしまった。
一般日本人受けするバイリンガルのイメージとしては ①の発音、
イントネーションがネィティブっぽいってやつじゃないのかなぁと思う。
だが、私の思う英語ができるっていう基準は上記のいずれでもない。
私が思う英語ができるとは、
「その場に応じた会話ができる英語能力を持っている」という事だ。
(すみません、この定義もわかりにくいっすね。ちょっと外人の日本語使い手の
例を使って説明しますわ。)
我々は友人と話すとき、上司と話すとき、会議や多くの人を前にして話すとき、
或いは、文章で使う言葉も明確に変えて使っている。このような場合場合に応じて我々は
無意識のうちに使う日本語を変えているはずである。この使い分けの一要素は日本人
でも難しい敬語の使い方でもあるけれど、話の内容についても変えているはず。
例えば子供と話すときはもちろん敬語は使わないだろうけれど、話の内容も難しい
トピックは避けているはずだ。
昔TBSでブロードキャスターって番組があった。その中でジョージ・フィールズと
いう人がコメンテーターが出ていたけれどこの人の日本語は完璧だったと思う。
彼の発音はやっぱり少し訛りがあるのは分かったけれど、それを超える話の内容と
福留キャスターと話すとき、一般視聴者を相手に自分の意見を言うときの言葉、
単語の使い分けも完璧だったと思う。同じレベルのバイリンガルとしては、ピーター
バラカンぐらいしか思いあたらない。発音だけに特化して練習すれば彼らより発音
上手な日本語の使い手は出てくるだろうと思う。だがそれだけじゃ彼らには勝てま
せんよ、と思う。
たびたび出てくる英語道だけれど、松本道弘がいうには、英語道3段ぐらいから
ネィティブと話をしても、3段レベルの英語はもうほめなくなってくるらしい。
2段までは、ネィティブは「英語お上手ですねぇ、You speak good English!」
なんていうらしいんだけれど、それ以上の高段者になると、ネィティブはもう
日本人と話しているなんて思わなくて、純粋に会話を楽しめるからだと思う。
そういう意味では 英語が上手ってほめられて、しかもブログにそれを書いて喜んで
いる私の英語のレベルはまだまだってことだ(当たり前、泣)
残念ながら、自称英語道2級の実力では、自分より高段者の英語は自分よりどれ
だけ上手なのかわからない。やたらネットで批判される楽天、三木谷社長の英語
だけれど、もちろん彼の英語は私よりうまいと思う。発音がネィティブっぽくない
と言って彼の英語を批判する人たちは非常に狭い視野でしか彼の英語を見ていない
ように思う。
20代以降に英語会話の練習をを始めても、ネィティブのように英語を発音するって
のは不可能になってくるらしい。だから自分も発音がうまくなるってことは既に
あきらめている。社会人英語は、見た目の派手さより、中身で勝負と開き直っている。
インド人の国語力
以前、「インド人の語学力」ってタイトルで記事を書いた。語学を国語に変えただけの
タイトルで記事を書くのは 実はインド人は語学力はあるけど、国語力ってないんじゃ
ないのと思うからだ。国語力とは、英語力という意味になるけれど、当然英語力という
意味では 私より彼らの方が上だ。年期が違う。だが文書作成能力になると
からっきしだめだ。ここで話している文書ってのは、ビジネスにおける文書のことだ。
人に感動を与えることを目的とする作文能力のことではない。正確にいうと理系の
作文能力ということになるだろうか。
中公新書から「理科系の作文技術」って本がでているけれど 読まれたことが
あるだろうか。
「文章は長い文章の使用を避けて、短い文章で簡潔に説明するように心がける。」
「特殊な単語を使用する場合は、その単語の意味を前もって説明するようにせよ。」
「日本語における接続詞 "であるが" の "が"は、順接、逆接の両方の意味に
とれるので使用しない。」
などなど。 上に挙げた例は「理系・・・」に述べてある。読んだのは随分前なので
表現はその通りじゃないだろうけど、このようなことが書いてあったはず。
この技術系の作文能力についてはこのようなHow to 本を読むだけではだめで、
実際に自分で文書を書いてみて、自分より作文ができる人に添削してもらい、
書き直すっていう鍛錬が必要である。すくなくとも私はそうだった。
卒業論文、修士論文を書くときに指導教官が随分荒っぽいやり方だったけど
この本を紹介しながら添削してくれた。
大学の専攻は今の仕事と全く関係なく全然役にたっていないけれど、この時の
訓練は会社に入ってからも非常に役に立ったように思う。
この技術はタイトル通りの「理系」「技術系」文書のみならず、ビジネス
文書に対しても、或いは文化、言葉の違いを超えて普遍的に共通することに思う。
第一この「理系・・・」のイントロは、第二次大戦中にチャーチルが部下に
簡潔に報告書を書くように指示したと言った逸話から始まっていたように覚えている。
さてさて、随分長いイントロになってしまったけれど、ここからが本題だ。
インド人は技術系作文が下手だ。彼らに報告書を作らせるとごちゃごちゃ非常に
分かりにくい奴を提出してくる。この技術文書の作成能力の根幹にあるものは
必要な情報をわかりやすくってことだと思うけれど、裏を返せば 人から与えられた
指示を正確に理解する能力と共通するもんだと思う。仕事を命じた人が自分の
アウトプットに何を期待しているのか?を予想する能力と言っていいだろうか。
何を言いたいかわかるだろうか。つまりいくら彼らに同じ指示をしても 全然
理解してくれないってことが起こるのである。
原因はおそらく 彼らが私が大学時代にされたインド人が最もいやがる「訓練」
ってのをやっていないせいだ。
2年半のインド生活でインド人エンジニアの長所と短所を見つけてきたけれど、
「鍛錬」「訓練」といった地道で面倒だけれど、それをやんなきゃマスターできない
ことってのはインド人は非常に苦手だ。私はこの理由は一つには彼らが持っている
プライドのせいだと思う。インドでは大学の進学率ってのが高くない、そもそも
大学に行くこと自体が非常にハードルが高いことなので大学を出ることを人生の
最終目標にしているみたいに思ってしまう。しかられる、怒られるってことを
インド人は極端に嫌っているように思う。
うそのような話だが、ある日本の会社がインドのある会社と仕事の取引をした時
そのインド人担当者があまりに無能なので、彼の上司にこっそりなんで彼を
担当者にしたのかって訊いたことがあるそうだ。で、その上司の回答が
「彼の大学の成績が非常によかったので。」だって。おーい、って気になる。
これからどれだけ彼らと一緒に仕事をするのか分からないけれど、
私の大学の指導教官と同じことを彼らにしてあげないといけないのだろうか、
しかるわけにはいかないけれど、どうやって指導していこうかと思っている
今日この頃である。
