「世界中の人間が死ぬ」事は「自分が死ぬ」と同意義と思われる。
世界中の人間が死んで自分を認識するものが無くなってしまえば、
区別するもの・されるもの、差が無くなる。
可視できる存在の中で、知能が高いといわれてはいるが、
同種族間(ホモサピエンス)での殺し合いを行っているのは、
人間だけではないだろうか?
宗教というものに洗脳されていることにも気がつかずに・・・
自分という個は経験やどこかで得た知識から成り立っていて、
それを、選別・選択などをし自分で確立したものだと思い込んでいる・・・
選別・選択する為の判断基準は、刷り込まれているものだという事すら、
気がつかない・・・
そう、その刷り込みは胎児の時から既に始まっているのにもかかわらず。
神という名の洗脳・・・
おそらく、太古の昔から理解できないもの、理解できないことを、
都合良く解釈する為にはじまった事なのだろう・・・
だが、何かしらのエネルギー体のようなモノは存在すると推測できる。
人間が死んだあと、なぜか数g足りないそうである。
弱肉強食の動物界、狩られる側はなぜその個なのだろう?
他にも同個体はいるのになぜ?
逃げるのが遅いものが狩られるのは実に合理的であるが、
そのような個体がいないのにもかかわらず、
なぜその個体が狩られるのだろうか?
それでも、動物世界ではバランスが保たれている。
バランスが最も悪いのは人間界である。
そんな人間を全て殺すのは容易な事ではない。
かつて、大量虐殺を行った者もいるが、
世界人口を考えれば、微々たるものにすぎない。
「世界中の人間が死ぬ」=「自分が死ぬ」が成立するとしたら・・・
効率を考えれば世界中の人間を殺す又は死亡させる事よりも、
自分を殺す方がはるかに良い・・・桁違いに・・・
少数ではあるが、個を認識している個の数はたかが知れている、
しかも、人間は忘れる事の出来る動物でもあるのだから・・・
一時的なショック状態にはなるだろうが、
あくまでも一時的なものでしかない。
時間の経過と共に記憶も薄れていく・・・
そこにも個体差はあるが・・・
このままであるなら、私は私という個を自身で殺す事になるだろう。
私自身特に問題は無いのだが、残った肉塊の処分方法をどうすべきか、
考えておく必要がある。
いわゆる、自然分解が一番良い方法なのだろう・・・
ただ、その方法だと「探さないで下さい」と残しても、
私を認識している個体達は私を探すであろう、
そんな面倒な事はしてほしくないのだが・・・
それに、肉塊が無くなった後、消滅なのか別のモノになるのか・・・
そちらにも興味がある、本当に興味がある・・・
別の何かになるのであれば、証明してみたいものだ・・・
「なまえのないかいぶつ」
として・・・