皆さんは、石田三成についてどう思うでしょうか?
今回は、
「あぁ、石田三成?関ヶ原で家康に負けて処刑された人だっけ?」とか
「戦ベタのアイツね」とか言ってる人に三成の魅力を知ってもらえればいいなと思います。
まず、三成の生まれについてですが
お坊さんの子とするものと、武士の子とするものがありますが
三成の嫡子重家が伝えた石田家の過去帳である「霊牌日鏡」に拠ると後者が正しいと思われます。
父の名は正継といい、三成はその次男だと言われています。父は京極氏に仕えていたとされ、
他と比べると裕福な生活を送ってたようであります。
三成と言うと三軒茶の話が有名ですが
その他にも「うわぁ、コイツまじか~」ってなるようなエピソードがあるのでたくさんあるので
そのうちのいくつかを紹介したいと思います。
EpisodeⅠ
『四百石!!』
三成の家臣団に新たな人材が加わった。
その名は・・・渡辺新之丞
秀吉「佐吉、おぬしは新之丞を召し抱えたそうじゃな」
三成「いかにも」
秀吉「じゃが、ヤツはわしが2万石で召し抱えてやると言ったのを断ったんじゃぞ」
「どうやって登用したんじゃ?」
三成「おそれながら、上様から頂戴した四百石すべてを新之丞にさしだしました」
秀吉「なに?たった五百石じゃと!」
「あれだけ十万石にこだわっていたのに・・・」
三成「今は四百石ですが、それがしが百万石の大名になったときには、
十万石を与えると約束いたしました」
秀吉「ほぅ、それは考えたな、さすがは佐吉じゃ」
「まぁそれはそうと、佐吉、おぬしはどうするんじゃ?わしがおぬしに与えた四百石すべて
新之丞に与えたのであろう」
三成「それがしは今、新之丞の屋敷に居候の身にござりまする」
その後、三成は近江佐和山十九万石の大名になった時に加増しようとしたが、新之丞は
三成が百万石の大名になるまでは加増をしなくていいと断ったという。
ちなみに、新之丞は関ヶ原の戦いで自刃するが、死の間際三成に「そなたの十万石も、夢となってしまったな」と嘆いた。それに対し新之丞はこれまでの感謝を捧げたという。
やっぱカッコいいね(*´∀`*)
