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『家族不適応殺-新幹線無差別殺人犯 小島一朗の実像』 インベカヲリ

 

これまでに殺人事件や殺人犯を取り扱った本を数十冊は読んできた。ネット上のテキストを含めれば数百かそれ以上になるかもしれない。

そんな中でも小島一朗という人物はとびきりに異色で、理解に苦しむタイプだった。

 

事件をおさらいすると、2018年6月9日に運行した東海道新幹線「のぞみ265号」で乗客1人が死亡、2人が重傷を負う無差別殺傷事件が起きた。その犯人が小島一朗であり、この本の主人公だ。

恥ずかしながら私はこの本を読むまで事件のことをすっかり忘れてしまっていた。新幹線で起きた事件というと、2015年に起きた焼身自殺事件の方ばかり覚えていて、明確な殺意を持って無関係の人間を殺したこの事件の方を忘れてしまったのは何故だろう?

 

私の記憶力の話はさておき、序章を読んだ段階での小島の印象は、身も蓋もない言い方をしてしまえば「よくいるタイプ」の殺人犯だった。犯行当初の取り調べで「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」「刑務所に入りたかった」などと供述しているあたり、過去の無差別殺人犯とリンクする印象を持ったのだ。

だが読み進めていくと、どうもそんな単純な奴じゃない、恐ろしく理解しがたい思想を持った人間だとわかってきた。

著者のインベ氏も小島の難物ぶりに「途中で何度も(この取材を)中断しようと思った」と書いている。

 

帰る家庭があるのに刑務所に入りたくて、しかも無期懲役を望んでいる。「むしゃくしゃしてやった」と言いながらも、ギリギリ死刑にならず無期懲役になるであろうラインで犯行を冷静に調節している。事件当時現場にいた人の証言では、ナタを振り回している小島の顔からは何の表情も読み取れなかったそうだ。

 

附属池田小学校殺人事件を起こした宅間守や、土浦通り魔殺人事件を起こした金川真大、最近の京アニ事件の青葉真司などは、いずれも怒りや絶望といった負の感情が背景にあった。そもそもそういった爆発的な感情の後押しなしに、素人が1度に何人もの人間を殺害するというのは難しいと思う。

しかし小島にはそれがない。むしゃくしゃしたことがあったのは確かだが(しかもそれを著者に説明するために便箋20枚に及ぶ長文を書いている)、それ以前より彼にとって「刑務所こそが自分にとっての幸せな家である」という信念があったようだ。

殺人はあくまでも手段であり、もしそれ以外の方法で「死ぬまで」刑務所にいる方法があったなら彼はそれを選択しただろう。

 

この理解に苦しむ考えをどうにか理解しようと、著者は小島と面会を重ねるが、やはり理解できず頭を悩ませる。

考えの特殊さもさることながら、小島は非常に付き合いにくい人間だ。例えば彼は大変な読書家で記憶力抜群のため、会話や手紙の文章中に出典を明かさないまま様々な引用を用いる。当然同様の知識がないと何を言われているのかわからないことが多々ある。おまけに他人も自分同様の記憶力を当たり前に持っていると思っている節があるので、ずっと前に出した手紙に書いてあったことを相手が覚えてなかったりすると怒り出すこともある。

会話は常に理屈一辺倒(しかもかなり理解に苦しむ類いの)で、感情を感じさせないから、本気で言っているのかそれともこちらを試しているのかという疑いが常に浮かぶ。

 

サイコパスという言葉を使えば簡単なのだが、その便利な言葉を使ってしまうとそこで話が終わってしまう。

著者がその逃げ道を選ぶことなく、1つの答えに到達するまで取材を続けてくれたことに対しては一読者として敬意を表する。

そう、彼女は最終的に答えを見つけたのだ。小島に直接「こういうことだよね?」と確かめたわけではないから単なる思い込みである可能性もあるが、読んでいて私もなるほどそうかと思った。

そして刑が確定して以降の小島からの手紙を読むと、その答えはやはり間違っていなかったのだと確信できる。

わかったところで溜息しか出ないというか、こいつは漫画のキャラなのかな?と思うくらいに、ますます異常な人間と感じてしまったのだが・・・

 

社会にとって小島は間違いなく異分子で、小島自身も世間に己の居場所を見い出せず刑務所に「家」を求めた。裁判はある意味でウィンウィンの結果(宅間や金川に対する死刑とは意味が異なる)に終わったのだが、果たしてそれで良かったのだろうか。

読後感が重かった。