なんだか偽装だらけになってしまったこの頃。

今まで知らないで食べていて「美味しい」と言っていたのに、報道されると「騙された!」の大合唱になるのは、いつものこと。まぁ確かによくないことだとは思いますが、美味しい物を美味しく調理をして客に出そうという気持ちが一番大事なんじゃないですかね。

そういう料理人がやむにやまれずしたことなら、僕は許したいです。
それがお店と客の、本当の信頼だと思うのですけどね。

しかし、中華料理のメニューに、バナメイエビのチリソース炒め、バナメイエビのマヨネーズ和えと書いてあったら、僕なら何やら得体のしれないエビの料理があるぞと眉をひそめこそすれ、積極的に食べようという気にはならないかも知れない。それに中華料理なので、こういうカタカナ文字の表記は似合わない気がする。(僕自身、伏せておいてほしいとさえ思います)

ブランドものに関しては舶来物(古いか)をありがたがるけれど、口に入るものには割合日本人は神経質だ。
外国の食品に慣れていないということもあると思うけれど、今までの経緯からすれば、国産でない食品の品質は眉に唾をつけて見たくはなる。

ただでさえそういう日本人なところに加えて、我々はアジアに対する、衛生面での不安を持っている。米不足でタイ米が入ってきたときの、出荷前の倉庫の中ではネズミが入っていただのなんだといった騒動の時からじゃないかと思う。

バナメイエビは、スーパーでも冷凍になって売っている。
産地はタイとかインドとか書いてある。我々がごくごく普通に入手できるエビだ。
メニューにバナメイエビと書いてあったら、アジア産なことが丸分かりになる。

ホテルの名前、ホテルが自認する料理の「格」に、「バナメイエビ」の名前は、合わなかったんだろうなぁ。
あのエビが北欧産だったり、スペインやイタリアなんかのヨーロッパ産だったりしたら、また違った結果だった・・・なんてこともあったのかも知れない。


なんでもかんでも「個人情報ですから」ということになって困ったことも起きているこの頃ですが、なんでもかんでも偽装、偽装と騒いだあげく、遊び(クリアランスのこと)も情緒も何もない世の中になってしまわないことを願う限りです。

魚屋から「鮮魚」の文字が消えて「冷凍魚」の文字が取って代わるような世の中は、まっぴらゴメンです。

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今日、タイヤ交換をした。
明日あたり、雪が降りそうな感じ。

昨日本屋で買って、久々に雑誌Numberを読んでいる。
この雑誌、20才ぐらいの頃に読み始めて、実家にはものすごく古いバックナンバーが残っている。
表紙が定岡だったり、バース・掛布・岡田の阪神優勝の特集だったり、そんな頃のバックナンバーだ。最初に買って読んだのは、郭泰源が西武に入団して活躍し始めた頃で、表紙が彼の写真だったのを覚えている。
ずっと読んでいたのだけれど、この雑誌は内容が濃いので、日々の忙しさにかまけ読まないうちに次の号が出てしまったりということが続いて、だんだん読まなくなってしまった。

今回の号は、「ドーハ悲劇20年目の真実」とのことで、あの頃の日本代表の懐かしい面々がコメントを寄せている。


驚いたのは、今のJリーグにはドーハの後に生まれた若者がいるということだ。
もうそんなに経ってしまったか・・・。

あの時のことはよく覚えている。
イラクの選手がヘッドでゴールネットを揺らした瞬間、日本中の人が落胆したのと同じく、かなりがっくりきてしまい、しばらく言葉が出なかった記憶がある。
あの頃はまだ埼玉に住んでいたけれど、翌日は、電車の中も、当時仕事をしていたお役所の中も、どんより沈んでいた記憶がある。

あれは平成5年なのだ。
僕ら夫婦は次の年の春に札幌へ戻ることを決めて準備をしていた最中だった。
それから半年もたたないうちに札幌へ戻ってきたのだけれど、ドーハから20年ということは、僕らのUターンからは19年が経つことになる。

東京で当時勤めていた会社は新卒で入った会社で、僕はその会社を退社して戻ってきた。
にも関わらず、時々社長とは連絡を取らせて頂いていた。
社長から電話を頂いて札幌に見えた時に食事をご一緒したり、僕が東京に出張に行った時は顔を出したりしていた。

この前、久しぶりにその会社のWebサイトを見たら、社長は相談役に退き、代表取締役の名前は同じ苗字で違う名前に変わっていた。

息子さんだ。

僕が新卒で入った時、彼はまだ幼稚園に通っていた。
あの子が社長か。
あの頃から数えれば、もう30年近い年数が経つからもう30代前半から半ばぐらいにはなっているはずだから、社長になってもおかしくはない。

大人になってからふりかえる過去は、子供の頃にふりかえった記憶に比べると、随分前のことでもついこの前のことのように思えたりする。
子供の頃の10年前は本当に幼かったりするから、時間の経過が自分の成長とリンクして実感できた気がする。
大人になってからは、20年前といってもさほど変わらず当時も大人だったから、特に子供を持たない自分のような人間には、そんなに昔のことのような気がしない。

たまにこうやって振り返ると、あっという間に過ぎたけれど、ものすごく時間が経っていること気づかされて愕然とする。



山崎ハコのライブを見に行ってきた。

山崎ハコの歌を初めて聞いたのは、中学生の時だったと思う。
70年代から始まったフォークブームは、ニューミュージックという形に姿を変えていたけれど、依然としてフォークというジャンルは、当時の僕らには身近で憧れの対象だった。

山崎ハコの歌は、当時も異質だった。
ストレートな声に力強いギターのストロークの曲があるかと思えば、どっぷり沈んだマイナーな曲。そのどちら側にも針が振り切れていた。

浮わついた感じがなくて、ハマるとどこまでもハマってしまいそうな危険な音楽だなと、子供心に僕はそうとらえていた。


80年代になって、暗いことはよくないことだという風潮が生まれた。
その先陣にいたのは、タモリだったと思う。
揶揄されたのは、この山崎ハコだったり、さだまさしだったり、オフコースだったり。

太い自分の芯を持たない僕は、そんな人たちの音楽から遠ざかった。

世の中に彼女の歌への需要がなくなった。
スタイルを変えることまで考えさせられたらしい。
そうとう苦労したと聞く。

けれども、今考えれば、暗いことのどこが悪かったのだろうと思う。


晴れた日より、雨の日のほうが気持ちが落ち着く。

あれから30年経ってそんな風な感覚を持つ中年になって聴いた山崎ハコは、昔と変わらずどっぷり暗い山崎ハコに、年輪が加わって温かさを備えていた。

歌もさることながら、歌の合間のトークが楽しい。
かわいらしい人だなぁと、人間的な魅力に惹かれてしまった。

人は若さを失うのを嫌がるけれど、彼女を見ていたら年をとるのも悪くないとしみじみ思った。
年上の人に向かってこんなことを言うのは失礼かも知れないけれど。

いいなぁ、暗いのも。しみじみそう思えた。
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山崎ハコ版の横浜ホンキートンクブルース、初めて聴いたけれど、とても良かった。
この歌、色々な人が歌っていて、誰のがオリジナルなのかわからなくなっているけれど、作詞はなんと藤竜也で、作曲はエディー藩というゴールデン・カップスにいた人だ。

オリジナルはこのエディー藩ということになっているけれど、やはりこの曲を世に出したのは、原田芳雄じゃないかと思う。

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それにしてもクラップスホール、久しぶりだった。
前にあそこに行ったのは、10年ぐらい前の下田逸郎のライブの時だった。

最後にライブを見たのは、2004年の寺井尚子、吉田美奈子のライブが最後のような気がする。
あの次の年からだ、出張で大変になったのは。

でも、やっぱりライブはいいなぁ。
前の持ち主の後に入居してからずっと、洗濯機へと水を注入する混合栓の、お湯側のハンドルが固着しているのか固くて回らず、ずっとお湯が使えない状態になっていた。
もっとも液体洗剤を使っているので、特にお湯を使わなくても洗剤が溶けなくて困るといった状態は心配しなくていいのだけれど、なぜ回らないのかずっと気になっていた。

先週だったか、洗濯をするときにお湯のハンドルにグイっと力を入れて回すと、グキっと音がして、10年以上ぶりにハンドルが回った。

しかし、お湯のハンドルから水が漏れることも同時に判明してしまった。
どうやらこれが原因で、漏れないように固く締められていたらしい。

そういうことだったのか。

しかし「余計なことをした」と、僕は女房から責められることに相成ってしまった。

業者に頼むと、最低一万円だろう。
おそらくこの水漏れはパッキンが原因だ。
たかだかパッキンを交換するだけで一万円というのも、面白くない。

かくなるうえはDIYだ。
ネットを調べていたら、どこをどうやれば良いか親切に解説してくれているサイトがあった。
これなら大丈夫だとホーマック(ホームセンター)に走り、工具とパッキンを購入。

まずどこがどうなっていたかというと、2か所、漏れている箇所がある。
(写真を拡大するとコメントを入れてあります)
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1か所はここだ。お湯のハンドルの下からタラタラと漏れてくる。閉めていても、水が洗濯機に注入されるときに圧がかかるのか、タラタラと漏れてくる。

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もう一か所は、水側のハンドルと壁から出ている金具との間の継ぎ目だ。
ここから時々タラタラ漏れている。


さっそく修理に取り掛かる。
部屋の外に出て、止水栓と閉じて水を止める。
これをやらないとドバーっと水びたしになってしまう。
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ハンドルの上のフタを取る。このフタはカッターなど薄いものでひっかけると簡単に外れる。

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プラスのドライバーでネジを回して、ハンドルを外す。
ネジをゆるめて抜いたら、ハンドルを上に引き抜くと簡単に外れる。

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ハンドルを外したら、金色の金具が現れる。
さびないように真鍮でできているこのカバーナットという部品を回して外す。
今回は専用の工具を買ってきたけれど、モンキレンチの方がやりやすかったかも知れないと感じた。

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カバーナットが外れた。

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パッキンがついているのは、このカバーナットの裏だ。
このパッキンが古くなってゴムの弾力が失われて固くなると、水がもれてしまうのだ。

ハンドルの下から漏れていたのは、このパッキンが原因だ。
このパッキンを交換する。
せっかくなのでまだ漏れていないけれど、水の方のハンドルのパッキンも交換する
ことにした。

パッキンは二つ一組で200円ぐらいだった。

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パッキンの下にあるワッシャーのような金具も交換する。
これで交換は完了。

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次にもう一つの水漏れ箇所のパッキンの交換。
壁に取り付けられている台座のような金具をクランクと呼ぶらしい。

で、今回水漏れしている部分を、クランクナットと呼ぶそうだ。
工具でクランクナットを回して外す。

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両方のクランクナットを回すと、このように本体が外れる。
奥に見える穴の中に、ゴムパッキンが見える。これを交換してやる。
これもついでなので、漏れていない方も含めて、両方交換した。

全部元通りに取り付けて、止水栓を開け、洗濯してみる。

おー!漏れない。

ちょっとした達成感を味わうことができた。
義母と義弟一家と我が家とで、岩内の高島旅館で羽を伸ばしてきた。

着いて早々、浴衣に着替え、風呂に入る。
日常から非日常へ、身も心も解き放つためのスイッチ、温泉でのそれは浴衣だ。
確かにジャージや普段着の方が動きやすいし、はだけたりしないけれど、僕は情緒を大事にしたい。

天然温泉とうたっていながら、湧出量が少ないのをまかなうために循環させている名ばかりの
温泉も多い。循環ポンプの中にレジオネラ菌が湧かないように、そんな温泉では塩素消毒が
必要だ。だから天然温泉のはずが、塩素の匂いがする。
体を洗ってしまうとせっかくの温泉成分が流れてしまうとよくいうけれど、こういう温泉ではか
えって洗い流さないと体に悪いと思う。

高島旅館の風呂は楽しみにしていた。
風呂場に行くと、湯船からお湯があふれている。
浴槽の中にも取水口の穴が空いていない。
ちゃんとしたかけ流しの温泉だ。
お湯は多少とろみがあって、藻のような浮遊物がふわふわ浮いていた。
いいお湯だった。

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風呂から上がって早々、夕食前にプハー。
これが正しい温泉でのスイッチの入れ方だ。

夕食は聞いていた通り海のものでガンガン攻めてくる。
アワビが一人に4つ、刺身、焼き、鍋。
それに御造りと、ヒラメの生け造り。
ナマコの酢の物に、モンケというメバルの仲間の焼き魚。
食べきれないほどの量だった。(写真はないです)

海鮮を売りにしているところは、イキの良さを前面に出してくるところが多いので
手をかけずに出してくる料理が多い。料理人のやることといったら、切るだけだ。
こういうところでは、お金の対価はイキの良さと量になる。

でもね、もう少し手をかけてもらえるとうれしいんですけれどもね。
たとえば、アワビごはんにしてくれるとか。
おいしかったし、豪勢だと思ったけれど、僕は料理人の手がかかった料理が食べたい。
それが正直な感想です。

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一泊して、岩内から山を登って神仙沼経由でニセコへ。
時々風が少し吹いていて、時々雨も降る不安定な天候で、神仙沼は波立っていて、紅葉が
映る鏡のような水面は見られなかった。

けれども標高が高めのところは、すっかり木々が色づいていて、とてもきれいだった。
久々にブルベに参加してきました。
去年は留萌300にエントリーしながらも、前々日に熱を出してDNS。
でもって、6月から東京、仙台と長期出張に出ていたので、一度も出られず。

その前の年は留萌300は大雨で日和ってしまいDNS。
7月に八雲200を走り(笑)、秋の札幌200を楽しみにしていたところ、上海などに行くことになってしまい、春まで中国に。

というわけで、2年ぶりの参加でした。
完走は・・・というと4年前の札幌200までさかのぼります。
BRM829 体験記
それから後は、手頃な距離にエントリーできなくて400に出ては跳ね返されていたのですよね。

今回も、先週、ちょっと走っておこうかなと思ったところで、また熱を出してしまい参加が危ぶまれましたが、ぶっつけ本番で参加を決めました。
しかし本番直前に熱を出すことが多いんですが、まるで子供ですよね。

朝、4時に起きて豊平川緑地に向かいましたが、一つ目の信号で信号待ちしていると左の方からロードバイクが!
こんなところでこんな時間にロードバイクに乗っているのは、おーにしさんぐらいしかいません。追いかけて東北通りの交差点で追いつきました。
南郷18丁目でいったんおーにしさんと別れ、一人豊平川へ向かいます。

集合場所が今一つ不安だったので早く出たのですが、着いてみたらやはり早かったです。
寒いなと思いながら集合場所についてみたら、半袖半パンの方もちらほら。
気合が入っている人はやはり違うものです。

$higeizm

今回は110人の参加。
僕がブルベにデビューした4年前は、200kmでも50人程度の参加でしたが、ブルベ人口も増えたものです。最初の頃から携わっている方々にしたら、ある種の感慨を覚えるのではないでしょうか。

$higeizm

久々に参加したので、anyanさんのリカンベントも初めて拝ませてもらいました。

江別のあたりまではトップチームの集団と一緒に走っていたのですが、徐々に疲れてきて
逃げ馬は江別で力尽きました。

ちなみに僕は逃げ馬というと、レジェンドテイオーという名前を思い出すんですけれどもね。

閑話休題。
一緒に走っていたMiruさんとも千切れ、しばらくしたらZorrさんが追いつきました。
まったりペースで引かせてもらいました。
まさか後ろから盗撮されているとは思わずに(笑)
Zorrさん編集 BRM1006北海道200km大夕張

そうこうしているうちに、後スタートの方々にも抜かれました。
集団にピンクのジャージが見えました。フジコちゃん、速いなぁ。

通過チェックのローソンを通り過ぎそうになりながらも順調に走って行ったのですが、60kmを超えるぐらいから膝に痛みが走りだしました。

PC1の幾春別のセラーズにたどりつきおにぎりをパクつきます。
美瑛や富良野に行くときに何度か立ち寄ったこの店も、自転車で来るとなんだか感じが違うものです。

ようやく桂沢湖に着き、撮った一枚。
紅葉の見ごろにはあと一週間・・・といったところでした。
このあたりからはペダルを踏むたびに膝に激痛が走りました。

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膝の痛みなど、長距離を始めた頃こそありましたが、すっかり卒業したと思っていました。
ところが今年になってランニングを始めて、時々傷むようになっていました。
それに加えて、今回、尻の痛み対策に前日に少しサドルを前に出したんです。
おそらくその二つが絡んでいるんだと思います。


ここから夕張に向かって登りが続くのですが、ここが辛かった。
休み休み登って行きましたが、後半は押して登っていました。

ごまかしながらPC2にたどりつきました。
ここでハッチャキコキの自轉車日記Ⅱのタクランケさんにお会いしたり、楽しい出会いがありました。

ここからは平たんだと思っていましたが、結構アップダウンがあります。
思えば、この道、夏に逆から150km走った道です。
あの時も結構アップダウンに満腹になりましたが、今回は膝の痛みも抱えています。
登りが来るたびに押したりして、だましだまし前に進みました。

そうやってどんどん進んでいき、ぐっと端折って、160kmあたりに場面は変わります。
道端で膝を回して休んでいると、通りがかったブルベの参加者の方が「痛み止め、持ってますよ」と声をかけてくださいました。

「30分ぐらいで効きますから」と言われて、飲んだロキソニンS。
これが僕に窮地を脱出させてくれました。

ちょうど通りがかったおーにしさんが、前を引いてくれます。
後ろをついて走っているうちに、膝も尻も痛くないポジションを見つけました。
うまめポジションを意識したのですが、このポジションが見つかる頃と、薬が効き始めたのとおそらく同時だったのでしょう。

痛みが消えると集中力は戻るものです。
俄然元気が出ました。
でも弱っている時に誰かがいてくれると、心強いものです。
今回、おーにしさんには本当に感謝しています。

おーにしさんに引いてもらいながらなんとかPC3に着き、休んでいると、naomiさんとyyyさんが到着しました。
yyyさんはとっくにゴールしているものと思っていたのですが、ミスコースで20kmロスしたのと、パンクの修理につきあったそうです。PC1はギリギリだったと仰っていました。

ここからはあともう少しだということもあり、結構飛ばして一路豊平川へ。
19:30頃到着しました。

着いたらMiruさんが待っていてくれたではありませんか。
たいそう気にしていてくれたご様子。嬉しいものですね。

スタッフの方々、遅くまでありがとうございました。
ヘロヘロに疲れましたが、楽しかったです。
楽天の田中将大が23連勝を挙げた。
ここまで来たら負けなしで終わって、不敗伝説を打ち立ててほしいと願う。

23勝以上したのは東尾、鈴木啓示らに次いで35年ぶりと言っていた。
78年に鈴木啓示(近鉄)が25勝、同年に東尾(クラウン)が23勝したそうだ。
クラウンなどというチームがあった頃だから、もうずいぶん前だ。
クラウンは確かライターの会社で、クラウンライター・ライオンズだったと思う。

そんなに野球のことは詳しくないけれど、昔のことなら覚えている。
あの当時のパリーグは人気がなくて、大きな会社が持っていたロッテ、阪急、南海、近鉄を除いた、今のファイターズとライオンズは資金難で身売りが続き、球団名がコロコロ変わっていた。
北海道に来てから今でこそ日ハムは隆盛を極めているけれど、日ハムが買収する前は日拓ホームという会社がオーナーで、日拓ホームフライヤーズという名前だった。
オールスター戦で少しだけ見たことがある記憶しかないけれど、やけにハデなユニフォームだった記憶がある。

23勝ということになるとこんなメジャーな人が登場してくるけれど、22連勝した時には誰の名前も出てこなかった。

隠れて出てこないけれど、80年に元日ハムの木田勇が22勝している。
社会人野球から入団して、ルーキーでこれだけ勝ったから、シーズンオフにはCMにも出ていた。
けれども目覚ましい活躍をしたのはあれ一年きりで、翌年からは10勝程度だったと思う。
横浜大洋にトレードされ、一年目はそこそこ投げていたけれど、その後は泣かず飛ばずだった。

でもこういう写真が残っているところを見ると、サンデーモーニングに出たことがあるんですね。

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週末のブルベ、出ようか出まいか迷っている。
いろいろあって、今年は7月から自転車に乗ることができなかった。
この前、久々に50kmほど乗ったら、一発で首が筋肉痛になり、尻には3日ぐらい痛みが残った。

さあ、どうしようか。
200kmでリタイアするのは格好が悪いしなぁ。
先週の日曜日、女房が仕事から早くあがってきた。
ぎっくり腰になったという。

何年か前に、一度腰を痛めて以来、あまり腰が丈夫とはいえず
腰に負担がかかる仕事をしていることも手伝って、去年も一度痛めている。

先日、それを聞いた義母が駆け付けてきてくれた。
義父の四十九日も済まないうちなので、家を空けるのは少々気が引けたらしいが
少しさびしい気持ちもあったのかも知れない。

義母は二日いて、病院の予約があるからと帰って行った。

予定では明日から仕事に出るはずだが、とても明日からは出られそうもなく明日も
休むと言っている。はたしていつから仕事に出られるか。

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実は、土曜日の仕事場でこれを書いている。

去年の秋から携わってきた仕事が、今月いっぱいで納期を迎え、ひとまずの区切りを迎える
ことになった。

のだけれど、一本だけプログラムが出来上がっていない。

東京の本社に作らせているうちの一本がまだ出来上がっていないのだ。
昨日の時点で「31日に出来上がらなかったら、自分が引き取って月曜の朝までに徹夜で」
という覚悟をしたが、とりあえず土曜日じゅうに出来そうな気配になってきたので、今日は
出勤して、その出来上がりを待っている。

先ほど、できたという連絡をもらったので、テストをしたらうまくいかない部分がある。
差し戻して、修正が終わるのを待っている。

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とはいえ、来てくれていた協力会社の方の契約が満了になることもあり、そんな状態にも
かかわらず、昨夜はメーカーの人を交えて、メンバーと打ち上げ。

19時から始めて、2時間の打ち上げ。
久々の飲み会は、楽しかった。

気が抜けたのか、21時になると眠くてしょうがない。
二次会・・・はなかったが、あったとしてもとてもいく元気がなかった。

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自転車で知り合った方が、英雄になってしまった。
「一緒に走れて本当によかった」 田代、筒井、大谷がそろって完走を果たす オートルート最終・第7ステージ

目標を立てて準備をして、それを確実にクリアする。
そこまでのプロセスをずっと追いかけていただけに、すごいなと思う。

自分はといえば、今年10kg減量するという目標は、とりあえず8kgまで来た。
「会社から帰宅ランができるようになる」はクリアして、2度ほど帰宅ランをしている。

とりあえずはクリアしそう、あるいはクリアできたというところまできている。

さて、来年だ。
フルマラソンに出てみたい・・・というのは無謀だろうか・・・。
目標として掲げようかどうか、その段階で迷っている。
義父が逝った。
23年もつきあうと、血のつながりがないとはいえ喪失感が湧く。

義父はすい臓がんを患っていた。
去年の春ごろ、胃の不調を訴えて、地元の病院に行ったら胃炎の診断を受け、胃薬を処方してもらい飲んでいたが、一向によくならないので、夏ごろ、札幌の病院で検査を受けた。

もう末期だった。
治療をしなければ3か月、治療をしても保って一年という医者の看立てだった。
余命宣告はあまりあてにならないと聞くが、だいたい当たっていた。

亡くなる2日前、体調が良かったので、外出を許された。
食事も医者の許可が出ていなかったのだけれど、この日は何を食べてもいいとの許可が出た。
医者の温情だろうと思う。

体調が良いので、翌週行くはずになっていた墓参りに行くことになった。
海沿いの漁村が義父の出身地。病院からはそれなりに時間がかかる。
少し心配する声も出たが、休み休み、無事行くことができた。
墓参りを済ませて、「さっぱりした」と言っていたという。

帰路、寿司屋に寄り、うに丼と浜鍋を食べた。
海育ちの義父は、ほとんど肉を食べず、魚を好む人だった。
おそらく一年のうち、8~9割は魚を食べていたんじゃないかと思う。
この日は久々の食事のうえ、本当に好きなものを口にして、とても美味しそうに食べていたという。
伝え聴きのように書いているのは、僕は自分の親父の七回忌でその場にいなかったからだ。


その2日後に義父は逝った。
僕は偶然に出会うことが多いけれど、自分の親父と義父の祥月命日が1日違いになった。
絶対忘れることがない日に、義父は逝った。

「人生最後に何を食べたいですか」という質問を聞くことがあるけれど、義父は本当に自分が大好きなものが、生涯最後の食事になった。
辛い闘病の最後に好きなものを食べることができて、よかったなと思う。

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何年か前の正月、実家から自宅に戻りしな、義父にタバコを1カートンプレゼントすることにして、コンビニで買い求めた。
200円台の頃に煙草を止めてしばらくたつ僕は、タバコの値段などわからなくなっている。
1カートン5000円近い値段に目が飛び出そうになりつつ、実家へ戻り、義父に「正月だから」とタバコを渡した。

「やいや、いいのに」と言いながらも、嬉しそうにしていたあの時の顔を思い出すと、涙ぐんでしまう。

安らかに眠って欲しい。
会社からの帰り、マンションの敷地にさしかかるあたりから、雨がポツポツと落ちてきて
駐車場に止め、車から降りたらみるみるうちに雨脚が強くなってきて、家に入ったら
家の中からでも外のザーザー降る雨の音が聞こえるぐらいになった。

帰ったら、朝の6時半から働いている女房が仕事から帰ってきたばかり。
この数日は残業でヘロヘロになっているのだけれど、今日は一段とヘロヘロなので、外食を
することにした。
8月に家の近くにできたスープカレーの店のハガキが郵便受けに入っていて、1100円
のカレーを400円値引いてくれるというので、いつ行こうかと思っていたが、今日行く
ことにした。
$higeizm

天竺というこの店、スープカレーの店の中では古参の部類に入ると思う。
もちろんアジャンタやスリランカ共我国程古くはないが。
その天竺がどういう事情かわからないが、麻生の本店をたたんで、清田に本店を移すそうで
まだ旧本店は閉めていないが、清田店は先行して営業している。

久々にお店でスープカレーを食べたが、この店のスープカレーは薬膳系で、アジャンタが
好きな自分の口には、とても美味しく感じられた。

会計の後、さっき使ったのと同じ400円引きのハガキを、また新たにくれた。
これからひいきにしようと思う。

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「日本維新」支持率が急落 「新報道2001」世論調査

世論調査を乱発する今の日本のマスコミが、短命内閣の原因の一端を担っていると思うので
問題だとは思っているが、この維新の会の支持率が落ちたことに関しては、そんなものだろう
と思う。

そもそも支持していた人たちは、そう深く考えているわけではなく「よくわからないけど
はっきりものを言ってくれる」みたいなことだけの理由だったと思うので。
下手をすると、国政に出る前に賞味期限が終わってしまう恐れもあると思う。

個人的にはTPPには反対なので、TPP推進派の維新の会は、僕は支持しない。
新自由主義はもうたくさんだと思っている。

このTPP。
日本は「物を売りたい」から参加すると言っている。
けれども、中国も韓国も参加せず、参加国で日本が狙いたいような大きな市場を持っている
国は、アメリカだけだ。
他はオーストラリアだ、シンガポールだと輸出に依存しているアジアの国ばかり。

そのアメリカも、よその国からものを買う気などさらさらない。
大統領候補の決意表明を見ても、輸出の強化を言ってはいるけれど、輸入のことなどひとつも
言っていない。
誰も日本から買ってくれる国などなく、今までどおり、アメリカに「テメェ、買えよ!オラ!」
と言われるだけなのは目に見えていると思う。

内田樹の受け売りではあるが、はっきりと歯切れがよく威勢のいいことを言う政治家はアテに
ならない。やたらと吠えるのは苦労をしていない政治家だ。
政権を取る前の民主党を思い出せばよくわかる。

ドブ板選挙を戦って地べたに這いつくばるような思いをしたり、色々な利害が絡み合って
調整が必要なところばかりを通って苦労してきた政治家は、0か100かの歯切れのいいこと
は言えないと思う。

面倒なことになると、威勢のいい言葉がどこかに行って、いつの間にかフェードアウトして
しまうのは、普天間のことや八ツ場ダムのことを思い出せば誰にでもわかることだと思う。

我々はもう騙されてはいけないのだ。