お風呂上がりに

『自分軸』について

急に、思い出したので、

記録として。




潜在意識と、そこに眠る叡智について

知る前のこと。

急に記憶が蘇ってきた。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



助産師の先輩に、

『(あなたは)わたしが、ない。

どうしたいん?』


と、聞かれたことがある。



期間をあけて。

何度も。



ある時は、

文脈上は、

私が矛先ではなく、

他の人が矛先になることもあったけど。




期間をおいて、

そうねー、

10数年間

同じ助産師さんだけじゃなくてね。

何人かに。。。

何度も、聞かれた。



『どうしたいの?』

と。



どうしたかったのかな?

その時の私には

どうしても

喉が詰まったようになり

言葉には出来なかったなー。




そして、その時のわたしには、

『自分がない、

私がない』

という言葉が

猛烈に、きつかったなー。




ぷっしゅーって

胸を刺されたような痛みがあって

胸骨から喉が

苦しかった。




『やりたい』と思ったことを

やっとの思いで伝えたら

『うーん、そうじゃない』

とか

『よくわからない』

とか

『そこまで考えなくても』

みないなダメ出しも喰らい。




じぁあ、どういう言葉を使えば

わかってもらえるのだろうか?

何を言えば、

この人はマルをくれるのかしら?

と、困惑したよね。



針のむしろ、って、このことだな。

なんで、こんなイジワルなことを

言うんだろ?

って不信感もあって。




でも、

『自分軸を持たなきゃ』

『自分の言葉で話さなきゃ〜』

そんなふうに

脅迫的に感じていたの。



よく、逃げなかったな、とも思う。



逃げれなかった私だった、

とも思う。




そこから逃げれば、

せっかく作り上げた牙城が

崩れ去ってしまう、

そんな予感がしてたのかね?笑笑




(結局、牙城も何もない、

何もない私の

ただの幻想だったと

潜在意識の仕組みを知り

ヒプノセラピストになり

セルフヒプノや、

瞑想で、

自分の深い部分を

ジャッジなく、責めることなく、

向き合うようになってから

気づいてしまった。

そして、針のむしろと感じていた場所も

『ここは、違う』

と思って、

その場を去ることを

自分で決め、去った。

あれからだいぶ経つような、

そんな気がする今、

あの頃とは全然違う感覚で

深い安心を自分の中に持っていて

私自身を抱きしめて

生き始めている)





ともかく、あの頃の私は

どうしたい、と表現する言葉を持たなかったし

表現して良いという許可を私に与えていなかった。




あの頃の私は、

私を表現したことがないだけで

本当は、

『私』はいつもそこにいる

と言うことも知らずに

『私がない私』

と思いこんで

表現出来ない自分を、

ものすごく責めていたのだ。




あの先輩の本意は

[素直に言えばいい]

ってだけだったのか

[命に向き合う助産師が、

自分の本命に向き合わないのは

ナニゴトだ!]

みたいな

そんな事を教えていてくれたのかも

って、理解しているんだけど。

本当は、どうなのかな?



言葉って、

その人のもつ背景や

価値観が乗っかってるから

そのまんまの言葉じゃないこともあって

本当のところは何を教えてくれようとしたのか

いまでも、

よくわからないなー。

ゴメンなさい。

そして、他人の自分への評価など

今はどうでもいい。




原則として、

ダメ出しの気持ちを持ちながら

どんな言葉をかけてくれても

どんな言葉で問いかけてくれても

言葉の背後には

『アナタはダメなんだ』が

乗っかってるのを、感じるもんね。




そして

発する人と

受け取る人の共同創造で

出来事は成り立つ。




だから。

受け取る私の問題の捉え方が

そのようだった、

と言うことで

どっちが悪いとか、

良いとかでもない。



どうであれ、

あの時の私には

『私がない』という言葉は

『アナタはダメなんだ』

と私の脳内で変換されてしまっていた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


今日、瞑想タイムが終わって

考えがストップしたあとに

ふと、浮かんできた

上記の一連の記憶に対して



『でも、私をなくしていたから、

今日まで生き延びてこれたんだよね』



って子宮の方から声がしてきた。



『私がない』

と言う言葉と


『早く、強く、もっとたくさん』

って言葉に


第1チャクラから第2チャクラ

つまり、

会陰から子宮のあたり、

が反応してきたから


その感覚と記憶を

よく観察してみたら


『だって、私のそのまんまだったら

いのちが繋がらなかったよ。

生きてこれなかったよ』




って浮かんできた。

なんだか、妙に納得。





本当は、おっとり。

ゆっくり。じっくり。

深く考えてから、動く。

だけど

『早く早く急ぎなさい』と

自分を急き立てていた。




本当は、甘えん坊で

泣き虫で、

抱きしめてほしくて、

不安いっぱいだけど

『強くて、しっかりしなきゃ』

と奮い立たせて。




でも、一方では

そんな自分を、誇らしくも思っていて、

そこに所属している自分や

成長できていく自分に

拍手を送ってもいた。



ハリボテの自分だったけど

それでも、

誰かを笑顔にできていたし

誰かの笑顔が純粋に

嬉しかった。



結局

『私』を周りに合わせて

表現していたのも事実で

それが段々と居心地わるくなってたんだけど、

『自分軸を持たない』

ことで、

たくさん、出来る様になったり

沢山得てきたこともある。

ってことだな。



だから、

焦って、自分軸を持たなきゃ、

なんて思わなくっても良いし、

自分をなくして動く時があってもいい。



大丈夫なんだよねぇ、

どんなことがあっても。



そのうち、

出てきたきゃ、

勝手に出てきやがる。


拗ねて、泣き喚き

暴馬に乗った

本当の私が。



その時に、

そんな自分にビックリするかもしれないけど

そんなアナタから離れていくヒトもいるけど

まぁ、それも、

ご縁というもので、

その時のアナタに、

必要なヒトというのは

必ず現れてくれる。



天の采配というか

潜在意識の采配は完璧。



大丈夫だよ。




そんなビックリな自分が顔を出してきた時に、

フワッと笑って

『おいで』って

受け止めることが出来る私が

育ってきている。



今年、

1発目のブログがコレかよ、

って笑えるけど、

何かが変わりだしてる。

そんな気がする。


また未来の自分が

読んで色々気づくでしょ。



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