わたし、
『頭がいい』
って言われることに
めっちゃ反発してた。





わたしは、よく、他人に
『頭がいい』って
言われていたけど、
その人の言う
『頭がいい』は
褒め言葉ではなかった。





褒め言葉ではないと
感じるから、

褒めて欲しいわたしは
本当に
腹の底からムカついていた。






いつもいつも
怒られないこと、
褒められること、に
私の意識を
全集中して。



怒られないこと
褒められることを
基準に体を動かしていた。




母親とか
母親に変わる他人の目線で
自分の行動を判断して
とにかく褒められて
認めて欲しかった。




他人に
認めてもらえること。
褒めてもらえること。

その際たるものが
私にとっては、
助産師という仕事、

だった。


かもしれない。

って
いま、感じていて。。。




『認められたいから助産師をしている』

という事実を

認めたくない自分もいるけど

そうだと認めないと、

前に進めない。





落ち込むわ。。。

でも、

いまは、

わたしは、
他人がどう見るかじゃなくて
私が満たされたいし
私が私を許したいし、
私を生きていきたい。





私が、どうしたいのか。

何をするか、じゃなくて、
どうありたいのか。


ただその一点に集中して


わたしを見つめたら、


いまの、私は、助産師として仕事をするって


もうこれ以上、無理だったのです。


優等生の助産師は、やめる。




この記事よんで、
私はいまの気持ちを
ブログに書かずには
居られなくなった。




優等生は、
どうすれば怒られないか、
どうしたら誉められるかで、
頭がいっっっぱいなの。


それを、
“人の顔色を伺う人生”
っていうんだよ。


自分のやりたいことなんかより、
他人の顔色の方が大事、って、
そんな可哀想な生き方ないよ。






あぁ、
その通りです。



わたしは、
もう、充分に
他人の顔色伺った。


そして、
疲れ切ってしまった自分に
気がついて、





自分を生きると決めた。





わたしが抑えてきたことを
いとも簡単にやってのける
我が子相手に、
散々、イライラして八つ当たりして
そして
私の本性を認めざるを得なくなった。





去年、
ヒプノセラピー、
催眠コーチングを学んで
その時も、
人の目を気にして
『スキルアップのために』
とか言ってたけど




自分のためです。

自分を解放したかった。

優等生の皮をかぶった
かまってちゃんな私。

もう、いい加減
自分を見てくれよと。





さやちゃんが、
発信していること、
わたしが言葉にできなかった言葉の数々に
癒されてる場合じゃない。




私が私を見つめて
私が、わたしの言葉で表現して
私が、わたしを理解したら
それで良い。




もっと表現したいし、
もっと楽しみたいし、
もっと知りたいし、
もっと体験したい。



それを、これから表現していきます。