上杉隆 著 「ジャーナリズムの崩壊」を読んでから頭の中から離れない文章がある。

書の多くを割いて述べた「ジャーナリズムの崩壊」は日本の記者クラブ制度がいかに本当に意味での「ジャーナリズム」の足かせになっているかということが印象に残っているのではない。

忘れられないのはニューヨークタイムズが新聞記者として、あるべき姿を述べた<Rules of the road>の五つの文章である。

・ 多様な価値観を受け入れろ

・ 責任は受任すべし、だが権威は委任すべし

・ 常に大局的に捉え、ユーモアのセンスを忘れるな

・ ジャーナリズムは神聖不可侵のものと心得よ

・ カネの亡者となるなかれ

全て納得させられる内容だが、3つ目に注目してもらいたい。

神聖不可侵なものにユーモアを持って取り組むことに驚いた。(実際にニューヨークタイムズが面白いのかは私は知らない)

日本の新聞記者個人がユーモアに溢れているかは別として、日本の新聞記事にユーモアのカケラも見当たらない。強いて言えば、読者投稿の川柳コーナーくらいだろうか。

 

日本の新聞がユーモアに富んだ面白い紙面になってもらいたいわけではない。しかし、日本の新聞記者も方針としてユーモアの精神を持って取材しても良いのだ、という気持ちがあっても良いと私は思う。そういった精神を持つ(無意識的に心掛ける)ことで、取り組む物事の事象を今までと違った目線で見ることができるのではないだろうか。そういったちょっと、視線そらした先に思わぬスクープが転がっているなんてことがあるかもしれないと思った。

社の方針としてユーモアを持つことを掲げているニューヨークタイムズがうらやましいと思ってしまう。しかし、隣の芝は青く見えるなんてことわざのように、今日のアメリカのジャーナリズムにも問題がきっとあるに違いない。調べてみたいと思います。

「格差社会」 小泉政権が残した負の遺産といわれている。


富める者は一層に富み、貧しい人は一層貧しくなる。


貧しさを増す人達といえば、派遣社員の解雇の報道などが各メディアで取りざたされている。これはみなさんもご存知だろう。


富める人は一層富みとはまさにこのことである。アメリカのビッグ3を始め国内の車業界は相次いで不振にあえいでいる状況の中で、高級車で有名なフェラーリは、なんと決算が大幅な黒字だというニュースを見た。

不況の中でフェラーリを乗り回す彼らにとっては、不況の風などどこ吹く風なのだろう。

ビック3の社長が自家用ヘリコプターで救済措置会議に出向いた話なんかも面白い。彼らには到底貧しい人の生活を理解することなどできないと私は確信している。


格差の話。


「AERA」12月15日号

ホリエモンはインタビューの中で、この社会で深刻なのは、「恋愛格差」だ。と述べていた。秋葉原での事件にしろ、最近の重大事件の犯人に共通して言えることは、「モテなさそう」と彼は述べている。

 犯行前日に彼女から未来を示唆するような言葉を投げかけられれば、犯行を思い留まってもおかしくない。人間の感情は多面的で複雑である一方、すごく単純でもあったりするのではないだろうか。

 ホリエモンは、いわゆる出会い系サイトをネットの技術を駆使して拡充させようということを述べていた。国内だけでなく、世界の人と出会うような出会い系が理想なのだそうだ。 日本人女性にエキゾチックな魅力を感じる外人男性がいれば日本のモテない女性に恋人ができるかもしれないからという。

 これは確かに間違ってない。 

山田花子はモンゴルでは絶世の美女の扱いを受けているらしい。

 真面目だけどちょっとふざけた視点を持つことができるホリエモンの着眼点は素晴らしいと思う。

 恋愛格差が快方に向かえば、社会は今よりずっと平和になるかもしれない。

もうすぐクリスマス。恋人がいないからっていじけちゃいけないと思う。

来年の今頃は恋愛格差が少しでも埋まってることを願って止まない。

今日のジャーナリズムが抱える問題の一つとして記者クラブを重宝するがゆえの「発表ジャーナリズム」がある。ゆえに各新聞社の新聞の記事はどれも同じような構成を持つ結果となっている。新聞は根本的に つまらない という印象を与えている原因はこの画一的な紙面構成にあると私は考えている。

話は脱線するが、アメリカの大衆紙ニューヨークタイムズの記者の3つの心得の中の一つには「ユーモアの精神を忘れないこと」という一文がある。日本の新聞にはユーモアを感じられる記事が全く存在しない。しかしアメリカの新聞と日本の新聞は大きく形が異なり、ニューヨークタイムズなどはどちらかといえば、日本の週刊誌のイメージに近いということが言われている。同じ土俵でみることはできない。 

話は戻して、発表ジャーナリズムはジャーナリズム論を唱えている人びとが声を揃えて問題視されているが、発表ジャーナリズムの反対言葉、調査報道(リクルート事件の様に新聞社の調査に基づいて記事を書く)も少数ではあるが行われているということに今日気づいた。

2008年 12月5日 読売新聞の社会面に掲載されていた記事が目に留まってスクラップした。元厚生次官宅襲撃事件の犯人の供述から浮かび上がる犯人の性格や事件の動機などを分析した記事だ。見出しは「犬の死 都合よく美化」。

この記事では、犯人の取った行動や生い立ちに着目し、犬の敵討ちという名目の事件の裏側に迫ろうとしている。結果、何度も転職を重ねた経歴に着目し、「劣等感など自分の内面にある本当の動機を、『犬の敵討ち』という表層で覆い隠しているのではないか」という結論に至っている。

そして今日12月12日 同じく読売新聞の朝刊 社会面には、「生きた証し残すため」という見出しで、元厚生次官襲撃事件の犯人の供述を紹介している。「自分は社会から孤立した存在だった」「社会の注目を集めたい」という供述をしている。

保健所に殺された犬の敵討ちが動機の事件として片付けられてもおかしくない事件を読売新聞は調査し、分析しようとしたのである。結果多少の食い違いはあれど、犯人の事件への動機が犬の死だけでないということが浮き彫りになったことは間違いない。

まさに調査報道ここにありである。

丁度一週間前に掲載された前者の記事は結果的に正しい調査報道であったということに、気づいて朝から嬉しかった。

リクルート事件などの調査報道などの規模にはおよばないが、今日でも「一応」は調査報道が行われている。

日本の新聞には、ユーモアのかけらも無い。でも面白さっていうのは笑いにつながるものだけではないし、日本の新聞にもこのように面白い部分が隠れているのである。

こういった発見はユーモアがもたらす面白さと同等、いやそれ以上に私達に面白さを与えてくれるのではないだろうか。