昨日は聖書に登場する植物ヒソプについて書きました。

今日は聖書の民数記に登場する「うずら」について書きたいと思います。

 

 

エジプトで奴隷の身分であったイスラエル人々は、紅海を渡り、荒野での生活をはじめます。

それは「神の民」として生きる、新しい生活のはじまりでした。

どのように生活するのかは神様が直接的にモーセを通して語られました。

神の民として生きるための新しい生活に対して、人々から不平不満が出てきます。

「肉が食べたい、ニラもたまねぎもにんにくもエジプトにいたころは食べられたのに」

それに対して神様は、一か月も食べ続けることができほどの肉を人々に与えるとおっしゃいました。

当時、成人した男性だけでも60万もの人がいました。

さて、神様は どのように肉を人々に与えたのでしょうか。

 

民数記11章31節~32節

さて次の日、主が風を起こされると、海の向こうからうずらが、その風に乗って飛んできて、宿営の周りに舞い下りた。

一日の道のりの辺りはみな、うずらで一杯であり、1メートルほどうず高く積まれるような有様であった。人々は一日中、朝から夜中に至るまで、うずらを捕まえた。それは翌日までも掛かった。一番少ししか捕まえなかった人でも、今で言えば、3.6キロのドラム缶い一杯くらいは集めた。それを宿営の周りに広げて干した。 『現代訳聖書』(現代訳聖書刊行会)

 

大量のうずらが空から下りてきて、

久しぶりに食べたかった肉が食べられてよかった、、、と終ればよいのですが、

 

33節

その肉を全部食べ尽くさないうちに、肉が食べたいと言って主につぶやいたため神の罰が下り、伝染病が起こって、大勢の者が死んだ。

 

 

これまでの生活習慣や思考を変えることは容易ではありません。

クリスチャンとして生きることは、これまでの生活習慣を変えること、思考を変えることになるかもしれません。

いままで普通に行っていたことが、友達がやっていることが、多くの人がやっていることが、できなくなることかもしれません。

意識せずに変わっていくこともあれば、決断して変えていかなければならないこともあります。

 

生きる基準を聖書に見出す、

そのために

毎朝聖書を開きます。