
【石坂流鍼術研究レポート6】
p54より抜粋
〔現在広く活用されている非西洋医学的療法は、石坂流鍼術からみて、そのほとんどが生命の質を高めていくという意味では、むしろマイナスの効果をもたらすものが多い。また以前は有効であったと考えられる療法も、ここまで人間の生命力が低下してくると、有効な治療になりえないことが多い。〕
- さいきん多くの人々が、西洋医学の限界を感じるようになってきた。それとともに鍼にたいする関心も高まっている。
が、一口に非西洋医学といっても、それは様々あります。鍼療法、それも石坂流鍼術はいまや異端になってしまって、多くは中国流の鍼です。それに漢方薬療法。さらに指圧。お灸。またヨガ、整体、整骨、断食療法なども行われている。
漢方薬療法は副作用がなくていい、といわれていますが、どうも根本的には治らないようだという人もいます。昔から薬石というように、漢方薬と鍼は昔からの二大療法のようにみられていますが、鍼と漢方薬の直し方は基本的には同じだったのでしょうか。
町田:そうですね。
- つまり漢方薬療法は薬草などを使って、体内から硬結や空洞症をなくしていく。そうすると直接、患部に鍼をさす鍼療法とは、どちらが早くきくか、という違いがあっただけで、昔は漢方薬も効いたわけですね。
ところがさいきん漢方薬がきかないといわれているのは、身体が極端に悪化して、劇的な強い療法をしなければ効果がない、ということなのでしょうか。
町田:そうです。実は大分前からそうであったと思います。質のいい硬結であれば、漢方薬でも効くはずですが、しかし、硬結が悪質になっている、空洞症になっているという場合には、漢方薬では非常にむずかしいと思いますね。
人間の身体はその生命の段階に応じた刺戟量を求めているのです。飲んでいる漢方薬の質、量と身体が要求しているものとがつねにあっていればいいのですが、それを漢方薬で実現するのはむずかしいのではないでしょうか。
- 鍼の場合、身体の状態に応じて強さを変えられる。
町田:そうです。それに場所によっても自在に変えることができる。
山口考察
漢方薬の処方の仕方も流派が沢山あるのですが、現在日本で多く行われているのは、症状に合わせて漢方薬を選ぶ手法が多いと感じます。鍼灸で例えると、これは便秘のツボ、ここは頭痛のツボと配穴するようなものでしょうか。
伝統的な手法を重んじる先生は、望診(視覚情報、色、動き、舌診)、聞診(臭い、音、話し方・身体から出る音)、問診、切診(直接触る検査、脈診・腹診など)をしっかり行って、身体の状態に合わせて処方されていると思います。
漢方薬は副作用がないという話は風説で、伝統治療では「処方を間違えると、重症化する。」とキッチリ伝えています。
それでも、生薬は自然物を用いているので、身体に蓄積されている薬物や添加物を除去しきるのは、難しいのではないかという話もあるのだと推測します。
- もうひとつ、指圧療法については。これも鍼と考え方は同じだと思います。ただ現在のように、さまざまな原因で、空洞症や悪質な硬結が生まれてくるような段階になってくると、指圧のように、身体の上から圧した刺戟という治療方法ではムリがある…。
町田:そうです。
- お灸も含めて、昔から日本で使われていた療法は元を辿れば、同じ考え方にもとづいた治療方法だといえますか。人間の生命段階が昔のように高い水準であれば、これらの療法でも充分治せた。
町田:そうです。
- たださいきんの整体、整骨というのはどうでしょう。あれは空洞症や硬結と骨の曲がりなどは密接な関係があるのに、それを空洞症などを治さずに、骨だけを治そうとしているようにみえますね。
町田:そうです。これは効果があるどころか害があります。私のところにも、かつて整体でかえって悪化してしまった患者さんが何人も観えましたが、骨だけ真直ぐになりすぎてしまっていて、すぐにわかりました。
また鍼をさしても、始めは何も効かなくて、空洞症を治療しても何の反応もなかったのですが、そのうち空洞症の奥に硬結が出てきました。ところがその段階で特有の反応が出てきてよくわかるのです。患者さんには何もきく必要はないし、患者さんも言いたくないでしょうから黙っていましたが、整体治療の結果がどんなものになるかは、すぐわかってしまいます。
- 身体のバランスが崩れてきて、たとえば内臓を支えるために、骨を曲げて支える、その必要性から骨が曲がっている。それなのにその原因を治さないで骨だけを治すのは、障害があるということですね。
町田:骨を治すときに、その内臓なり崩れたところが一緒に治ってくれればいいのですが、もし治らずに骨だけ治すと、これはえらいことになります。
- さいきん断食療法というのがひろまっていますが、その考え方は、身体の中心、とくに背骨の周囲に毒素がたまっており、それは主要には薬物である、と。食品添加物とか薬などの残留毒物。それを出してしまわなければいけない。断食をすると身体は弱るが、ある段階で薬物が出る、そうして身体は回復すると考えているようですが。
町田:残留薬物といっても、身体の浅い所から内臓のまわり、あらゆるところに薬物は入りこんでいます。ですからいちばん望ましいことは、身体のいちばん深いところにあるものを出すことですね。例えば抗生物質は、どうも身体の深部に結晶体のようになって残っているらしいし、また眼の奥とかアゴのまわりにも残る。そういう深い所にあるものをまず出す、それが治療の基本です。
つまり手でさわってわかるような浅い場所にあるものだけを出そうとすると、そのとき中間にたまっている薬物がさらに奥に入ってしまうおそれがある。現実にそういうことがおこるのです。だから、とりあえず表面近くにあるものはそっとしておいて、深い所にあるものから出していく。私の場合はそういう考え方をとっています。生命力がついてくれば自然に出ていくのですから、表面にあるものは放っておいてもよいのです。
- 薬物といっても細胞のなかに入りこんでいるものもあるし、硬結と結合しているような悪質なものもある。断食療法によって、すべての薬物が出てしまえばいいけれど、表面的なとりやすいものだけをとってしまえば、実際は悪質なものが残ってしまう。
町田:そうです。断食の間に体力も消耗しますから、そのすきに悪質なものはさらに悪質化すると考えられます。それは断食療法だけではなく、さまざまな療法についていえると思います。ところがこのような療法をもちいると、一時楽になることが、多いのですね。鍼でもこういった鍼をしようと思えば、一時患者さんは楽になるのですね。私の場合そういうことはしない。むしろこういう安易な療法をもちいると、本質的には身体を悪くしてしまうと考えています。
私の療法では逆に症状としては一時悪くなるというときがあるのですが、考えてみればそれが当然のことなのです。
- つまり町田先生の治療法では、治療していく過程で、むしろ症状としては悪化していくことがある。それは一向にかまわないし、そうなる方が普通である。
町田:そうです。一時楽になる、という治療法は表面だけしかみていない。人間の身体の深さをみていない。
- 人間の身体がかなり悪化しているのに、ちょっとした療法で一時楽になる、ということは、生命を低い段階で安定させてしまうことになる。
町田:そうです。どうしてそういう安易な考えになるか私にはよくわかりませんね。人間の身体をみていれば、身体全体をひとつの生命としてつかむことが、どれほどむずかしいかすぐわかるのに、治療がそんな安易なものであっていいはずがない。
- すでに悪くなっていた身体がよくなっていこうとするとき、そこに摩擦が生じて一時的に症状が悪化するのは当たりまえである…。
町田:そうなんです、よくなるはずなんてないんですよ。どうしてそういう考えに陥ってしまうのか。
- 悪いなりにとれていたバランスが一時的に崩れるわけだから、症状としては一時的に悪くなる。
町田:そうです。ただ私にとって救いがあるのは、人間には理屈ではない世界があることですね。症状は悪くなっていても、いまおこなわれている治療はひょっとしたら信用してもよいのではないか、この治療を続けていけば、この苦しさを乗り越えていけば、よくなるのではないかと感じる力を人間はもっているということですね。生命の危機に対して、人間の本能が目を醒すのですね。私は治療をしていて、この人間の力に大きく頼っているのですね。人間の本能に大きく頼って、自分の仕事をしているのです。
山口考察
中医学には、内外表裏という考え方があります。
特に漢方理論では、身体の表面に邪(毒)が残っているのに、内部に力が無くなってしまうと、表面の邪気が内臓に侵入し重症化するとあります。
どうして論理は似ている所があるのに、意見が違ってくるのでしょうか?
1つ大きな違いは、人間の身体を診る際に、知識や体表観察で間接的に捉えるか、石坂流鍼術のように人間そのものを直感的に捉えて施術していくかだと感じます。
情報を間接的に捉えると、どうしても大元からずれて行ってしまいます。
また観念が邪魔をし実体からどうしてもずれてしまうのです。
ただ伝統鍼灸のどの流派も熟達するほど、治療が直感的になっていくのはうかがえます。
石坂流鍼術は、患者の身体に合わせて鍼を刺して行きます。
それは施術者の意志を出来るだけ省いて、患者の身体の反応を直感的に読み取る事で可能となります。
これは決して難しい事ではなく、施術者の感受性に合わせて硬結は観えてきます。