天皇家と日本を守る不思議な力 | ひふみ塾 世回りブログ

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日本は歴史上、世界最古の国家だが、その根拠は一系の天皇家が建国以来、実権はともかく形式的には頂点に君臨し続けてきたことによる。一系の家系とは、男系継承で続いてきた家系のことで、いわゆる万世一系のことである。女系天皇などというおかしな概念が生まれたせいで、男系継承などという言葉が生まれたが、一部の例外を除けば、世界共通で家系は父方の血筋を元に記録されている。遺伝子的にはY染色体の受け渡しで継続される家系のことだが、これは男女差別云々以前に、男女の役割の差に過ぎないと思われる。

日本の歴史上、天皇の地位に成り代わろうとしたり、万世一系を脅かし、天皇による統治を脅かしてきたものは、ことごとく挫折してきた。現在の日本の教育では当たり前のように教えられ、特に解説もされていないので、何の感慨もない人も多いと思うが、その辺りの事象をまとめてみたのでご覧いただきたい。


連綿と続く日本の歴史。国号が変わらないのは万世一系の天皇家の存在ゆえである。

皇位簒奪の挫折

蘇我氏
蘇我氏は大王家(後の天皇家)を凌ぐ権勢を誇り、遂には自身が大王になろうとしたため、乙巳の変により滅ぼされた(Wikipedia「皇位簒奪」)。 

道鏡
弓削道鏡は、「聖武天皇の出家(神⇒仏)、孝謙太上天皇の再即位(仏⇒神)など神仏混交が進み天皇の地位が変質するなか、孝謙天皇(称徳天皇)の看病禅師として宮中に入り、寵愛されるようにな」り、「天皇に準ずる法王に即位し、家政機関も設置されるなど事実上の女帝との共同統治者となり仏教事業や神祇を司った」。「更に二人の二頭体制によって皇太子を経ず形式的に天皇に即位すべく準備が行われた」が、「間もなく女帝が死去した為実現しなかった」。(同上) 

平将門
平将門は、「八幡大菩薩の使いを称する巫女が宣託を告げ、興世王から「新皇」の号を進呈されたという。新皇位への即位は京都朝廷へ奏上を行っており、相対する新たなる天皇という意味で新皇を名乗った。」しかし、「敵対勢力への対応に忙殺されて翌年には討たれ」た。(同上) 

足利義満
足利氏は、「南北朝の動乱により、天皇家と公家勢力の権力及その権威が低下すると共に、足利幕府の成立以来、その権威は天皇家に迫り、実質的に日本の君主としての役割を担った。とりわけ三代将軍足利義満は朝廷への影響力を強め、公武を超越した権威と権力を持つに至った。」「晩年には、実子義嗣を親王に準ずる形で元服させた。しかしその直後に義満は後継者不指名のまま急死し、四代将軍となった足利義持や幕府重臣により先例無しとして太上法皇位の追号も取りやめられ、朝貢貿易も停止された」。(同上) 

織田信長
戦国時代後期、織田信長は足利義昭を将軍として上洛を行ったが、程なく信長と義昭の間に対立が生じ、その結果義昭は追放され室町幕府は滅亡した。また信長は、時の正親町天皇とは当初協調路線をとっていたが、しだいに自らを神格化するような行動を取り、さらには朝廷が決定する暦の制定にまで口をはさむようになった。朝廷は、まず信長を右大臣とし、更には太政大臣、関白、征夷大将軍のいかなる官位をも授けると打診したが、信長はそれを辞退。

その一方で京都で馬ぞろえ(軍事パレード)を行い、朝廷を威嚇したとされる。この様な行動から、信長は天皇を廃して自身が日本の王になろうとしたのではないかという説がある。そのため、朝廷を敬う明智光秀によって本能寺の変で殺されたとされる。いわゆる「朝廷陰謀説」である。(同上)

女系天皇容認論議の頓挫
小泉元首相が、皇統断絶、家系乗っ取りを意味する女系天皇容認論をぶちあげ、マスコミを始めとする反日勢力もそれに賛同。反対したのは自民党内の保守派だけだった。皇室典範改正の一歩手前までいったが、不思議なことに、あわや女系天皇容認が実現するかという時、秋篠宮家に悠仁親王殿下が御誕生し、その後、女系天皇容認論議は頓挫。小泉の背後にはロックフェラーがいたという噂もあるが、その後、ロックフェラーはサブプライム問題で大損害を蒙っている。



外敵編

呉の孫権
『三国志』で有名な呉の孫権は、皇帝の位についた翌年の黄龍二年(二三〇)、徐福の子孫が住むという亶州と夷州とを求めて将軍の衛温と諸葛直に兵一万を与え、東海へと船出させた。しかし、二人の将軍は夷州[台湾]から数千の住民を連れ帰ったが、肝心の亶州[日本]には行き着けず、帰国後に命令不履行ということで孫権に殺されてしまった。

元寇
日本の文永11年・元の至元11年10月(1274年11月)に、忻都、金方慶らに率いられ、モンゴル人・漢人・女真人・高麗人など非戦闘員を含む3万人を乗せた船が朝鮮の月浦(合浦。現在の馬山)を出発し、10月5日に対馬、10月14日に壱岐を襲撃し、元軍はその後、博多を占拠したものの、日本側の反撃に遭い、終日の激戦で矢が尽き、軍の編成が崩れた。このため、大宰府攻略をあきらめ、博多の市街に火をかけて焼き払い、撤退することにしたが、夜中に暴風雨に見舞われ、艦船が難破するなどして大損害を蒙り、十一月二十七日(12月26日)に合浦に帰還した際には、派遣軍の不還者は1万3500余人に登ったという。

1281年(日本の弘安四年・元の至元十八年)、元・高麗軍を主力とした東路軍4万と、旧南宋軍を主力とした江南軍10万、計14万の軍が日本に来襲。しかし、防衛体制を整えていた日本側は、博多沿岸に約20kmにも及ぶ防塁(元寇防塁)を築いてこれを迎えた。この時の日本側の兵力は4万だった。

江南軍は、総司令官が病気のために交代したこともあり、東路軍より遅れてやってきたが、両軍は、平戸鷹島付近にて合流した。しかしここで暴風雨が襲来し、元の軍船は浮いているだけの状態となった。これを好機と見た武士らは元軍に襲いかかり、これを殲滅した。元軍で帰還できた兵士は、のちに解放された捕虜を含めて全体の1、2割だと言われる。この戦いによって元軍の海軍戦力の3分の2以上が失われ、残った軍船も、相当数が破損した。

元のクビライは本格的に3度目の日本侵略を計画し、1287年に一旦解散した征東行省を再度開設し、高麗忠烈王が丞相に就任したが、この時期に元の内部でも反乱が続き、また大越国への侵攻の失敗などもあって日本へ軍が出せる状態ではなくなり、クビライの死と共に完全に頓挫した。
(参考 Wikipedia「元寇」)

大東亜戦争の敗戦
圧倒的な武力で日本軍を壊滅させ、原子爆弾と無差別攻撃で日本の国土を蹂躙した米軍でさえ、天皇の統治には触れることは出来なかった。国際法を無視したGHQに押し付けられた日本国憲法では国民統合の象徴とされるが、形式的、対外的には国家元首であり、その立場は制限を受けながらも維持されている。また、日本は敗戦後も、実質的にはともかく、形式的には植民地とならず、独立を維持した。日本は敗れはしたが、日本の奮戦により、欧米白人の非人道的な植民地支配が打破され、有色人種は白人の奴隷的な立場から解放された。戦勝国であるはずの欧米諸国は、アジア・アフリカの植民地の大部分を失い、凋落した。

ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。

ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。

平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。 しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。(オットーカロン博士 ボン大学教授 昭和25年) 




伊勢神宮に篤志家によって献灯された石灯籠に刻まれたダビデの紋章

旧約聖書の中で神は、古代イスラエルの王ダビデについて、「私は彼の王座をとこしえまでも堅く守る」と約束しているが、神話の時代から連綿と続く王家は、世界中探しても日本の天皇家以外には存在しない。

古代イスラエル民族は、現在の白人の容貌で知られるアシュケナジー系ユダヤ人(ハザール人)とは異なり、有色人種だったことは研究者の間では広く知られている。モーセもダビデもイエスも白人ではなく、有色人種だったのである。古代イスラエル民族は歴史上、行方不明となっており、いまだにその行方は判明していない。



悠仁親王殿下ご誕生にまつわる吉兆

日本の天皇家に危機が迫ると、不思議な力が働き、常に天皇の皇位が守られてきた歴史がある。日本が神国だというと、反日左翼偏向勢力の批判に晒されることが多いが、日本の歴史を正しく理解すれば、それもあながち的外れではないことが分かるはずだ。皇室あっての日本とは言い過ぎかもしれないが、日本という国が、形式的であるにしろ、由緒ある皇室を頂点に戴いて1500年以上の歴史を歩んできたことは動かし難い事実だと思う。

戦後に生まれた、天皇を否定したり馬鹿にするサヨク的価値観は、日本史的には異常極まりないものであり、1500年以上の日本の歴史の中で、異様な数十年間として存在している。ナチスのゲッベルス宣伝相が挙げた超国家的勢力(ユダヤ国際資本)の狙いとする心理戦、神経戦とは次の如き大要である。

愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定

「人間獣化計画」と呼ばれるものだが、項目の全てが現在の日本にソックリそのまま当てはまる。つまり、日本人が自分の意思だと勘違いしている価値観の多くが、戦後にジワジワ誘導され、洗脳された結果であるということだ。洗脳の実行犯がマスコミであり、教育であるということだろう。反日マスコミと日教組が日本人の敵であるばかりか、皇室の敵たる所以である。

多くの日本人が日本人本来の伝統的な価値観を取り戻して欲しいものである。自分は皇太子夫妻にはかなり手厳しいが、それは女系天皇容認論議に一枚も二枚も噛んでいるからで、反日勢力の皇統断絶、家系乗っ取りの企みに加担したからである。

逆に、秋篠宮さま御一家を擁護し敬うのは、皇統を守るために紀子妃殿下が悠仁親王殿下をご出産したからである。悠仁親王殿下をお守りすることは日本人の務めと言っても過言ではないと思うが、聞くところによると、宮内庁内部で、秘密裏に女系天皇を容認する動きもあるという。皇統の安定継承の方法は、歴史的に見れば、旧皇族復帰の方が違和感がない。むしろ、歴史上一度も存在していない女系天皇の容認の方が違和感だらけなのであり、反日勢力の根深さ、しつこさはまさに悪質と言えそうである。