生まれる意味 | ひふみ塾 世回りブログ

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子ども達の未来のために食や医療などの真実や嘘を暴いて行こうと思います!

夜路死苦お願いします!


**facebookページ”思わず涙する感動秘話”ページより転載**



僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。

彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、

十八年間の人生の中で、一度も自分の力でベッドから

起き上がることが出来ない生活を送り、

そして死にました。

急な死だったために、

僕があわてて病院に駆けつけたのは

死後一時間ほどしてからでした。

娘は既に冷たくなっていて、

一八歳にしてはずいぶん小さな体を

ベッドに横たえていました。

その夜、通夜が営まれ、お棺に入れられて

祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、

僕はなぜか

「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」

と感じたのです。

ふと祭壇の上の方を見ると、

そこに娘がポコンと浮かんでいました。

それは、生前の肉体の姿ではなく、

白く光る玉のように僕の目には見えました。

無事にお通夜を終え、

僕は翌日の葬儀に備える為に

教会の駐車場にあった車に戻りました。

車のエンジンをかけたときに、

僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。

さっきと同じ光る球体のようでした。

「一緒にお家に帰るか」

と僕は娘に声をかけました。

彼女は、

「うん、一緒に帰る」

と答えました。

不思議なことです。

生きているときは、言葉が喋れないために

一度も会話をしたことがない彼女と、

死んだ後ではまるで普通の人と同様に

会話ができるのです。

といっても、

それは鼓膜から通して伝わってくるものではなく、

直接僕の心に語りかけてくる

テレパシーのような通信手段でしたが、

それでも意思は完全に通じあっていました。

いろいろなことを語り合いながら、

車を運転していくと、途中で雨が降り始めました。

家に着いたときもまだ雨は降り続いており、

彼女は

「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」

と感激していました。

ずっと室内で暮らしていた彼女は、

雨というものを実体験したことがなかったのです。

その後、娘は(ヘンな話ですが)

自分の葬儀にも出席し、

しばらく我が家に滞在していました。

その間に

「お前はなんであの不自由な身体を選んで生まれてきたのだ」

と尋ねたことがあります。

娘の答えはこうでした。

『他の理由はあるけど、

私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、

パパは弱者に対してのやさしさが持てない人に

なっていたかもしれないの。

それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの』

この言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。

たしかに、

思い返してみれば当時の僕には

そういった傾向があったのかもしれません。

やがて娘は、

「もう天に帰るから」

と言って去っていきました。

痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、

彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。

障害をもつ子として生まれて、

僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。

これはすべて本当の話です。

もう一度言いましょう。

どんな人生でも無駄や敗北はないのです。

大切なのは無駄や敗北とみえたことから、

【何を学び取るか】なのです。


(景山民夫「さよならブラックバード」あとがきより)


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景山民夫氏ご本人は、自宅での失火により

50才で死去されました。

今世での学びは終えられたのでしょうか。

また娘さんと出会い、たのしく過ごされていると

いいなと思います。


【景山民夫】
生誕 1947年3月20日
東京都 千代田区
死去 1998年1月27日(満50歳没)

小説家、放送作家。
放送作家としての別ペンネームは、大岡 鉄太郎。

1968年(昭和43年)に放送作家となり
『シャボン玉ホリデー』を手掛ける。
1969年(昭和44年)にアメリカに渡り、
帰国後再び放送作家として
『タモリ倶楽部』『11PM』『クイズダービー』等、
数多くの番組の構成を手がける。

小説家としての処女作となる冒険小説『虎口からの脱出』で
第8回吉川英治文学新人賞受賞。
『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞受賞。

https://www.facebook.com/kandouhiwa

*****終了*****

小さい頃から人はなぜ生まれてくるのかとずっと考えていた。

どうして生まれながらに不幸と呼ばれるような障害もって生まれてくる人や、過酷な地に生まれて来るのか・・

逆に何不自由なく天寿を全うする方や、守られた環境を生まれながらに持っている人もいる。

「人生は一度きり」という言葉がある。

それが本当であれば、神も仏も無く、ただ自分の人生に意味も見出せず、がんばる事も、楽しむ事も、また傷ついたり悲しんだりする事も何も意味が無いのだろうかと考えてきた。

しかし大人になるにつれ、自分なりに常識外の事や、目に見えないものの中にこそ生きる意味を感じ始めた。

胎内記憶や前世の記憶、臨死体験などはとても嘘と片付けてしまうにはあんまりだ。

祈りの力は科学のメスが入り始め、意識の力は量子力学が証明しつつある。

宇宙の始まりも終わりも全く分かっておらず、そもそも人間はどうやって生まれたのかも全くわかっていない。

僕達は一先ず目に見える物事だけを真実としてきた。

それを外れた事を口にするだけでおかしな人だとされてきた。

しかし、魂は存在すると確信に至る。

そうすると今まで何の為に生きるのか、どう生きるのか、そういった事が腑に落ちた。ハラが座ってきた。

とにかくお金が全てだと思って生きてきた時もある。

その為に人を傷つけた事もたくさんあるし、傷つけられた事もある。

今振り返ると、そうした事も全て意味があったのかも知れない。

人間は、生まれるときに一つの封書を持って生まれてくる。そこには自分の役割と使命が書かれている。

その封書をまずは探し、気づき、その封書に書かれたモノを全うする事により、また新しい人生が始まると言った話を聞いた事がある。

それが本当であるならば、生れ落ちる境遇も、全て意味があるのだろう。

そこからどう生きるのか。

僕達は肉体と言う神様からお借りする乗り物に乗り、今世で魂を磨きにきているのかも知れない。

少なくとも僕はそう信じているし、そうやって生きようと思っている。

現代社会の常識とは全く違えども、魂の求める方にこそ、人生の進むべき道を信じる。

小さくとも、与えられた使命と課題を全うしたい。