新たにブログをスタートします★
心機一転、ブログを新しくしました!
→♥♥♥heart×7000000000∞♥♥♥
まだ 新しい場所に慣れていませんけど・・・。
これまでと変わらないペースでブログやっていきますんで、宜しくお願いいたしやす!
今までのブログもこのままにしておきます♥
どうぞ これからも 宜しくお願い致します ぺこり♥
陽だまりの中で
雑踏に疲れ
錆びれたビルの階段に座ってみた
それは何処からか
まるで陽だまりのような優しい歌声が私の耳に触れた
その瞬間
今まで冷えきっていたわたしの体と心にじわりじわりと熱が染み渡る
胸の奥深くが揺れた
鼻がツンとなって喉の辺りが苦しくなる
気づかぬ内に私は泣いてた
あなたの歌声は寒々とした私の世界を陽で照らしてくれた
あぁ
わたしずっとこうしていたい
この陽だまりの中でずっと
あなたの歌声に抱き締められていたい
錆びれたビルの階段に座ってみた
それは何処からか
まるで陽だまりのような優しい歌声が私の耳に触れた
その瞬間
今まで冷えきっていたわたしの体と心にじわりじわりと熱が染み渡る
胸の奥深くが揺れた
鼻がツンとなって喉の辺りが苦しくなる
気づかぬ内に私は泣いてた
あなたの歌声は寒々とした私の世界を陽で照らしてくれた
あぁ
わたしずっとこうしていたい
この陽だまりの中でずっと
あなたの歌声に抱き締められていたい
りちゅさん♥

ニュースによれば2月からインフルエンザの患者さんが増えるそうなので、みなさんくれぐれも気を付けてくださいな

りちゅさんの写真でも見て心も体も癒されてください

↑この写真たちを加工してみたよぉ↓
りちゅマウス♥
りちゅラビット♥
りちゅキャット♥
なんちって♥
★江原さんの言葉★
すべてのたましいは、究極は一つの類魂です。
そして、神につながっています。
ですから、他人の否定は自分の否定と同じです。
自分の否定は他人の否定につながります。
ひいては神をも否定することになるのです。
人間というものは、すぐに人を裁きたがります。その人をまるごと知っている訳でもないのに、ほんの一端を垣間見ただけで、人格や行いのすべてを簡単に否定してしまうのです。
この人はいい、あの人は悪い。
この行いはいい、あの行いは悪い。
自分自身の中にある小我ゆえの偏見に気付かず、愛のない言霊を吐いている人の、なんと多いことでしょう。
スピリチュアルな視点では、そのように「自分」と「他人」を分けて考える事自体、間違っています。
「この人」と「あの人」を分けて考えること自体が、霊的真理を分かっていない証なのです。
全ての人は、神をも含めて「類魂」の一部ですから、人が人を裁くことは無意味です。
人を裁くことは自分自身を裁くことと同じです。
そして神を裁くことにも通じます。
霊的真理を学び、たましいというものを理解していても、人はたやすくこういう誤りを犯してしまうのです。
同じように、自分自身を卑下するのも間違いです。
自分自身を卑下することは、すべての他人を卑下することと同じです。
神をおとしめているのと同じです。
「自分を愛せない人は、人を愛せない」とか「人を愛せない人は、自分の事も好きではない」などとよく言われますが、この言葉はスピリチュアルな真実でもあるのです。
たましいは、究極的には一つのまとまりです。
みな一体なのに、右手が左手を裁いてどうなるでしょうか?
親指が小指の悪口をいう事には意味はあるのでしょうか?
他人を否定する前に、否定したくなった部分を自分自身の鏡として見るべきです。
それは必ず、自分自身の何かを見せてくれているはずです。
他人の至らなさを責めるより、どうしたら向上していけるかをともに考えるべきです。
その人が本当に支えを必要としていたら、喜んで支えるべきです。
右手が痛ければ左手でさすり、親指をけがしたら、ほかの指でその分をカバーすることが、類魂としての私たちのあるべき姿なのです。
神としての私たちの本当の生き方なのです。








