さて、
今日、八月十五日は、終戦記念日。

若い人たちにとっては、ある意味馴染みが薄い日であろう。

まあ、終戦からすでに、72年だもんねぇ。

僕だって、親世代から話を聞いただけに過ぎない。

時代が戦後と言われなくなってからだって、
もう大分経つもんね。

世の中では、改憲とか北の脅威とか、
色々と騒ぎになっているが、

戦争を経験してきた世代が、
この憲法を得たことで、どれだけ「明日の日本」
をもう一度、信じられるようになったのか、
その部分を、忘れてはいけないと思う。

それともう一つ。

結構、みんな勘違いしてる部分があるようだが、
戦争を経験してきた世代が、ある意味信じてないものがある。

それが、国であり、国家というもの。

国は、国益という言葉を利用して、
国民を色々と駆り立てて、苦しくなると、見捨てるものだ。

そんな
「国」や「政府」など、権力の暴走。

それから国民を守るものが、「憲法」なのよね。

第二次大戦の終結時、
国民が大陸から避難しようとした時、
国は、国民を守らずに、権力者が真っ先に避難した。

見捨てられた国民が、いかにして悲惨な思いをしながら、
日本に戻ってきたのか。

その辛さゆえか、語り部となっている人は多くない。

可能ならば、作詞家のなかにし礼さんの言葉などを、
探られれば良いと思う。

ちなみに、幻となった「満州国」の当時のトップでありながら、
国民を捨てて、真っ先に逃げた人の孫が、
あの方だからねぇ。
(ま、これも個人攻撃にならないように、一応気をつけて書くようにする)


最近のタカ派の人は、
当時の旧軍の行なったとされる問題が海外から出ると、
「日本側の資料には、存在しない」
と語るが、

ある意味、これも当然のこと。

終戦時には、日本軍が総出で、やばい資料はもやし捨てたからねぇ。

残ってなくて、当然だったりする。

こういうのを考え、最近の森友などの問題を比べると、
やばいことには蓋をするっての、昔っからなんだなぁって、
しみじみしてしまう。

燃やして、歴史を歪めるのは、もう無しにしたいものだわさ。

この大戦で、亡くなった日本の国民は、およそ310万人。

戦闘員だけじゃない、市民を含めた数。
そして、戦後の混乱で亡くなった人の数は、ここに含まれてはいない。

様々な形での、戦争で亡くなられた方々の魂に、平穏があらんことを願いつつ。