SMAPがアイドル市場から喪失すること(=SMAPロス)の経済効果を聞かれることが多い。経済学者なのでこのマスコミの依頼に答えることは義務だと思っているので数字をあげている。ただそのときでも、数字では表せないファンの感情を考慮することが重要だ。

 

 

実際にSMAPが喪失することによる心理的な負担は、人によりけりではあっても、かなりのものになると思っている。それだけSMAPは平成に生きる人たちの、個々の人生の中にしっかりと根を張った「物語」だった。

 


 ひとまずSMAPの経済効果をもう一度紹介したい(詳しくは、2016年10月号「SMAP解散の経済学」参照)。ライブの収入、グッズの販売料、ファンクラブの会費、CDやDVDの販売料、テレビやCMなどの出演料で、年間約211億円を稼ぎ出していた。

 


 では、SMAPが喪失することでこの211億円の支出がすべて消えてしまうのだろうか。211億円がSMAP喪失の経済的損失なのだろうか。答えはノーである。確かにSMAPへの支出は211億円から急激に減少するかもしれない。もちろん彼らが解散した後も、その関連商品は売れ続けるかもしれない。そのため、解散後もSMAPへの支出がゼロになることはありえない。

 


 またSMAP解散を悲しむ人たちや、それをなんとか止めたいと願っている人たちが、SMAPの過去のCDやまたベスト盤などを購入することで売り上げを伸ばす分野も出てきている。確かに最近のオリコンチャートをみると、彼らの過去の楽曲が常時上位に名前を連ねている。

 


 さらにより経済学的にみると、人々の予算と消費性向が一定であれば、そのうちSMAPへの支出が減少しても、その他のアイドルや娯楽、財・サービスへの支出に振り向けられることになる。このときSMAPへの支出が消滅しても、経済全体での消費には影響を与えないことになる。ちなみに消費性向とは、所得のうちに消費が占める割合である。

 


 ただ私はこの経済学的説明は不十分だと考えている。そこには「失望効果」が含まれていない。SMAPのファンの人たちは実に活動的だ。ライブやイベントに出かけることはもちろんのこと、昨年の事務所からの「独立」報道の際や今回の解散に際しても、オリコンチャートの上位にSMAPの名曲がランクインするなど、ネットなどを利用した「社会参加」型の運動をすることにも熱心である。また政治的な請願と同じように、ジャニーズ事務所への数百万筆に及ぶ嘆願書を提出したことも報道されている。

 


 だが、SMAPの解散によって、多くのファンは喪失感を今後抱いていかざるを得ない。そのときの「失望」が、このような積極的な社会参加型の消費を抑制してしまうかもしれない。まさにSMAPロス効果である。

 


 この種の「失望効果」は、経済学者のアーノルド・ハーシュマンが注目したものだ。ハーシュマンは、人が社会参加に失望すれば、その後、内向きになり生活に没頭してしまうことに注目した。このハーシュマンの考え方を応用すると、SMAPロス効果は、社会参加型の消費を抑制する一方で、ファンの人たちの内向的な性格を強めてしまうかもしれない。以前よりもアイドルに対する消費の態度がリスク回避的になり、慎重になってしまうかもしれない。例えば、SMAP的なアイドルが生まれても「失望効果」が持続していることで、積極的な消費活動をしないかもしれない。

 


 さらにこのSMAPロス効果をそもそももたらしたものは何かを考える必要がある。「SMAP解散の経済学」では、主にSMAPの報道姿勢についてふれた。ここでは、日本の男性アイドル市場のマネジメントに関わる構造的な問題について簡単に考察を加えたい。

 


日本のアイドルやタレントたちが事務所と揉めると、多くの場合、その後の芸能界から「干される」ことになる。事務所とアイドル・タレントが(法的な問題も含めて)揉めても、他のテレビやラジオなど他の企業には一般的には関係のないことだろう。もし揉めていることが(媒体イメージを損なうなどで)問題であるならば、アイドルやタレント側だけではなく、その事務所自体への仕事の依頼も取りやめるのがまだしもフェアだ。だが、実際にはアイドル側しか「干される」ことはない。

 


 例えば、国民的なブームになったNHK朝ドラ『あまちゃん』の主役を演じた能年玲奈(現在の芸名:のん)にかかわるケースはこの典型だ。彼女の所属していた旧事務所との確執が報道され、それが現在も尾を引いていて、テレビやラジオなどへの出演が抑制されてしまっているというものだ。実際に彼女に言及することを自粛するように求められたメディア出演者の証言もある。

 


 ひとつの事務所がいくらその権威が大きくても、メディア全体に影響を及ぼすことは不可能だ。だが、ひとつひとつの事務所の権力が小さくとも、それらが一群となって交渉力を発揮すれば問題は別である。例えばフリーライターの星野陽平氏は、『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)の中で、各事務所がタレントの引き抜き禁止、独立阻止の協定を結んでいて、談合していると指摘している。この談合した独占的な交渉力がもし本当だとすれば、芸能界だけではなくメディアの報道は、わたしたちのメディア受容のあり方を過度に歪めてしまうだろう。

 


 ところで実際には、この種の芸能事務所の「談合」が実際にはなかったとしても、あたかもそれが存在しているような結果を招くことはあり得る。これは「囚人のジレンマ」というケースだ。

 

芸能事務所の集団とアイドルの集団のふたつのグループが存在して、それぞれがまったく連絡も協力もできず、お互いに自分たちの利益を最大化することしか考えないとしよう。いわば協同で「犯罪」をおかした犯人たちがいまは別々の取り調べ室で連絡をすることなく自白を求められているケースといえる。

 

例えば「おまえだけが自白すれば刑を減軽する」と持ちかけられると、犯人たちは自分の利益を守るために、両方とも犯罪を認めてしまうことで、かえって一番重い共犯の罪に問われることになる、というものだ。

 


自分たちの利益を最大化することが、全体の利益を達成することにつながらない、むしろ状況は悪化する、という「ジレンマ」である。これと似たような構造が、アイドル市場にあるのではないか? そしてこの「囚人のジレンマ」的状況が反復して再現されていくと、この「ジレンマ」そのものがあたかもその業界の暗黙のルールや「制度」のようになってしまうこともありえる。

 


 SMAPの件で、実際の業界団体が、独占的な交渉力に関わる事実を確証することはできない。筆者の個人的な見解では、「囚人のジレンマ」的な状況に事務所とメンバーが陥ってしまった可能性があるのかもしれない。

 

『電気と工事』2017年2月号掲載の草稿。