たまにはまじめに時事問題について書いてみようと思います。

とりあげるテーマは「セクハラ罪」

そう、麻生太郎のやつです。


法学部卒の端くれとしては触らずにはいられない話題です。


「セクハラ罪という罪はない」この報道を最初に聞いたときは「は?このジジイ何言ってやがる」と思いましたが、数秒後に気付きます。「いや、ないわセクハラ罪は」と。


まずはこれまでのセクハラに対しての処罰について
強制わいせつ罪や強姦罪、刑法などで裁かれてきた経緯があります。
そうでなければ今までセクハラで訴えられた人たちは裁かれていないことになりますよね。

ちゃんと裁かれているはずです。
はずなのは裁判所まで傍聴しに行ったことがないからなだけです。他意はありません。

今回の件は


という言葉がキーですよね。

つみ
と読むのか
ざい
と読むのか


国語の話になります。

セクハラ罪
セクハラ罪という罪はない

ここですよね。

ゲシュタルってきました。

麻生太郎は何もセクハラをつみだとは言っていないわけです。

テレビを見ているとマスコミからは「Q.セクハラ罪について」みたいなテロップがあります。

麻生くんは「セクハラ罪という罪はありません」と返答します。たしかに六法探してもないからです。そりゃあないって言います。

この言葉を利用して「セクハラは罪ではない」と曲解したわけです。



仮にセクハラ罪が今後できたとして
外を歩くことはできなくなるかもしれません。

フランスにはセクハラ罪があるらしいですが、日本の問題ですから一旦日本人の倫理観に沿って考えてみると、「セクハラは被害者がセクハラだと思ったらセクハラ」に落ち着きます。

仮にこれをこのままセクハラ罪に当てはめてみると凄まじいルールが生まれます。
加害者の意思の有無に関わらず「この人セクハラしました」と声をあげれば全員クロになります。

強制わいせつ罪なんかはどうなのよって話になりますが、(他の法律もそうですが)犯罪かどうかを判断する構成要件があります。客観性などの観点から見て妥当だと判断されたら「あなたはクロです」ということですね。

要は「一旦確かめてみましょうよ」ということです。

セクハラだと思ったらセクハラ罪になると、その客観性が失われてしまいます。
ルールで人を縛る以上、周囲が見て納得する基準ではなく、個人の判断基準で物事が決まり出すというのは非常に危険です。

適切かどうかは分かりませんが
戦時中の「治安維持法」もこのあいまいな判断基準の方になるのではと思います。このときは「国から」の抑圧ではありましたが、ざっくり言えば治安維持にひっかかる気がするから治安維持法で逮捕ってことだったと記憶しています(勉強不足なもので間違っていたら申し訳ありません)。

ということで私自身は
「セクハラ罪」を作るのは反対です。
とはいえ、セクハラ自体はダメなことですから他の法律でしっかりと取り締まれるようにしていく努力は必要だと思っています。

更にいえば今後、国会議員さんたちの頭脳をフル回転してもらってしっかりとした構成要件を構築した「セクハラ罪」を作ってくれるかもしれません。内容によっては賛成する可能性も大いにある話です。


何はともあれ
セクハラ自体あってはならないことです。
被害者にも加害者にもならない、なる心配のない社会を1日でも早く築いていきたいですね。