私たちの心の周辺には闇があり、

その闇は常に私たちを神意識(宇宙意識)へと繋がることへの抵抗を生んでいる。

 

その闇を消すには闇と対抗するのではなく

闇を浄化する必要がある。

 

闇を浄化するには天使の力を借りなければならない。

 

天使は私たちの松果体が閉じた時私たち自身から分離し

 

私たちのそばに寄り添うようになった。

 

旧約聖書的に言えば、アブラハムによるイサクの燔祭である。

 

浄化のポイントは天使と同じ波長を自分に生み出すこと。

 

天使と同じ波長になるには

 

自分を許すこと

他者への関心(愛)

 

この二つが重要なポイントである。

 

 

 

天使という用語はキリスト教的であり、抵抗がある人は

 

「もう一人の自分」と言ってもいいでしょう。

 

名称に意味があるのではなく、その存在が「今ここにいる」ということを信じることが大事である。

 

天使という「もう一人の自分」は今の地球の前世で

 

愛の存在になった人間のことであり、

 

今の地球にいる私たちは、その分霊のようなものである。

 

つまり、天使と私たちは、二つで一つである。

 

しかし、その実感は紀元前500年ごろに完全に失われてしまった。

 

 

紀元前1000年ごろから地球そのものの波動が下降し、

物質宇宙へ次元下降したため、

 

私たちと天使との間に亀裂が生じた。

 

つまり物質次元の波動が私たちのアストラル体に嵌入したのである

 

 

 

その亀裂に介入したのが、地球の底に潜む魔である。

 

魔が私たちを襲ったと言うより、

 

私たち自身が魔の領域に入ったのである。

 

 

次元下降の結果、人間の魂が魔の領域に触れたため

 

私たちの心、特に指導者の心は混乱し、

 

世界各地で生贄という血を求める神々を崇めるようになったのである。

 

私たちの心というアストラルは闇に覆われはじめ、

 

血を求めることへの熱狂へと変わっていった。

 

それが世界規模で起こったのである。

 

およそ紀元前500年ごろである。

 

 

そしてこのころに私たちの魂とは起源が異なる魂が生まれ始めた。

 

 

次元下降によって天使との絆が切れしてしまい、

 

精神的な混乱が地上に蔓延したころ、

 

特殊な魂をもつ者たちが生まれたのである。

 

それが半神半人の魂をもつ者である。

 

文字通り半分神であり、半分人間の魂をもつ者達

 

それらは地球の前世において天使とは異なる道を進んだ魂達であった。

 

 

天使とこの半神半人の違いは、

 

天使は神意識の領域にとどまった愛の存在であるが、

半神半人は、神意識から離脱した天使存在なのだ。

 

地球へのかかわりを神の領域からではなく、

直接もとうとしたもの達である。

 

天使は神を通じて関わりを持とうとするが、

 

半神半人は、直接地球へ関わりをもとうとする存在達なのである。

 

その半神半人が、紀元前500年ごろ

 

次元下降の結果、闇が地球上を覆い隠そうとしたときに

人間として生まれてきたのである。

 

彼らは世界各地に生まれた。

 

ギリシャ・ローマにはピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス・・・

インド・ネパールにはブッタ

中国には老子、孔子

南米大陸にはケツァルコアトル

日本には、オオナムチ・・・

もちろん、名前は残ってはいないが

アフリカにもポリネシアにもそれぞれの文化にふさわしい半神半人が生まれたのである。

 

彼らは地球を覆ったアストラルの闇に光をもたらした

 

その光とは「知」である。

 

この「知」の力によって血をもとめる邪悪な魔が

時代を追うごとに少しずつ消えていった。

 

今の時代、日本で何かの問題を解決するために生贄をささげることがないのも

この「知」のおかげである。

 

「知」によって血を求める魔は次第に力を失っていったのである。

迷信の多くが消えていったのもこの「知」のおかげである。

 

「知」は地域や時代によってやがて科学や宗教や哲学や道徳や道、あるいは慈愛となり人々を導いていった。

 

しかし、この「知」だけでは血を求める悪しき魔に対抗できたとしても

 

人間の心が、天使と繋がる波動を生み出すことはできない。

 

天使と繋がる波動を人が見出すことができなければ、

 

たとえ、科学や哲学や道徳や慈愛があっても、それだけでは

人々の中に天使と波動を同調させることは難しく、

死を迎えた魂が、地球のアストラル領域を超え、神の領域にある自分の霊統に戻ることは難しい。

 

それでも彼らがもたらした

「知」によって地球は文化的な発展を遂げるようになった。

 

しかし、その発展は魂を地上に縛り付けるようになっていった。

 

多くの魂がこの地上で生きることが幸せなことであり、

死んでしまえば、全て終わり、そのような考えをもつようになったのである。

 

宗教が各地に生まれ、信仰深く生きることで、アストラルの闇から逃れることはできたが、

 

その知はあくまでも一つの信念体系であったため

亡くなった後は、自分の霊統に戻るのではなく、宗教指導者が作ったアストラル領域の世界に引き寄せられるようになってしまった。

 

そのアストラル領域には、地上で生きていたときに同じ信仰や信条を信じていた仲間がともに生きる場であったが、

本来の自分の霊統の世界ではなかった。

 

半神半人がもたらした「知」によって確かに生贄のような血を求めるような邪悪な世界は少しずつ消えていったが、

 

アストラル界には、この「知」によってさまざまな信念体系としての波動世界が生まれたのである。

 

そして死後多くの人々が本来神世界に戻るのではなく、地球の周辺にできた波動世界引き寄せられている

 

 

 

亡くなった後、魂は、地上で自分が信じた世界と同調するアストラル世界に消えていっているのである。

 

ある魂は、自分がかつて信じた宗教の世界へ、ある魂は自分が信じた哲学の世界へ

最も最悪なのが、あの世はない、死んでしまえば全く何もなくなる、無になってしまう、そのような考えを持った魂は

 

その信じた世界を死んだあとも自らの周辺に作ってしまい、それこそ何もない世界に入ってしまう。つまり周辺から閉じられた孤独の世界に。

 

そのような魂は、たとえ、自分が愛した人、愛してくれた人の魂がそばにいたとしても全く気づくことがなく、

まるで厚い壁に覆われた狭い部屋に閉じ込められているかのようである・・・。

 

何も見えない、何も聞こえない、何も触れることがない、そのような絶対的な孤独の世界で魂は苦しんでいる・・・・

 

そのような魂がもっとも多く増えたのが西暦0年の頃である。

その頃、人間の魂はもっとも物質的な世界に沈んだのである。

 

物質的な宇宙以外には何もない、物質宇宙以外を超える宇宙などはない、そのような思い込みが

彼らを孤独の牢獄に閉じ込めてしまった。

 

半神半人がもたらした「知」だけでは、本当の魂の救済にはならなかったのである。

 

もう一つ別の力が地上にもたらされることが必要であった。

 

それがゴルゴダでおこった出来事であった。