昨日(1月13日)、高校時代の同級生から、同窓会の誘いがあった。高校を卒業して以来だから、実に何十年ぶりかのコンタクトである。

懐かしい気持ちでいっぱいになった。

 

聞けば、関東に住んでいる高校時代の同級生で、3月に同窓会を開きたいとの連絡だった。

よく私の携帯電話番号がわかったものだと驚いて、問い合わせると、

同級生のひとりに調べてもらったという。

 

私が高校は島根県立邇摩高等学校の普通科である。

同じクラスの同級生での同窓会ということで、現在、女性5人と男性は私ひとりだという。

 

えっ、男性は私ひとり?

正直、ちょっと気後れしてしまいそうである。

どうしようか?

 

まだ同窓会の期日までには時間があるから、そのときになって決めようと心を落ち着かせた。

女性のなかに男性ひとりというのは、いくつになっても躊躇してしまう。

みんな懐かしいとは言ってくれるが、果たして、話があうかどうか。

 

仕事も違うし、生きてきた世界も違う。

う~ん、困ったなあというのが正直は気持ちである。

誰か、東京に男子の同級生はいなかったのかな。

私にも心当たりがない。

 

まあ、出たとこ勝負で、参加してみるかとは思っている。

2020年1月9日のJ-CASTニュースは、次のような報道をしている。

「お好みソースは消えません!――。オタフクソース(広島市)は2020年1月9日、一部報道を受けて、「お好みソースが店頭から消えることはございませんのでご安心くださいませ」とのコメントを発表した。   同社が販売する「お好みソース」をめぐっては、イラン情勢悪化により、原料の「デーツ」(ナツメヤシの実)の調達に影響が出るのではと懸念が上がっていた」

 

へえ、知らなかった。

オタフクソースが販売している「お好みソース」の原料を、中東のイランに頼っていたとは。驚きました。

 

ふだんは、お好み焼きなど食べないものだから、お好み焼きに使うソースにはまったく関心がない。

それが、中東情勢という、国際ニュースで話題になるのだから、世界は通じ合っているといってもいいだろう。

 

ただ、オタフクソースに言わせると、原料の在庫は備蓄されているので、品物が途切れることはないそうだ。

お好み焼きファン、なかでも広島お好み焼きのファンにとっては、朗報だ。

私は、昨年(2019年)の8月に、実家である島根県大田市に移住をした。18歳で実家を出てから、実に50数年ぶりに実家に舞い戻った計算になる。

 

実家に移住してまず驚いたのが、空き家が増えていることだった。数年前に実家を訪れたときはそうでもなかった、今回、移住をしてみて、ものすごい勢いで空き家が増えているのには仰天した。

 

それから、町で会う人ごとに言われたのが「車の免許はありますか」「自動車は持っていますか」だった。

何しろ、田舎生活はどこにいくにも車は必需品らしい。

都会から移住した私たち(連れあいと二人)は、車に縁がない生活をしてきた。これから先も車とは一生縁がない生活をおくろうと決めている。

 

だから、田舎生活にとって必需品と言われる車を持つ気はない。

 

それでは甚だ不便だと、田舎にもう長く住んでいる友人たちは口を揃える。

ありがたいことに同級生の一人は、車で送り迎えしてやるから、必要なときにはいつでもいいてこい、とありがたい提案をしてくれている。だから、その言葉に素直に甘えたいと思っている。

 

私が育ち、50数年ぶりに舞い戻った、実家がある町は、過疎の町である。都会と違って空気はきれいだkら、緑が鮮やかである。車があまり通らないから、道路に面していても静かである。また、町を歩いていても人に会うことは滅諦にない。

 

私の実家から最寄りの駅までは2キロぐらいあるのだが、そこまで歩いていっても、ほとんど人に出会わない。たまに、車が通り過ぎるだけだから、本当に人がいないのだろう。

 

買い物は、隣の町に一軒だけあるスーパーマーケット。田舎だと物価が安いのではないかと思っていたら、これが都会と変わらない。むしろ、品物によっては高いぐらいだ。

 

国道が走っているのだが、街道沿いにあったラーメン屋さんや土産物屋が潰れてなくなっていたのは、ちょっとショックだった。

コンビニは、国道沿いにローソンが一軒、あるだけで、喫茶店はないし、映画館もない。100円ショップなどあろうはずがない。

 

ちょっとした買い物は、汽車に乗って、大田市にいかなければならない。

 

実は、私の実家があるのは、大田市でも仁摩町宅野という町。以前は、邇摩郡のなかにあったのが、隣の大田市と合併して、、新たに大田市に組み込まれたのである。だから、大型ショッピングセンターは大田市にある。そこまで、車がないから、汽車でいくしかない。山陰本線である。

 

しかも、汽車が一時間に一本しかない。午前8時台は2本、午後5時台に2本。まったくのんびりとしたものだ。

だから、汽車を一本逃すと、一時間は待たなければならない。都会に比べたら、考えられないぐらい不便である。だが、人心や穏やかで・みんなが親切である。

 

そして、実家にもどってきてまだ驚いたことがある。

猿が出現するのだ。

私は見ていないが、連れ居合が我が家の庭に猿がいるのを目撃したという。お互いに目があったらしい。

猿には、畑の作物をやられてしまうので、畑で作物をつくらなくなった人も多い。

私の実家お前に、小さなスペースの畑があるが、それをいま私の同級生に貸している。貸しているといってもお金をとっているわけではない。そこの畑も猿が出て、つくっている作物が被害に合うことがあるそうだ。

 

猿だけは防ぎようがないらしい。

毎日、猿を追い払う空砲の音がしている。

 

とまあ、田舎生活を始めたのはいいが、現在また、東京のもといた場所に来ている。子どもたちと一緒の生活である。

あと少しは東京にいて、実家に帰ろうかと思っている。