私は、昨年(2019年)の8月に、実家である島根県大田市に移住をした。18歳で実家を出てから、実に50数年ぶりに実家に舞い戻った計算になる。
実家に移住してまず驚いたのが、空き家が増えていることだった。数年前に実家を訪れたときはそうでもなかった、今回、移住をしてみて、ものすごい勢いで空き家が増えているのには仰天した。
それから、町で会う人ごとに言われたのが「車の免許はありますか」「自動車は持っていますか」だった。
何しろ、田舎生活はどこにいくにも車は必需品らしい。
都会から移住した私たち(連れあいと二人)は、車に縁がない生活をしてきた。これから先も車とは一生縁がない生活をおくろうと決めている。
だから、田舎生活にとって必需品と言われる車を持つ気はない。
それでは甚だ不便だと、田舎にもう長く住んでいる友人たちは口を揃える。
ありがたいことに同級生の一人は、車で送り迎えしてやるから、必要なときにはいつでもいいてこい、とありがたい提案をしてくれている。だから、その言葉に素直に甘えたいと思っている。
私が育ち、50数年ぶりに舞い戻った、実家がある町は、過疎の町である。都会と違って空気はきれいだkら、緑が鮮やかである。車があまり通らないから、道路に面していても静かである。また、町を歩いていても人に会うことは滅諦にない。
私の実家から最寄りの駅までは2キロぐらいあるのだが、そこまで歩いていっても、ほとんど人に出会わない。たまに、車が通り過ぎるだけだから、本当に人がいないのだろう。
買い物は、隣の町に一軒だけあるスーパーマーケット。田舎だと物価が安いのではないかと思っていたら、これが都会と変わらない。むしろ、品物によっては高いぐらいだ。
国道が走っているのだが、街道沿いにあったラーメン屋さんや土産物屋が潰れてなくなっていたのは、ちょっとショックだった。
コンビニは、国道沿いにローソンが一軒、あるだけで、喫茶店はないし、映画館もない。100円ショップなどあろうはずがない。
ちょっとした買い物は、汽車に乗って、大田市にいかなければならない。
実は、私の実家があるのは、大田市でも仁摩町宅野という町。以前は、邇摩郡のなかにあったのが、隣の大田市と合併して、、新たに大田市に組み込まれたのである。だから、大型ショッピングセンターは大田市にある。そこまで、車がないから、汽車でいくしかない。山陰本線である。
しかも、汽車が一時間に一本しかない。午前8時台は2本、午後5時台に2本。まったくのんびりとしたものだ。
だから、汽車を一本逃すと、一時間は待たなければならない。都会に比べたら、考えられないぐらい不便である。だが、人心や穏やかで・みんなが親切である。
そして、実家にもどってきてまだ驚いたことがある。
猿が出現するのだ。
私は見ていないが、連れ居合が我が家の庭に猿がいるのを目撃したという。お互いに目があったらしい。
猿には、畑の作物をやられてしまうので、畑で作物をつくらなくなった人も多い。
私の実家お前に、小さなスペースの畑があるが、それをいま私の同級生に貸している。貸しているといってもお金をとっているわけではない。そこの畑も猿が出て、つくっている作物が被害に合うことがあるそうだ。
猿だけは防ぎようがないらしい。
毎日、猿を追い払う空砲の音がしている。
とまあ、田舎生活を始めたのはいいが、現在また、東京のもといた場所に来ている。子どもたちと一緒の生活である。
あと少しは東京にいて、実家に帰ろうかと思っている。