おとといが父の七回忌の日でした。


亡くなった時刻が正確にいつになっているのか


死亡診断書を見ないとわかりませんが。



この日は法要などは行わず普通にお参りしただけにしましたが、


母も4月20日が七回忌でそれに合わせて追って法要することにしています。



亡くなった当日のブログを見ると詳しいことは書かれていなくて


ただ感情的に思い出話だけを並べています。



ノートにはもう少し当日の詳しい事情を書き残していると思うのですが


それを見ずに、とにかく当日の事を改めて書き残しておこうと思います。




この日は弟が飲みに行くから遅くなるとのことで


食事の準備を自分がしなければならなかったのです。



うちの家庭の事情として、父はほぼ寝たきりの少し痴呆もなりかかっている状態、


母も高齢で体がそれほど自由が利かなくなりつつあるところ、


弟の負担は大きかったのですが、


自分がふがいなくあまり経済的にも家事の面でも


役に立てていない状況で、


そんな日々の中、自分の担当する日だったわけですが。



ここでアメブロがかかわってきます。


アメブロを書くために夕刻の買い物に行くべき時間に


PCの前でずっとキーボードをたたいていたのです。


そうこうしてるうちに19時を回ってしまいました。


そろそろ買い物に行かなきゃと、・・・




父親が以前、夜中に突然「天ぷらそば、買うてきてくれや」


って言って


弟がブチぎれて


柱を手でつかんでいた父を力任せに引きはがして


父の指の爪がはがれそうになったことがありました。


このとき、父は痴呆になりつつあったのですが、


テレビで、水を多くに飲ませると痴呆が改善する、

っていうのをやってて、

それを試してみたばかりのときでした。

父は少し正気に戻っていたのです。


それを弟は無残に打ち砕いてしまいました。

弟は普段から父の世話をしていて

心労と疲労にさいなまれていて

それも仕方ないことでした。

でもこれが最後のチャンスだったのに

無念で仕方ない。


そのことがあって、今日は天ぷらそばにしようと

買い物に行くつもりでしたが、

そこに突然弟から電話が、

「今日やっぱり早く帰るわ、お寿司買ったから」


これで買い物に行く必要がなくなって安堵しました。


これが不幸のもとになりました。


弟が帰ってきて、晩御飯食べるからお父さんを起こしてくれ、と。


お父さんは気持ちよさげに寝ていて、

まだ起きたくない様子でしたが、

寝さしといてあげたらいいのに、

弟が「何言ってんの、早う起こして」

うるさいので

まだ眠りたがってる父を無理やり起こして椅子に座らせました。


弟が父に買ってきたのはちらし寿司。

弟は父の食事用によくちらし寿司を買ってきます。

でも父は甘党ではありません。

甘いちらし寿司は絶対口に合わないに決まっています。

なんでそんな気が利かんのか?


自分は少しPCを触って遅れて食卓に。


自分用には握り寿司が置いてありました。

自分はちらし寿司を食べさせられている父が不憫で

「お父さんこれ食べ」、と

自分に置いてくれてたエビといかの握りを父に

差し出したのでした。


そして、父がエビを食べた時


「どう?おいしい?」と聞いたら

答えようとしたのか突然喉を詰まらせ、

すぐに吐き出すかと思ったら

ぜんぜんつまらせたままで

お茶を飲ませようとしてもダメで


どんどん顔色が青くなっていって

逆さに吊り上げたらと思ったけど

重くてうまくいかず

掃除機で吸い込もうともしましたが

全然で、


弟が救急車呼んでと言ったので

急いで119番に。


でもこの時まだ自分は父はすぐに元に戻ると、

救急車は大げさだと思っていました。


電話で住所と状況を慌てて説明、

向こうはたぶんこっちで今できる処置を言おうとしてたと思うのですが

自分がもう早く来てくれの一点張りで聴く耳を持たず。


自分はすぐに来てくれて処置してくれて助かるものと確信していました。



弟が人工呼吸を試みましたがダメでした。


やっと救急車、隊員が到着するのは正直思ったよりも遅く

それでもこれで助かると信じていました。


隊員が到着して器具を使ってやっとのどの異物を取り除きました。


そして救急車で搬送、これもかなり時間がかかります。


記憶あいまいですが救急車の中で心臓が回復してたと思います。


そして、近い方の病院ではなく遠い方の病院に搬送。


待合で処置を待ちます。


その間に弟がいったん家に戻っていろいろ準備してくると。


弟がいない間に父の死亡が確定、

一応人工心肺で生きてはいるけど

機械をはずしてよいかと聞かれて

弟が戻ってくるまで待ってくれ、と。

 

ひどい話だ、家族に生命維持装置を切る決定を迫るのよ。

 

これが天皇様だったら是が非でも外さないのにな。

 

お金が潤沢にあったらそれでも絶対外させないんだけど。

 

どういう状況の違いかは判らないけど、

 

外国じゃ植物状態の家族に献身的に声をかけ続け

 

体動かし続けて、そのうちに意識が回復して

 

自分で歩けるまでになった人の映像を見たことがある。

 

父もこのままリハビリさせて待ち続けたら意識回復したりするんじゃないのか?




弟が戻ってきて事情を説明して

一緒に処置室へ行って

機械をはずすことに同意、

父の死となりました。


それから母に連絡、家に戻って

警察が来て写真いっぱい撮られて。


病院で亡くなったのに、家で死んだことになるのか?

涙の乾く間もなく

次の日の手続きも大変、


病院で亡くなったのに

わけのわからん病院に検視の代金3万5000円払いに行って、

それも検視の後はほったらかし、

おくりびと呼ばないとだめでその代金9万円。

急いで葬儀屋決めて待ち合わせして

警察に遺体の引き取りの手続き1万円


そして、葬儀の形式、

一番安くて税抜き11万9千円だったかな?

霊柩車に乗せるときだけ御遺体と対面できる、

まさにお見送りのみ。

ちゃんと対面できるよう部屋を用意して16万ぐらい、

ちゃんとした形にすると37万、


喪服も用意しなきゃならんし、


もう7年も経って

時系列があいまいですが

コロナ禍の中、東奔西走しました。

何もかもなくなりました。

 

 

昨日まで寝ていた

 

必要のなくなった介護用ベッドとか

 

片づけるのが悲しかった。

 




幸せだった日々が恋しくて

泣きましたね、


後悔しかなかった。

生前の楽しかった日々の写真も動画もわずかばかりで全然撮ってなかった。


もっと元気な間に

思い出話いっぱい聞きたかったし、

行きたいところ、やりたいこと、いっぱいさせてあげたかった。


たられば、いっぱい思いましたよ。

上記の書き方だと弟が悪い印象の部分もあるけど、

父のために精一杯やってくれたのは弟、

ベッドや敷シーツの準備、

お年寄り用のおむつの手配、

トイレに行くための手すりも用意、

老人ホームのショートステイの送り迎え、

階段を上り下りするための背負うベルトも購入、

トイレに連れて行くのも、

お尻を拭くのも

お風呂に入れるのも全部、

お金も全部、

休みなくやってくれていました。

悪いのは自分、

大好きで一番大切だった父を殺してしまった。

毎日忘れることなく

両親のことを思い返しています。

あっという間の7年でした。




毎週休みの日には父母にコーヒーを供えて

一人で3人分の乾杯をやっています。

お参りに行く前も乾杯してコーヒーを飲んで、

それから出かけました。



急に亡くなってお墓は用意できず

一心寺に納骨させてもらいました。

一心寺には母方のおじいちゃんおばあちゃん、

父方のおばさん二人のお骨が納められています。

おばさんについては母が言っていただけで

確証がないのですが。

父方の代々のお墓はちゃんとあるのですが、

そこに入るのは嫌だと父が生前言っていたと

家族から反対されて、それでそのような形になりました。

一心寺は全骨は受け付けていないということで

部分だけのお骨を持ち帰りましたが、

今にして思えばとりあえず全骨引き上げて残しておいても良かったのでは?

という思いがあります。


昼過ぎから行くと一心寺も空いていて

ろうそくも立てやすく、

線香も初めてぐらい6人分綺麗に立たせることができました。

いつもスペースもなく熱くて危なくて、投げ入れています。


人も少なめで、しっかりお参りができました。

お数珠を家に忘れたのがちょっと残念でしたが。


去年作ったアクスタで写真を撮ってきました。




ちょっとでも今からでも

出来る親孝行をしていきたいと思うし

出来るだけ生きた証を立ててあげたいし、

ちょっとでも雰囲気だけでも生き返らせてあげたい、

そう思っています。



仏壇にはお父さんが好きだったトマトをお供えしました。


この品種はアイコーというそうです。

父が母のことを、母は秋子なんですが「あいこ、あいこ」と呼んでいたので

これだ!とこのトマトを買ってきました。



写真の花がだいぶ枯れかけているけど、

 

新しい花を一応見に行ったのよ、

 

ちょうどよい感じのがあったんだけど

 

新しい花を買ったらこのまだ命のある花を捨てなきゃならない。

 

命ある花の生命維持装置を外すわけにはいかない、

 

そんな不幸は要らない、

 

そう思えたら、もう枯れるまでこのままちゃんとお水も換えて

 

お供えを続けようと、

 

それで大事な七回忌ですけど

 

花はお古のそのままにすることにしました。