体験授業を受けてくれた生徒さんが、

「先生の授業はわかりやすかったです」

と言ってくれることは多いのですが、塾の先生にとって、「わかりやすい」授業は当たり前です。


どこの塾の先生も、予備校の講師も、家庭教師の先生も「わかりやすい」授業をしているはずです。


その中で

「もう少しこの人の話を聞いてみたいな」

「この先生と一緒に受験まで頑張ってみようかな」

そう思わせるものってなんでしょうか?


先程書いたように、教え方が上手だ、とか、或いは入試問題をスラスラ解ける、というのは当たり前だと思います。


私は人柄だと思います。個別指導や家庭教師ならば、相性というのもあるでしょう。


では、そういった「人柄」や「相性」という「知識を超えたもの」は、どのように磨いたり、高めたりすればいいのでしょうか?


もちろん、持って生まれたものがあるでしょう。そして、それが大きいでしょう。


しかし、その人の「授業外」または「教室外」での、周囲の人、家族、親戚、友人との会話、交際の仕方、振る舞いの中で、揉まれたり、培われたりする部分も大きいのではないでしょうか。


どんな人と付き合うか、という事もあるでしょう。自分がどんな人かを知りたければ、自分の友達を5人連れてくればいい、その5人の平均値があなただ、とも言います。


もっとも授業では、知識を伝えたり教えたりしていくのですが、その伝え方や教え方の中に、それこそ表情や仕草や声の調子も含めて、それとなく滲み出てくるもの、それが大切なのではないかと思っています。


斎藤兆史氏は

「教養とは、やや気取った言い方をすれば、そこはかとなく匂い立つものである」

とおっしゃっています。(『めざせ達人!英語道場』ちくま新書)


たんなる知識の多さを披露したり、自分の凄さをアピールしたり、ましてや他の先生をこき下ろしたりするのではなく、縦横無尽に色々な話ができ、相手によって変幻自在に接し方を変え、時にはユーモアや笑いも交える、そういう意味での「教養」が必要なのではないでしょうか。