関西では私大入試が始まっています。


毎年のことですが、その年度の高校3年生の授業を終えたとき、魂が身体からふうっと抜けていくような感じがします。


積み上げた赤本と解いた問題の山を目の前に、放心状態です。


そして今頃は○○大学で試験が始まっているだろうな、とまるで保護者のように思いを馳せていきます。そして、30数年前の自分のことも。







私は大学受験の時に、受験会場で試験前に同じ受験生から、ちょっとした親切をしていただいた事を覚えています。


もちろん、その方の名前も顔も知りません。


だが、誰しもが自分のことしか考えていない状況で、他人に気を遣えるとは偉いと、妙に感動しました。


自分もそれくらいの心の余裕を持たねば、と思い冷静になれました。


あれから30数年経っていますが今だに思い出します。


よく受験が終わった生徒さんが「隣に座った受験生が、咳をするから、鼻をかむから、鉛筆の音がうるさかったから、などなど」集中できなかった理由を、試験後に言ってきます。


実力が発揮できなかった、と。


たしかに、それはたまたま運が悪かった場合もありましょう。その迷惑をかける人が、もう少し注意するべき場合もありましょう。


しかし、自分はどうでしょうか。自分の気づかないところで、周囲の人をイライラさせている事はないでしょうか。


或いは、何か少し困っている人に対して、気を遣ってあげるだけの心の余裕を持っているでしょうか。


そういうのも含めて「実力」というのではないですか。


私はそう思っています。