ここ3年ほどばかり、当ブログの更新を12日に1度というペースにしていたのを、今回のみ24日空いてしまい、申し訳ありませんでした。


実はこの間に父が亡くなりました。


この歳になって、親が亡くなると、私は「次は自分だ」と思わざるを得なくなります。


ここは教育ブログなので、父親の教育とはなんだろうと、少し考えます。


私の父は、(母もそうですが)勉強面に関しては一切ノータッチで、「勉強しろ」と言われたこともなければ、どこの学校を受験しようと、どこに合格、進学しようと、全く関心がなかったといっていいと思います。


いや、それどころか、「教育」や「子育て」を少しでも考えたことがあったかどうかも、かなりあやしいのでした。


そして、その点においては、私は父に大いに感謝しております。親に、勉強について進学先についてとやかく言われたくない、とずっと思っておりました。それが現在、自分の生徒に対して、「できるだけ子供に勉強を強制させまい」とする方針に繋がっているのだと思います。


私にとって父親は、


素晴らしい反面教師でありました。


いわゆる父と息子の葛藤、衝突というのは、普通の家庭以上にあったと思っています。子供の頃はもちろん、私が成人してからも、父が最晩年にさしかかっている時期に於いても、(私が介護をしながらも)しばしば衝突しました。


それほど、私と父は、考え方、生き方、趣味、全てに至って私とは正反対の人間でした。


子供の頃から、「父親のようになってはいけない」と思いながら生きてきました。しかし私は、反発や衝突を通して、父から「人間」を学んだとも言えます。


心の広さと狭さ、勇気と臆病、勤勉と怠惰、強さと弱さ、老獪さと純粋さ、愛情と憎しみ、自由と束縛、信頼と猜疑、老人と子供


そういったものを1人の人間の中で全て身をもって見せてくれて、また伝えてくれました。



亡くなる丁度1日前、家族がみんな集まり見守る中で、私が父の耳元で、

「お父さん」

と声をかけると、それまで意識がなく、何を話しても無反応であった父が、ふっと自分の方に視線をやり、口で何かを伝えようとしました。

その言葉はあまりにも小さく声にならないものでありましたが、明らかにお別れの挨拶でした。

私は涙が一粒ニ粒こぼれそうになるのをこらえました。


今までありがとう、と心の中で呟きました。