塾で授業をしていると、1コマ(90分)の間に必ず「♪ピロリン」という、誰かのスマホからのラインの着信音のような音が聞こえてくる。

「着信音のような」と書いたが、私自身はラインをしていないし、したこともないから、それが「着信音」かどうか知らない。まあ、おおよそそのようなものだろう。それが必ず1コマ1回は鳴る。


気がついたら、いつの間にか、中学生も皆んな、小学生も高学年は皆んな、スマホを持つようになった。


わからないことがあれば、すぐスマホで調べる。小学生でも博覧強記になれる時代だ。


一度は問い質しておくべき事は、

「受験勉強のほとんど全てが、スマホで調べることができるのであれば、一体どうして教科書や参考書の内容を頭に入れていく必要があるのか?」

ということである。

試験や入試がなくなれば、暗記する必要がなくなってしまうのだろうか。


その答えは容易には出せないが、先日スマホの存在を考えさせるツイッター〔X〕に出会った。


それは神奈川県のある塾の先生の、

スマホを制するものが受験を制する、教室では一切スマホの使用は厳禁、スマホが無い空間と時間の貴重さをわかって欲しい、

という内容のものであった。


スマホを持つ子供たちが大半である、というのは動かしがたい現実として認めるとして、親や先生が考えるべきことは、「スマホが無い空間と時間」を如何に確保するか、だと思う。


こう書くと、すぐさま、

「スマホだって、上手に利用すれば、勉強に役立つサイト、アプリ、動画がたくさんあり、……」という反論が聞こえてきそうである。



ハエ取り紙というのが昔あった。粘着力のある紙をぶら下げておくとハエがベチャと引っ付いて退治できる、というものだ。


スマホを「上手に利用する」というのは、ハエが片足だけをハエ取り紙に引っ付けて、いざという時は、自分の羽の力で飛び立てる状態にしておくようなもので、子供が全員、勉強に必要なものだけを取捨選択して活用できる、とは到底思えない。


大抵は、ベチャっと身体ごと(スマホという)ハエ取り紙に引っ付けてしまって、身動きが取れなくなってしまう。電車の中を見回すと、大人でも「ハエ取り紙に引っ付いている」かの様に見える人間が沢山いる。


中には、スマホを上手く利用して、難関大学に合格する子供もいるだろう。それは認める。しかし、親や先生は、自分の子供や自分の生徒が「ハエ取り紙に身体ごとベチャっと引っ付いてしまって、身動きが取れなくなっていないか」一度は確かめてみるべきだと思う。