『古文研究法』で有名な小西甚一の『古文の読解』(ちくま学芸文庫)を読んでいます。




この本は初版が1962年に、改訂版が1981年。
文庫版の「解説」によれば、元々は『蛍雪時代』に昭和30年代に連載されていたもののようです。

私が大学受験生だった頃、『古文研究法』はかろうじて買いましたが、そのページ数の多さ、内容の「堅苦しさ」に、当時10代の私は、入り込めず、埃をかぶったままにしてしまいました。通読したのは、大学卒業してからです。


『古文の読解』は存在さえ知りませんでした。

ページをめくると第一章は「むかしの暮らし」という、「古文常識」から入っています。時代を感じますね。

何が何でも「効率よく」「能率よく」「無駄なことは一切せずに」という現代の受験界では、「古文常識」は後回しにされ、『○○時間でマスターする』『○○日で完璧』とかいう参考書がもてはやされます。

私も自分の生徒さんに小西の参考書を勧めることはないと思います。受験生なら特に古文に割ける時間が限られていると思いますので。



しかし、そしてこれは大きな「しかし」ですが、

筆者の「プロローグ」を見てください。

(引用)
安心してお読みになれば、この本にムダみたいな話の多いことも、あまり気にならないだろう。せっかちな人は、「なんだってすぐ役に立つ要点だけ話してくれないで、のんびり道草をくっているのだろう。」とお感じかもしれない。が、ムダ話のように見えるところが、大きい目でながめれば、けっしてムダではないのである。要点だけギッシリならべたって、頭に入るわけがない。要点が要点でなくなるからだ。そんなことになれば、それこそ全体が大きなムダではないか。要点を要点として把握するためには、まわりに「要点でないこと」がどうしても必要なのである。なるほど、諸君はいそがしいだろう。時間が惜しいだろう。しかし、いそがしいときほど「あそび」が貴重な意味をもつ。
(引用終わり)

とても古文ができる子に聞いてみてください。必要最低限のことしか覚えてないですか?
とても英語ができる子に聞いてみてください。こんな単語よく知ってんなあ、というレベルまで、覚えていませんか?
もっと言えば、いろいろな雑学を身につけていませんか?勉強の知識だけでなく、世の中のこと、WBCのことまで、自分の身の回りからいろいろ吸収していませんか?

そして先生に質問にいく前に、自分で調べたり、考えたりしていませんか?

そういう現代の受験勉強のあり方を相対化するのにも有益な一冊だと思います。