窮屈な時代
先月、子供の頃からず~っとあこがれていた0系新幹線のNゲージを購入。今日は特に予定もなく、時間があったので、こいつを少しグレードアップしてやろうと、パーツを求めて模型屋に向かった。鎌倉駅で江ノ電からJRに乗り換え。やってきたのは湘南新宿ラインのE231系。ステンレスの車体に、湘南カラーのオレンジと緑の帯。こういう外観になったのは、国鉄末期の昭和60(1985)年に登場した211系からなんだが、それまでの、113系のように車体全体を黄かん色(オレンジ)と緑に塗り分けた塗装と違い、銀色の車体申し訳程度に貼り付けてある帯に、「こんなの国鉄の電車じゃねぇ」とすっごく抵抗感を覚えた記憶があるけれど、今じゃすっかり馴染んでカッコいいとさえ思えてしまう。人間に、”慣れる”という機能が備わっていなかったら、とうにこの地球上から淘汰されていたかもしれない。慣れることにより、様々な変化を受け入れて、文明を発展させてきたと言ってもいいと思う。そのうち、コ〇ナなんかにもすっかり慣れて、「今年は〇〇型が流行ってるらしいぜ」みたいに、インフルエンザと同じような扱い方のなるのだろうか?個人的には、コ〇ナの終息は、とどのつまりそこに落ち着くしかないような気もするのだが、、、さて、話を元に戻そう。鎌倉駅から乗り込んだのは、15両編成の11号車。付属編成の”クハ”の、一番運転台に近いところ。運転台後ろの窓には、”断り書き”のステッカーが貼り付けてある。以前からある、「夜間、トンネル、、、」カーテンを降ろすことがある旨を示したステッカーのほかに、業務用の携帯電話を使うことがある旨。さらに、マスクを外したり、水分補給をすることがある旨を示したステッカー。ふと、小学生時代の記憶がよみがえった。昭和50年代の終わりごろ。西暦で言えば1980年代の前半。当時土曜日は、午前中は授業があった。午後になると、仲良しのH君と小学生の小遣いで買える切符を買って、汽車(地元では電車だろうが気動車だろうが”汽車”と呼んでた)に乗って小旅行するのが楽しみだった。今にして思えば、いい加減で、おおらかな時代だった。今じゃローカル線じゃ、ワンマン運行が主流だけど、当時はどんな列車にも車掌が乗務してた。貨物列車にさえ、車掌者が連結されてた時代。当時住んでた田舎の路線じゃ、それほど客もなく、暇を持て余してた車掌は、客席にふんぞり返ってタバコをプカプカ、、、数少ない乗客も、誰もそれを咎めることなんてなかった。無人駅から乗って、社内補充券を求める僕たちに、グダグダ文句言いながらめんどくさそうに書いてくれた切符が妙に達筆で、「切符集めてるんです」なんて話したら、ポケットから「ほれ」とばかりに、無人駅で回収した切符をくれたり。横柄だけども、妙に人間臭い。そんな職員が多かった記憶がある。今は、運転席で携帯触ってりゃ(たとえ、それが業務で必要な事であっても)、スマホでパチッと写真撮って「これはけしからん」と、(自分のことは棚に上げ)他人を断罪する輩が増えたせいか?次々と、「お断り」のステッカーが増えてゆく。そうやって、誰かをやり玉に挙げて批判する。そういう人たちも、そういう事でしか自分の息苦しさとか閉塞感とか、、、抱えてるストレスを処理する手段がないことも重々承知するけれど、他人の首を絞めれば絞めるほど、自分にとって言いたいことも言えないし、息苦しく、窮屈になっていく、、、そうそう。電車の中吊り広告に、「ざんねんな生き物図鑑」ってあったけど、一番ざんねんなのは僕たち「にんげん」かもしれないですね。