ヒデままのなんとかなるさっ -2ページ目

ヒデままのなんとかなるさっ

36歳で卵巣癌ステージ1a期 明細胞腺癌。再発し直腸に浸潤低位前方切除術一時ストマに、狭窄で閉鎖術を1ヶ月後にうける。排便障害に苦しみ肝臓に転移し6割を摘出。後排便障害が悪化し再度ストマ造設手術。永久になる排便に関しては改善。その後肺多発転移腸管再発→今ココ

ヒデままの母です。

娘が亡くなり明日で2週間になります。


今ようやく 娘と闘ったあの苦しかった4日間を少しずつ振り返る事が出来てきました。


7月1日に緩和ケア病棟に入院して、2週間は日に日に娘が悲しくなる程出来なくなる事が増えてきました。


私は毎日 半日は娘と過ごす事にしました。

毎日のように「お母さんの味が食べたい」



甘い卵焼き 茄子そうめん ナポリタン オムライスとリクエストが有ると何をさておき、作り立てを病室に持って行きました!

最後のオムライスは二口だけ口にしました。


5日前から私は娘の部屋で一緒に付き添いました。

口から薬を飲むのが困難になり、明日からモルヒネを使う事を告げられた娘は涙が出て泣いたと言っていました。


私が夕食に食べる為にコンビニで買ったカップ麺を見て、「美味しそう!」 「食べてみる」お湯を注いで出来たカップ麺をマグカップに入れ、ホークで食べてみた「美味しい」と そして、いつもは好まない病院食を見て、カレイの煮付けも食べたいと、身をほぐして口に入れてあげると「美味しい」


副作用で手の力をコントロール出来ない娘の口に少しずつ運ぶ、娘が笑って「美味しいね、何でかわかる?お母さんとくっ付いて並んで食べてるから!」


病室で二人笑いながら過ごしたのはこれが最後でした。


次の日から腕にはモルヒネの管が付けられました。


4日間の闘いが始まりました。


私の記憶はまだ全てが戻っていませんが、毎日「お母さん!」と私を探す様子に私は答えました。


「ありがとう」お互いに何度言ったでしょうか?数えきれない「ありがとう」


薬が効くまで私は娘を赤ちゃんの様に 「ねんねんねん!ねんねんねんねん」と寝かせ又薬が切れる 何度繰り返したか。


最後の息が  私は感じました  仮眠室の主人を起こして、二人で静かに見取りました。


「お姉ちゃん、ありがと いっぱい親孝行ありがと!」息をしていない娘は 大きくうなづき答えてくれました。


可愛い 可愛い 娘の最後を私達両親で見取る事ができた事に 感謝しました。


今は毎日祭壇に、娘の好きな物を置いて食べてもらっています。


又 娘の事を思い出したら書いてみようと思います。


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