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dddddウィキノミクスのさよなら」の回数が異なっていたが、ある日少年から直接電話をうけ、何回「さよなら」と言うかが少年達の間で賭けられている、との話を淀川が耳にした。このとき、淀川は少年に「賭けをするのは良くないことだ」と諭し、それからは常に3回とするようにした。なお、回数が異なっていたのは、単に放送終了まで「さよなら」と連続して言い続けたからで、意図したものではないと本人が語っている。おまけに、解説では正面を向かっていたが、この「さよなら」を連呼する時だけはなぜか斜めを向いていた。 横浜市鶴見区に自宅があったが、1987年末からは日曜洋画劇場の収録を行っていたテレビ朝日アーク放送センターと同じアークヒルズ内ある東京全日空ホテル34階のスイートルームで暮らしていた(「棺桶がちゃんと入るかどうか、エレベーターの大きさを調べて決めた」と『徹子の部屋』で明言)。スイートルームの広い部屋の中は映画に関する書籍や資料で埋め尽くされていたという。 生涯独身を貫いたのは、「淀川家の血筋を絶やさぬためだけに妾にさせられた母が可哀相で仕方がなく、母に辛い思いをさせた淀川家に復讐するため、結婚せずに子供をつくらないことで血筋を絶やした」という痛切な告白を著書『私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない』の中で記述している。なお、淀川の母は当時「母がかわいそうだから結婚しない」と言っていた淀川の将来を案じ、一度花嫁候補の女性を家に連れてきて1週間一緒に住まわせたことがあるが、淀川自身がまったく相手にしないため、この女性は帰ってしまったと後に淀川自身が語っている。 「名作映画は、人類にとって最高の総合芸術である」などの言葉を残している。 どの映画にも見所はあるというのが持論で、どんなB級映画でも決して悪口を言わず、「このセリフ回しが素晴らしい」、「女性の脚の組み方がいい」など、一般人は見過ごしそうな箇所を見つけては褒めていた。 『日曜洋画劇場』での物腰が柔らかい姿とは対照的に、こと評論においては次項の通り非常に舌鋒鋭く映画に踏み込んでいた。 蓮實重彦、山田宏一との鼎談において、ジャン・リュック・ゴダールとロベルト・ロッセリーニを「映画を破壊した大犯罪人」と評している。これは「彼らが素人でも映画が撮れると勘違いさせるような映画を撮ってきた」ことにより、プロ意識が欠