一昨日、とあるメールが届いた。
携帯のポップアップにポンッと。
僕のgmailに来るのは登録の情報がほとんど。
しかし、そのメールのニュアンスは明らかに僕宛の返信であった。
PCで開いてみて驚いた。一年ほど前に送ったメールに対しての返信だった。
丁度一年ほど前に、ある訃報を知り、居た堪れなくなってWEBを検索しまくった。
しかし、彼の情報はどこにもない。
いや、正確には彼が成したこと、結果はどこにでもあふれているのに彼が生きた情報が浮かんでこないのだ。
しかし、そこで彼の友人が綴ったBLOGを発見した。
二人の会話がそこには記されており、彼の理路整然としたイメージとは大よそ違った思考が見て取れた。その時の感情に任せて、メールを反射的に僕は書いたのだった。
昨夜のメールには返信がどうして遅れたのか、その思いがつづられていて、僕は泣きそうになった。
この歳になれば訃報は増える。
それが続けば、そしてそれが最愛の人となれば、、、。
色々な感情があふれだしてきて、ここに記すことにする。
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1999年まで僕は会社員だった。
バブル終盤に入社して来た僕の立場は微妙であった。
技術部門でもソフトを納品するという立場ではコスト管理が重要である。
コストを一概に安くすること、これが利潤につながりつまりは制作工数を少なくすることが命題として課されていた。当たり前といえば当たり前。だがこれが納得できなかった。
技術としては更なる発展を見込まないと、先がない。
他社にも置いていかれる。
そんな感情とは裏腹に僕のやる気は急速に冷めていった。
コスト、コスト、コストの連呼に飽き飽きしていた。
入社以来、一時期は200時間に届こうかという残業の連続だったが、そんな仕事も無くなってきていて定時で帰れる日も増えた。
いわゆるバブル崩壊である。
大阪支社では肩たたきも増えたと聞いた。
工場系のソフトウェア開発ということで、設備投資はバブル崩壊のタイミングは一段遅れたが、しかし確実にやってきた。
1995年前後は海外の仕事がまだあったが、それが終わると一切の仕事はなくなり、何もしないで帰る、そんな日も少なくなくなった。
僕は仕事が終わると街へ出て弾き語りを始めた。
今ほど弾き語りがメジャーではなく、街でパフォーマンスをする人は珍しかった。
僕は何かのうっ憤を晴らすように懸命に歌った。
日曜日は定例で場所を決めて弾き語ることにした。
見に来るお客さんは増えた。
手ごたえはあった。
と同時に、何かできないか?との思いにもかられた。
音楽を仕事に出来ないものか?
音楽好きとしては誰もが通る一節であると思う。
そこでネットを利用して何らかの情報がないものか、と探し始めた。
そこで出会ったのがCreator’s MLだった。
音楽制作者が語り合うメーリングリスト。
情報に飢えていた僕は一も二もなく飛びついた。
主催者は意外に若く、まだ大学生だった。
むみん、と名乗っていた。
それも京大生!しかも文学部!なぜ?って思った。
なるほど、詞に対して色々文学的なアプローチがあるのだと思った。
しかし彼の作詞方法はデータベースに積まれたキーワードを模索して積み上げていく方法だった。ここでまたなぜ?って思った。
しかし、なるほどさすが京大生、理論の組み立ては秀逸なものがあり、ジャンル別に、またマーケティング的にどうあるべきか?何を目指すべきか?何が効率的か?をテーマに話題を振っていく。
ビートとは何か?グルーブとは何か?今流行っている楽曲の如何な部分が秀でているのか?
一番違和感があったのは世界の音楽シーンに於いて、ここで流行ってるものが数年後の日本の流行りになると察知し、そしてそれをいかに制作するのか?という部分。
これは音楽好きの我々が嫌い、そして批判している部分でもある。
しかし一般的に、特に仕事をしている立場としては売るためにやるわけで、売れない音楽は仕事ではないわけだ。
ビジネスマンとしても自分に最も欠けている、しかし必須の概念を感じた。
発声に対してもいかな発声であるべきかを常に追求している。
僕は彼がミックスボイスのネタをメーリングリスト上で振ってからその言葉を覚えた。
福島先生の発声の本があまり好きではないことも語っていた。
最終的には根性論になることが嫌いらしい。
彼らしいなと思った。
全てがプロとしてやっていく為に積み上げていくべき理論だった。
ここまでくると大体の人間は二つに分かれる。
同調しするか、反目するかである。
僕は多少反目であった。
いや、確かに理論は素晴らしいけれども、じゃそれを実践できるだけの実力はあるのか?と。
そして彼の音楽はエモーショナルであるのか?と。
僕の感情を揺さぶるものであるのか、と。
で、ぶっちゃけ売れんのか?と。
大体理論で来られると、大概のアマチュアミュージシャンはそんなものは大事じゃないという。
僕もそんな一人だった。
しかし、いずれにせよこの大学生は世の中の音楽を理解し、楽曲制作、レコーディング、市場分析などを一人でやっていて、確実にプロを目指しているんだなとは感じた。
あとは実績。
そしてその時は来る。
ついに彼のインディーズデビューが決まる。
忙しくなるので、メーリングリストの管理人は変わる。
広島の音楽専門学校で教鞭を取るKさんという方だ。
このKさんにはお世話になっていて、レコーディングの話など教えてもらい、僕がデジタルMTRを購入するときに値引き交渉もしてくれた。
夜中のチャット中に自分が購入したエロサイトのURLを送ってきたりしてくれて、ほんっといろんな意味でお世話になった(笑)
彼のインディーズアルバムはDawnという。
始めは「だうん」なのか「であうん」なのか判らなかったが「どーん」らしい。
意味は夜明け。
弾き語りをしていた僕にはまず「両手は空へ」というアコースティックギターから始まる楽曲が入ってきた。
ポップなチューンも格好良く、そして何といってもラストの楽曲「The end of innnosence」が強烈に来た。
Dream theaterか?ってくらいのプログレ。
アコースティックにポップにロックに、彼の多才さが散りばめられていたアルバムだった。
僕は思考の際、判断できないものを一旦保留する癖がある。
「これどうやねん?」
そう思いながらCDは常に車に乗っていた。
気がつけば口ずさめるくらいになっていた。
そんな彼はインディーズCD一枚を出したきり、どうなったのか判らなくなっていた。
w-indsのライブでバックコーラスに参加というのは聞いていた。
あるとき、彼の名前を検索してみた。
結構な楽曲制作をやっていることが判った。
その中に中島美嘉さんが歌うドラマ主題歌もあった。
もう押しも押されぬ日本の音楽シーンにおける楽曲制作の一員だな。
そう思った。
やはり彼の理論や音楽におけるスキル、情熱などは間違っていなかったのだ。
今後も活躍の場を増やしていくのだろうと思った。
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昨年正月頃、Voiceのカウンターでw-indsの話題になった。
「俺、コーラスやってた人知ってんねんな~会ったことないけど(笑)」
などと言いながら検索をかけてみた。
2012年、死亡、自殺
の記事が飛び込んできた。
「多くの人に自分の曲を歌ってもらい、もう満足した」という遺書が残されていたらしい。
今後も彼の活躍が続くであろうことを考えていた僕は多少パニックになる。
本当か?嘘じゃないのか?同姓同名の可能性は?
だが、情報は一致する。
彼の出身大学、インディーズアルバム、楽曲提供。
全てが一致した。
情報は???彼の在った、、、生きた情報は???
彼の友人が綴ったBLOGを発見した。
そこには彼が生前、楽曲制作をする際に如何に自分自身の感情を盛り込んでいくか、如何に迎合を受け入れていくかという制作者の、アーティストの苦悩と創作が綴られていた。
ああ、実物の彼はこんなにもエモーショナルな人間だったんだ。
そう思い、メールを送ったのが昨年。
一昨日、その友人の方のメールが帰ってきた。
そこには彼自身のつらい思いが綴られていて、メール返信にも時間がかかったとの事だった。
いつかVoiceへ行きたいと言ってくれた。
その日を僕は心待ちにして生きていこうか。
印象的だったKinki kid’sのノー・チューンド、そのことについて書いた彼のBLOGを掲載しておく。
http://blog.kenn.jp/post/15469221537/nagase-blog
http://www.kasi-time.com/item-22927.html