神戸三宮Live&BarVoiceひできの気まぐれ日記

神戸三宮Live&BarVoiceひできの気まぐれ日記

なんとなく綴れる事を綴ろうかなと。
肩肘張らずに、ナチュラルに

Amebaでブログを始めよう!

このイベントはmegが大好きで且つ誰がみても楽しめるアーティストを集めて作ったものだ。

それぞれのアーティストの文字も含めてタイトルにしてある。

 

毎回このイベント絵を楽しみにしてくれている方もいらっしゃっていて、年二回。

終わると「次はいつ?」なんて言葉も飛び交うのだ。

 

さて今回、東京からボクダンガンが登場してくれた。

最後のvoice出演を果たしたいと12月にオファーをくれたのだった。

 

正直、メンツ的に大丈夫か?とは思った。

それぞれが単に上手いとかだけじゃなく飛び道具を持っているし、ライブ感も凄い。

ボクダンガンの実力は知っているつもりでも、単にイイ!だけでは面白みがなければスポイルされてしまう。そんな日だ。

 

毎回くじ引きで順番が決まる。

ボクダンガンの順番はど真ん中。

このクジは毎回奇跡的な順番をくれる。

 

今回OAはBAD

Maguma、エレベーターズ、ボクダンガン、ミノルズ、役所タケシと続く。

 

ワンマン後のMagumaはまた一皮剥けていて、新曲も増やしてさらにバラエティ豊かになった。

運びも堂にいっている。

エレベーターズは「みなさん落ち着いていきましょう」のMCに会場が沸いた。

これはこの場になければ解らない。やはりライブだ!

そしてそこにボクダンガン。

早速弦を切ってしまうが、そこはあの勢いで乗り切ってしまう。

が、流石に音がスカスカになってしまうので僕のギターを貸した。

っていうかそこまで来て彼の成長具合も見て取れた。

会場は見劣りしないくらいに沸いている。

 

男子三日会わざれば刮目して見よ

 

まさにこの言葉が頭を舞った。

日々成長しているんだな。嬉しい。

 

その後にミノルズ。

もはやミノルズをみんなが待っている。

そんな空気。あの世界観に飢えているのかもしれない。

 

この期待感はプロだな!

そう感じた。

 

そしてトリの役所タケシ。

 

もはや定番の曲も飽きることなく、みんなが待っている。

「秀樹さん、リバーブお願いします!」

もちろんあの曲だ!

お安い御用。

 

アンコールも出て、最後は全員ステージへ。

 

 

終わってからは僕も久々にお酒を頂く。

やはりこの数年間の出会いから振り返ると色々な奇跡があるものだ。

 

偶然、奇跡、それらがあって出会えるわけだが、どうにも導きを感じずにいられないのが今日この頃。

ボクダンガンはたまたま検索した店がうちだっただけのことだ。

 

夜中LEOが遊びに来た。

彼が2nd-LEGをやりだしてからというもの、忙しさが増して来て中々こういったことがないが、以前はしょっちゅうだった。

 

そんな懐かしさを覚え、楽しくなって酒も増える。

 

LEOとボクダンガンは盛り上がり、一曲アコースティックセッションをやってみる事に。

 

イイ!

こんな事のために13年間やって来たのだと思う。

嬉しくて涙が出た。

 

そしてLEOも成長している。

セッションの時の微に入り細に入り時には誤魔化す、なんてことは定番だがそれにしても精度が上がっている。

アコギのストロークに次に入るモーションの前振りみたいなことがあるがそれをつかんでいる。

 

そして12・11のVoiceは久々LEOの日。

そして最終回。

いやが応にも期待してしまう。

 

また今日も酒の量が増える!

もう12月も7日!

早いものだ。

 

もうすぐvoiceも閉店。

 

今ものすごい喪失感と悲しみには襲われている。

 

それでも毎日を充実して過ごしていかなきゃならない。

 

昨日はvoiceもイベント無し。

そして次の日の昼間の仕事もない、と言う事でひとり盛り上がってワインとチーズを買ってきた。

最近酒を制限しているせいかあっと言う間に酔う。

 

結局店で起きてバイク用品店へ行き、仕事をしようと最近お気に入りのイオン神戸南店へ。

豆腐とスムージーを食す。

 

喫茶店のモーニングが大好きなのだが、最近内蔵機能の衰えを感じていて、あまり朝から食べ物を食べない方が良いのではないか?と言う結論に落ち着いた。

 

ま、歳だな!(笑)

 

極力一日一食が良いかと思っている。

 

今日はあまり食べないかな。

 

そんなこんなで今日のvoiceはTHE東南西北YOYO部のライブ。

今日も気合い入れて行きますか!

一人旅に行く時に帰りの予約を取るのが嫌いだ。

もしかしたら何かあるのかもしれないと期待していて、そしてそこに何もないことも判っている。

それでもそこに期待したいと思っている僕はおおよそ合理的な判断には欠けていて、社会人としては失格。

予定調和が嫌いなのかも知れない。


それでも旅に出たい。


その期待感だけで行きていけるんじゃないかと思ってしまう。

2017/8/1/になりました。

そして明日は8/2、僕の50歳の誕生日です。


のんべんだらりと、そして結構波乱万丈な50年だったように思います。

そして40代最後の今日に決断したことがあります。


2017/12/31をもちまして神戸三宮Live&BarVoiceを閉店します。


2004/11/5ミナエンタウンでスタートしたLive&BarVoiceですが思い起こせば色々ありました。

こんな適当な夫婦でやってこれたのは何と言っても皆様のおかげです。

本当にありがとうございました。


専門学校を卒業し、サラリーマン生活を10年近くやってきました。

サラリーマンなんて自分に最も合わない職業だ、なんて思いながらもそれでも10年間は辛抱しました。

それは両親に多大なる迷惑をかけたからでした。

高校を卒業してギターばかり弾いてた僕に大きな事件が起きてしまいます。

なんせ音楽しか頭になかった僕に目の前にでかい壁ができてしまいました。

それからはなんとか両親に安心してもらいたいとの思いから、専門学校に行き、資格を取り、就職しました。仕事に熱中するしかないと思いました。

しかしバブル崩壊の煽りで仕事が激減し、余暇ができると思いは音楽に向いてしまいます。

それからは毎日のように路上に出て歌う日々が続きました。

繋がりもたくさんでき、教会でアンサンブルをやったことがあります。

プロの演奏家、プロの歌手の方とご一緒することができて幸せなひと時でした。

もしかしたら音楽に関わって何かできるかもしれないと感じたのはこの時でした。


会社は怠慢な僕を大きな愛で見守ってくれたと思います。

しかし、やはり自分の思いとのギャップは埋められず、どうにも釈然としない思いに駆られてしまい19991231日で会社勤めを辞めてしまいました。


それからはひたすらバイトの日々。

で、実は1999年からちょくちょくライブでお呼ばれしていた神戸新長田のお店でバイトの話が出ました。

20004月、神戸へ移り住むことになり、そこでゲームセンターでバイトの日々と時々ライブ。

あちこちの店に遊びに行きましたが、今でも覚えているのはその中の一軒。

『神港工務店』というおおよそ店に思えない名前のバー。

そこの庭村さんが言った言葉は今でも覚えています。

『これがライブバーや』

ほんっっと、面倒臭いおっちゃんでしたが(笑)嗅覚は割とある人でした。

まだそんなにライブバーって言葉が一般的ではなかった頃です。

そしてその時には自分がそんな店をやることなんてこと考えてませんでした。


それからmegと出会い、一緒にユニットやってVoiceを始めることになるわけですが、、、

商売などやったことのない二人が手探りでやってきてここまでこれました。

これまでの経験は何物にも変えがたいことになりました。


この13年の間、何より痛かったのは人との別れです。

二度と会うことの叶わない今生の別れ。

それが何度となくありました。

行きて行く限り必ずある別れです。

特にお店をやっていた方は深く心に刻まれています。

でもだからこそお店を続けていこうという発奮の材料にもなったのだと思います。

彼らの行きた証で、それらを肴に呑むこと、語る事が供養になるのではないかと思っているからです。

まぁ単に呑みたいだけやないか!と言うお叱りの声もありますが(笑)

しかしそれも、バトンを受け継ぐお店ができたと思います。

あの頃とは違い、あの人がこの人が今お店をやっている、と言うのは嬉しい事です。

バトンを渡したいと思います。


今回この考えに至るまで、実は所縁の地を一人でこっそり訪れては感慨に浸る、ということを続けてきました。

そこでやはり感じたのは僕という個人、僕らという夫婦だけでは絶対になし得ないことであったと思います。

そして様々な方にお世話になり、それこそ多大なるご迷惑をおかけし、それでもいきてこれたことに感謝です。


思い出は筆舌に尽くしがたいほどあります。

それを今年残りに色々吐き出したいと思います。

残りの5ヶ月間を全力で走り抜けたいと思います。


残りの時間、どうぞよろしくお願い致します。

ありがとうございました。








「恋人よ」

 

このタイトルであれば僕の世代ならば間違いなく五輪真弓さんのその曲がい思い浮かぶだろう。

 

テレビで音楽番組を夢中で見ていた時代の大ヒット曲。

ギターを弾き始めた頃であったし、何よりもこの頃ギターで原曲の表現しやすい曲を探していた。

 

当時ニューミュージックと歌謡曲、演歌、そしてロックが渾然としたヒットチャートであった為、フォーク世代とはほんの少しずれる。

 

アコースティックギターで楽曲の表現がしにくい時代でもあった。

そんな中、この曲のベース音

が変化するだけでイントロが表現できるところには感心したし、好んで弾いた。

 

ギター触り始めで誰かになんの曲か伝わるのは嬉しいものだ。

ちなみにイントロクイズ的によくやったのは、あみんの「待つわ」とアリスの「帰らざる日々」。

思えば中学時代のギター部の後輩に聴かせて得意になってた。

特にこの頃、アコースティックギターのつまみ引きが好きだった。

実は周りの仲間がストロークが上手で、僕はそこに敵わなかったので何か別の方法で対抗できないかと考えていた。

それがつまみ弾き。

ベース音とコードの弾き分けだけでなんだか違った雰囲気になる。

なんなら楽曲の特にピアノ曲なんか似合う。

そんな僕の狙いにこの曲はぴったりだった。

 

ただキーが高い。

当たり前に女性曲なので、僕にはキーが高かった。

この時原曲キーでないといけないとか訳の判らない枷を自分に課せていた。

伴奏するにも歌う女性もいなかったのでだんだんとお蔵入りになった。

唯一1994年に韓国に行ったときには何故かこの曲を知っている韓国人が多くてギターで弾いた覚えがある。

 

しかし中学時代、あの頃ストリングスアレンジの曲が多かった。

美しい曲、美しいアレンジが多いのだが当時の僕には面白くなかった。

やはりギターが聴きたいのだ。そして弾きたいのだ。

何よりこの頃の次第に嫌悪感として現れてきたのが「上手いでしょ」アピールのベテラン歌手。

淡谷のり子さんや美空ひばりさんだ。

いや、勿論日本を代表する歌手で本当に素晴らしい歌手である。

抜群に上手いし大尊敬している。

ただこの頃、まさに中学生の僕はそれを嫌悪してしまった。

そしてシャンソン臭。

上手い女性歌手は必ずシャンソンに寄るという僕の勝手な思い込みから、シャンソン臭のするベテラン歌手は嫌いになってしまったのだ。

そのシャンソン臭のする大歌手たちがこの「恋人よ」を好んでカバーしていた。

そして五輪真弓=気持ち悪い、妖怪人間ベラだとかそんな評価で周りのイメージは一致してしまった。

五輪真弓、シャンソン寄りの気持ち悪い歌手になってしまった。

 

大阪に就職してたまに九州に帰省すると、日常の足がすっかり車になってしまった母親が迎えに来る。

何と言っても車の中で好きなbgmをかけることが自由になった母親の車内では鈴木雅之か五輪真弓だった。

そこで初めて「少女」を聴いた。

良い曲だった。

 

何よりマイナー調の曲のイメージしかなかった五輪真弓のイメージがちょっと変わった。

 

五輪真弓さんと言うと、もし洋楽が好きだったら誰を目指したんだろう?ちょっと考えた。

やはりジョーン・バエズ、ジョニミッチェル。

いや、それ髪型でしょ!(笑)

 

勿論その辺の洋楽も大好きであったしコピーもしたらしいが、初アルバムを出すに当たって一番念頭にあったのはキャロルキングだそうだ。

そのためファーストアルバムのレコーディングスタジオもキャロルキングがTapestryをレコーディングしたスタジオで録ったらしい。

そこに普通に現れたTapestryのジャケットそのままで現れたキャロルキングは普通にピアノを弾いてくれたらしい。

「少女」のピアノはキャロルキングが弾いてると知って驚いた。

だからこの間か!この空気感か!と得心がいった。

当時は和製キャロルキングなんて言われてたそう。

全く知らなかった。

 

順調に楽曲を発表していったが、行き詰まった時にパリに滞在。

その滞在中にあのシャンソン歌手アダモさんから誘いを受け、ステージに参加したらしい。

僕が思うにこの頃から少しシャンソンに傾倒していったのではないかと思われる。

日本の歌謡曲の一部のシャンソンっぽいマイナー調の雰囲気。

こんな楽曲に変わっていったと思う。

 

そしてファーストアルバムのアレンジャーの死に直面し、その悲しみが名曲「恋人よ」誕生となった。

 

あの名曲誕生にはストーリーがあった。

だからシャンソン歌手が好んで歌い、そしてあの悲しみが詰め込まれたなんとも言えないあの歌詞がある。

 

「冗談だよと笑ってほしい」

 

淡谷のり子さんはここがいいのよねとおっしゃっておられたそうだ。

「老人」と書くと怒られるかもしれない。

「後期高齢者」と書くとなんかかたっ苦しい。

 

そこで「人生の先輩方」と表題に書くことにした。

 

僕も今年で50歳。

人生折り返し。

そこで如何な年のとり方をしようかと考えるわけだが、

ここ数年、僕の心を鷲掴みにしている方がいらっしゃる。

 

田中泯さん

http://www.min-tanaka.com

舞踊家

 

とは言っても僕が知ったのはつい最近でしかもドラマの俳優さんとしてだ。

朝ドラの塩田で塩を撒く姿に痺れたのだ。

ものすごく格好いい塩の撒き方をする。

眼光鋭く、気骨のある老人といった感じだが、ものすごく優しい目もする。

というか、この人の演技では僕は目を見ている。

目で演技する人だと感じている。

 

最近ではこの人が出るドラマでは主役よりも無意識にこの人を追ってしまう。

正直キムタク主演のA LIFEでも田中泯さんが出演すると彼の方を見てしまう。目で追ってしまう。

るろうに剣心の映画ではアクションシーンにもこれまた痺れてしまった。

いつか田中泯さんの舞台を観に行きたいと思う。

 

 

先ほど気になって録画していた番組を見た。

桂歌丸さんのインタビュー番組だ。

 

歌丸さんが語っている番組は見たことがなかったので、夢中になって見てしまった。

生い立ちから現在に至るまで様々なお話を見ることができたのだが、圧巻は先月行われた高座だ。

古典落語「つる」を演じられていた。

そこで僕はまた「気概」「気骨」を目撃してしまう。

やられてしまった。

格好いい!

この言葉しかない。

 

枕から全く自然に本編に入って行く技術にも痺れたが、「間」が最重要だという言葉にも痺れた。

笑点は「間」がある唯一の番組であるから長寿番組として今も愛されているのだという。

地方公演に行く際は早めに入って周囲の人との会話のツボ、早さなどを掴んで演目を決めるいう。

変化させて合わせていく「間」も必要であると。

そして「聞いて頂く」「笑って頂く」

歌丸さんは「老いていく」と考えちゃいけないという。

年を重ねる、階段を登っていくと考えりゃ一つも怖いことなんてないんだと。

これまた格好いい!

 

そしてこの言葉に引っかかって表題に「老人」という言葉が使えなかった。

 

やはり彼らは「格好いい人生の先輩方」なのだ。

 

僕も良い年の取り方をしたいものだ。

以前、四国を急に旅することになった時のことを思い出した。

 

金曜日の夜に急に友達と車で「四国に行こう」ということになったのだった。

 

姫路から岡山、四国に渡り高知には朝についた。

龍馬のつもりで「おお、桂浜じゃぁ」なんて言ったりして遊んだ。

それから高知をウロウロし、次に四万十川源流点へ行こうということになった。

 

腹が減ってきたのでコンビニで何か買おうということになったのだけれども一向にコンビニが見当たらない。

 

そのうち暗闇に光る一軒の民家を発見。

どうもよろづ屋的に何かを売ってそうなのだが、もう店は閉めてしまっていて、奥に人影が見える。

どうやら食事中のようだ。

 

どうにも辛抱がたまらなくなった僕らは戸を叩いて開けてもらい、カップラーメンを購入させていただいた。

ご丁寧にも僕らのためにご主人はお湯を沸かしてくれた。

 

店内を見渡すと加川良さんのサインがあった。

他に音楽に関するようなことは店内に見受けられなかったので

ご主人は特に加川良さんのファンなんだなぁと感じた。

そこで僕も何かネタを振ればよかったのだが、一切持っていなかったのが悔やまれる。

 

あのご主人は元気にしているだろうか?

 

そういえば以前村上律さんにライブをして頂いた時に、店に来る前に一杯飲んできたとおっしゃられてた。

「加川良にいい店聞いてきて、行ってきたんだ。」

そうおっしゃった村上さんはライブ開始前から終了後も飲みっぱなし。恐れ入った。

 

最近身体のことを、それも健康のことについてよく考えるので、

健康に酔っ払えることがなんて大事なんだろうって思えてしまう。

 

前回の記事で四月は訃報が多いなんて書いた。

加川良さんが亡くなられた。

フォークの時代を築いた方が亡くなるのは本当に残念。

お会いすることは叶わなかったが、心よりご冥福をお祈りしたい。

また今年も4月がやってきた。

一般的に出会いと別れなどと言われる季節でもあるが、僕にとっては別れの季節である。

死別がとにかく4月に多い。

また4月か。。。なんてことが多くある。

 

兎にも角にも4月は無事に過ごしたい。

一日は僕の恒例の行事としてゆっくり一人で酒を飲む。

恒例の酒を用意して。

 

 

昨年の体重に近づいてきた。

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そして今年は昨年以上にシェイプアップしていこうと思う。

何せ70kgを着るのが目標。

あと6kgほどあるのでなかなかのハードルだ。

 

iphoneのヘルスケアのアプリが重宝している。

昨年の体重に近づいてきたのがかなりわかる。

血圧と共に数値化された情報が一目で判るのは大変ありがたいと共に

数値化すること、その認識をすることの重要さを再確認する。

 

何事も数値化だ。

毎日GACKTのブログを見ている。

毎日トレーニングをしていたのは知っていたが、具体的な数値を知りたかった。

68.9Kg、体脂肪率7%。

腕立て、腹筋共に240回だそうだ。

 

驚愕する。

毎日50回のスクワットと、腕立て、腹筋20回の僕とは雲底の差である。

 

だがまぁいい。

そこを目指してやれば良いのだから。

 

目標の数値があるのは良いことだ。

 

初めたばかりのアマチュアミュージシャンには特に言うことにしている。

「数値目標を設定せよ」と。

 

やたら概念的なことを大事にする風潮が見られるが、やはりそこに数値目標が必要なのだ。

 

CDが何枚売れた。

何人動員した。

ワンマンで何人動員できた。

 

数値目標だ。

勿論それだけではないもう表も多数存在するのは判っているが、それにも数値が付いて回る。

 

そして僕自身も最も苦手としていることだ。

だからこその体重目標であったり、トレーニングの目標であったりする。

 

概念的なことで言えば、今年は「格好良くなる」だ(笑)

今年で齢50歳になる。

 

なるべくカッコイイ50代を目指したいものだ。

一昨日、とあるメールが届いた。

携帯のポップアップにポンッと。

僕のgmailに来るのは登録の情報がほとんど。

しかし、そのメールのニュアンスは明らかに僕宛の返信であった。

PCで開いてみて驚いた。一年ほど前に送ったメールに対しての返信だった。

丁度一年ほど前に、ある訃報を知り、居た堪れなくなってWEBを検索しまくった。

しかし、彼の情報はどこにもない。

いや、正確には彼が成したこと、結果はどこにでもあふれているのに彼が生きた情報が浮かんでこないのだ。

しかし、そこで彼の友人が綴ったBLOGを発見した。

二人の会話がそこには記されており、彼の理路整然としたイメージとは大よそ違った思考が見て取れた。その時の感情に任せて、メールを反射的に僕は書いたのだった。

 

昨夜のメールには返信がどうして遅れたのか、その思いがつづられていて、僕は泣きそうになった。

この歳になれば訃報は増える。

それが続けば、そしてそれが最愛の人となれば、、、。

色々な感情があふれだしてきて、ここに記すことにする。

 

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1999年まで僕は会社員だった。

バブル終盤に入社して来た僕の立場は微妙であった。

技術部門でもソフトを納品するという立場ではコスト管理が重要である。

コストを一概に安くすること、これが利潤につながりつまりは制作工数を少なくすることが命題として課されていた。当たり前といえば当たり前。だがこれが納得できなかった。

技術としては更なる発展を見込まないと、先がない。

他社にも置いていかれる。

そんな感情とは裏腹に僕のやる気は急速に冷めていった。

コスト、コスト、コストの連呼に飽き飽きしていた。

入社以来、一時期は200時間に届こうかという残業の連続だったが、そんな仕事も無くなってきていて定時で帰れる日も増えた。

いわゆるバブル崩壊である。

大阪支社では肩たたきも増えたと聞いた。

工場系のソフトウェア開発ということで、設備投資はバブル崩壊のタイミングは一段遅れたが、しかし確実にやってきた。

1995年前後は海外の仕事がまだあったが、それが終わると一切の仕事はなくなり、何もしないで帰る、そんな日も少なくなくなった。

僕は仕事が終わると街へ出て弾き語りを始めた。

今ほど弾き語りがメジャーではなく、街でパフォーマンスをする人は珍しかった。

僕は何かのうっ憤を晴らすように懸命に歌った。

日曜日は定例で場所を決めて弾き語ることにした。

見に来るお客さんは増えた。

手ごたえはあった。

と同時に、何かできないか?との思いにもかられた。

 

音楽を仕事に出来ないものか?

 

音楽好きとしては誰もが通る一節であると思う。

そこでネットを利用して何らかの情報がないものか、と探し始めた。

そこで出会ったのがCreator’s MLだった。

音楽制作者が語り合うメーリングリスト。

情報に飢えていた僕は一も二もなく飛びついた。

 

主催者は意外に若く、まだ大学生だった。

むみん、と名乗っていた。

それも京大生!しかも文学部!なぜ?って思った。

なるほど、詞に対して色々文学的なアプローチがあるのだと思った。

しかし彼の作詞方法はデータベースに積まれたキーワードを模索して積み上げていく方法だった。ここでまたなぜ?って思った。

しかし、なるほどさすが京大生、理論の組み立ては秀逸なものがあり、ジャンル別に、またマーケティング的にどうあるべきか?何を目指すべきか?何が効率的か?をテーマに話題を振っていく。

ビートとは何か?グルーブとは何か?今流行っている楽曲の如何な部分が秀でているのか?

一番違和感があったのは世界の音楽シーンに於いて、ここで流行ってるものが数年後の日本の流行りになると察知し、そしてそれをいかに制作するのか?という部分。

これは音楽好きの我々が嫌い、そして批判している部分でもある。

しかし一般的に、特に仕事をしている立場としては売るためにやるわけで、売れない音楽は仕事ではないわけだ。

ビジネスマンとしても自分に最も欠けている、しかし必須の概念を感じた。

 

発声に対してもいかな発声であるべきかを常に追求している。

僕は彼がミックスボイスのネタをメーリングリスト上で振ってからその言葉を覚えた。

福島先生の発声の本があまり好きではないことも語っていた。

最終的には根性論になることが嫌いらしい。

彼らしいなと思った。

 

全てがプロとしてやっていく為に積み上げていくべき理論だった。

 

ここまでくると大体の人間は二つに分かれる。

同調しするか、反目するかである。

僕は多少反目であった。

いや、確かに理論は素晴らしいけれども、じゃそれを実践できるだけの実力はあるのか?と。

そして彼の音楽はエモーショナルであるのか?と。

僕の感情を揺さぶるものであるのか、と。

で、ぶっちゃけ売れんのか?と。

 

大体理論で来られると、大概のアマチュアミュージシャンはそんなものは大事じゃないという。

僕もそんな一人だった。

 

しかし、いずれにせよこの大学生は世の中の音楽を理解し、楽曲制作、レコーディング、市場分析などを一人でやっていて、確実にプロを目指しているんだなとは感じた。

 

あとは実績。

 

そしてその時は来る。

ついに彼のインディーズデビューが決まる。

忙しくなるので、メーリングリストの管理人は変わる。

広島の音楽専門学校で教鞭を取るKさんという方だ。

このKさんにはお世話になっていて、レコーディングの話など教えてもらい、僕がデジタルMTRを購入するときに値引き交渉もしてくれた。

夜中のチャット中に自分が購入したエロサイトのURLを送ってきたりしてくれて、ほんっといろんな意味でお世話になった(笑)

 

彼のインディーズアルバムはDawnという。

始めは「だうん」なのか「であうん」なのか判らなかったが「どーん」らしい。

意味は夜明け。

弾き語りをしていた僕にはまず「両手は空へ」というアコースティックギターから始まる楽曲が入ってきた。

ポップなチューンも格好良く、そして何といってもラストの楽曲「The end of innnosence」が強烈に来た。

Dream theaterか?ってくらいのプログレ。

アコースティックにポップにロックに、彼の多才さが散りばめられていたアルバムだった。

 

僕は思考の際、判断できないものを一旦保留する癖がある。

「これどうやねん?」

そう思いながらCDは常に車に乗っていた。

気がつけば口ずさめるくらいになっていた。

 

そんな彼はインディーズCD一枚を出したきり、どうなったのか判らなくなっていた。

w-indsのライブでバックコーラスに参加というのは聞いていた。

 

あるとき、彼の名前を検索してみた。

結構な楽曲制作をやっていることが判った。

その中に中島美嘉さんが歌うドラマ主題歌もあった。

 

もう押しも押されぬ日本の音楽シーンにおける楽曲制作の一員だな。

そう思った。

やはり彼の理論や音楽におけるスキル、情熱などは間違っていなかったのだ。

今後も活躍の場を増やしていくのだろうと思った。

 

***************************************

 

昨年正月頃、Voiceのカウンターでw-indsの話題になった。

「俺、コーラスやってた人知ってんねんな~会ったことないけど(笑)」

などと言いながら検索をかけてみた。

 

2012年、死亡、自殺

 

の記事が飛び込んできた。

「多くの人に自分の曲を歌ってもらい、もう満足した」という遺書が残されていたらしい。

今後も彼の活躍が続くであろうことを考えていた僕は多少パニックになる。

本当か?嘘じゃないのか?同姓同名の可能性は?

だが、情報は一致する。

彼の出身大学、インディーズアルバム、楽曲提供。

全てが一致した。

 

情報は???彼の在った、、、生きた情報は???

 

彼の友人が綴ったBLOGを発見した。

そこには彼が生前、楽曲制作をする際に如何に自分自身の感情を盛り込んでいくか、如何に迎合を受け入れていくかという制作者の、アーティストの苦悩と創作が綴られていた。

ああ、実物の彼はこんなにもエモーショナルな人間だったんだ。

そう思い、メールを送ったのが昨年。

 

一昨日、その友人の方のメールが帰ってきた。

そこには彼自身のつらい思いが綴られていて、メール返信にも時間がかかったとの事だった。

 

いつかVoiceへ行きたいと言ってくれた。

その日を僕は心待ちにして生きていこうか。

 

印象的だったKinki kid’sのノー・チューンド、そのことについて書いた彼のBLOGを掲載しておく。

 

 

http://blog.kenn.jp/post/15469221537/nagase-blog

http://www.kasi-time.com/item-22927.html

実際書くことって言ったら、、、
今何を書こうか、って思う。

アメーバのアカウントを取った頃。
昔はなんやかんや言いたいことがあってそれを吐き出すはけ口が欲しいなんて思ってたこともあったっけ。
世間一般に顔を出す僕以外の場所で表現したいなんてことも思ったのかもしれない。

でもそれも過ぎて今の立場でなんらかの発信ができたらなとも思うのだ。

なんとなく、なんとなくで、すたーと。