サハラの町メルズーガで、ブログを書こうとしたら、
電気が流れているのは夜だけで結局書くことができなかった。
サハラでは、暗くなるまで子供たちとサッカーもした。
最後は、夕焼けをバックに、モロッコ人の友達に歌を贈った。
帰りは、もう一度ハロウン村に寄って、ブシャラの家族に再会した。
お礼をしようと、果物やお菓子を持って行ったけど、
僕は、またそれ以上のものを、もらうことになってしまった。
また家でごはんをいただき、アフリカンタトゥーのナカシを、
ブシャラの妹ルビナに、両手いっぱい描いてもらった。
病気で苦しんでいるルビナは、苦しい顔ひとつ見せず、
ただ黙々と、僕の手にナカシを描き続けてくれた。
自分の家で採ったアーモンドも食べさせてくれた。
何もあげてないのにもらった時は、倍にして返したい。
いつもそう思ってるけど、今回は返し切れなかった。
また会いたい。というか、また会えるような、そんな気がした。
そして、ヒッチハイクをして、夜行バスに乗り、
リッサーニからマラケシュに戻った。
マラケシュでは、偶然にもスウェーデン人のジョアンと再会し、
夜は、タジン鍋を一緒に食べながら、色々な話をした。
お昼に、ボロボロに壊れたギターを30$で買って、
モロッコ最後の夜に、ライブをした。
場所は、マラケシュのビッグスクエア、フナ広場。夜9時。
1曲目で声を張りすぎて、喉が壊れてしまったけど、
2曲目から、どんどんどんどん人が集まり、
僕の周りには、なんと約100人が集まった。
用意したフライヤーの束も、一瞬にしてなくなった。
気付いたら僕は、たくさんの人の前で、
感情のままに抑えきれない涙を流しながら、
ただただ、必死に歌っていた。
歌いたかった、TOTOのアフリカを忘れてしまうほど、
感謝の気持ちを伝えることでいっぱいだった。
ヨーロッパから逃げるようにやって来たアフリカ。
そのモロッコで起こった数々のトラブル。
そんな時、僕を優しく受け入れてくれた、
ブシャラとルビナと、家族のみんな。
旅中に亡くなったおばあちゃん、
旅で行けなくなった、いとこの結婚式。
応援してくれている友達。遠く離れた家族。
色々な事が巡りに巡った。
そして今、名前も知らない日本人の僕を囲んで、
たくさんのモロッコ人が、優しい気持ちで受け入れて、
一緒に歌ったり、手拍子してくれている。
本当に幸せだなと、心から思った瞬間だった。
僕は曲の途中でギターを弾くのを辞めて、
お客さんの手拍子だけで、目を瞑って歌った。
僕たちが、ひとつになった瞬間だった。
あの日のライブは、喉も壊れて声も出なくて、
歌でもなく、音楽でもなかった。そんな気がする。
ただ、そこに集まった100人が、同じ気持ちを共有した。
これ以上ない、素晴らしい空間の中で、
僕たちの間には、優しい時間が流れていた。
曲の間で話しかけられたり、リクエストされたりして、
ただ一方的なライブではなくて、一体感のあるライブだった。
親日の人もたくさんいて、片言の日本語で一生懸命話しかけてくれた。
次は、いつモロッコに来るんだ?と、聞いてくれる人もいる。
いつになるか分からないけど、絶対モロッコに帰ってきたいと言った。
日本の音楽が好きで、オススメのアーティストを教えてほしいと言う。
そんな男の子もいて、ナオトさんと、ミスチルを勧めてきた。
日本人で良かったと、改めて思った瞬間だった。
最後は人が集まり過ぎて、警察が来て止められてしまった。
一時間くらいだったけど、時間を忘れるほど、無我夢中に歌った。
あれだけの人が集まって、集まったお金は、3ディルハム。
日本円にして、30円にもならない。しかも子供が僕に手渡してくれた。
ライブを終えて、そのお金でソフトクリームを食べた。
今まで食べた、どんなソフトクリームよりも美味しかった。
お金じゃない。それ以上に、心に深く刻まれたライブになった。
ビデオテープもなくなって、少ししか記録に残せなかったけど、
記憶に残る、これ以上ない素晴らしい夜だったことは間違いない。
終わった後も、フナ広場で何人にも声をかけられて、
ロックスターになったような、そんな気分だった。感謝感謝。
一番のファンだと言って、僕のことを応援してくれていたジョアンも、
今日は、忘れられない夜になったと言って、喜んでくれた。
僕にとって、生涯忘れられない、ライブになった。
そこには、優しい時間が流れていた。