被害者とナルシスト
もう明後日で新年か・・・・
上の写真 拡大してみてね お年玉ってこんな意味あんの?
と初めて 知ったヒデカでした^^;
あんま勉強してこなかった私の人生ですが
大学にいったわけでもないけど 趣味は思想?哲学?
なんか物事考えるのが好きでね
今回 「被害者とナルシスト」という題材で考えてみた
今の世の中 被害者が声を出し 自分の被害を訴えると
何故か世間からバッシングを受ける
同情をする人もいるだろう
しかし ほとんどの人が被害者の訴えを聞いたとこで
気分は良くない
それは なぜなのか
心理的に少し考えてみた
もしかして 人はどんな内容であれ
他人中心の話には耳を傾けないのでは?
人の幸せを心から喜べるのは 自分にとても身近な人だし
他人の結婚をだた知って 心底嬉しいと思う人はいない
どこかでその相手を知って 自分もどこかで共感したり
同じ苦しみを味わったりした相手が 幸せな結婚をした場合
その人は 心底その友人の結婚を喜べるかもしれない
でも そこには 相手と時間をともにした自分が存在する
そから 幸せを感じるのであって
もしこの友人が 全然かかわりにない人であれば その感情はなくなる
よく殺人の被害者の家族がマスコミに出るとバッシングされるのは
実際の被害に対してでなく
自分中心の内容を感情的に話すことに不快を感じて
そのように バッシングするのかと 分析する
どんなに酷い事件とかが問題でなく
人は 自己中心の会話に極端な不快感を感じてしまうんだ
それは ある意味 相手をナルシストとみて
そのナルシストの鏡を割って こちらにも人間が存在するのだ
おまえの一方的なはけ口にするな!
という 心の叫びかもしれない
それだけ今の人達は
自分の心を保つのが精一杯で
人の吐いた毒を飲み込む余裕も避けることもなく
そのまま 吐いてきた相手をたたきたくなるんだろう
だから 今 たとえネットで被害を訴えたとしても
それは現実問題建設的方向に行くことなく
むしろ自分をどんどん痛めるだけだ
「もろ刃の剣」ってこと?
今のとこの考えで言うと
生きる為にも その刀はもう使わない方が良いと
ヒデカは思うんだ
被害者が訴えようとする相手こそ ナルシストで
相手はそのこと(被害者)に 無関心なんだって事
そこにいくら訴えたとこで 反応がなくても仕方ない
だからって被害を訴えないで終われるわけじゃないだろう
届かぬ相手にいくら水面に石を投げたとこで
相手は変わらずに 自分を映し出す 鏡を見つけるだけ
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