ひーくん
おはようございます。
私はおにぎり先生です。
お返事が遅くなりました。
堕落への懸念について、
新たなことへ挑戦して行く前向きさや
身の回りの環境変化などから
迷いが生じられているのではないか
とお察し致します。
ここで、
ひーくんの心はいつでも自由なのだ
ということを再認識してみてください。
自由
というものについて
ひーくんはどのように思いますか?
自由を求めるとき
多くの人は
思いとおりに好きなように・・・
と考えるでしょう。
しかし、
全ての人にとって
生まれる場所が思いとおりにならないばかりか
ある程度成長するまで
住む場所も食べるものも思いとおりになりません。
また、思いとおり好きなように
栄養を摂取することは出来ませんし
病気になることもならないことも出来ません。
寿命だって思いとおりにはならないのです。
では、このことは不自由なことなのでしょうか?
きっと、自分自身の存在意義を認める多くの人は
不自由とは考えないはずです。
故郷、両親への感謝
心身への慈しみ、健康的な生活・・・
これらはむしろ、
万物の素晴らしさを認める
根源的自由 ・・・①
ではないかとおにぎり先生は考えます。
また、同時に一般的に良く知られる
手足を思い通りに動かせたり
興味のあることについて考えたり
好きな食べものを舌で味わったり、
飲み込んだりする
慣習的自由 ・・・②
というものもあります。
人それぞれの自由の中に
①根源的自由、②慣習的自由
がどれくらいあるのかを確認するのは
なかなか難しい作業かと思いますが
この2つがもし対の関係にあるのならば、
適度なバランスを維持する必要がありそうです。
では、何を基準にバランスを考えるのでしょうか?
この基準こそが
生き方を決める重要な要素であり
おにぎり先生はこれを
創造的自由 ・・・③
と呼んでいます。
③創造的自由とは
言葉の通り
何かを生み出す自由であり、
自分自身を社会へ参加させて
世間から評価を受けることにつながるものです。
活躍するフードファイターは
高カロリー食を大量に食べても
世間から賞賛されます。
一流のスポーツ選手は
たとえ勉強が不得意でも、ルックスが良くなくても
人々を感動させることが出来るのです。
これらは創造的自由の一例であり、
自由のあり方が
全ての人に同じでは無い
ということを意味している
とおにぎり先生は思います。
自由への意識によって
ひーくんの中にある堕落への懸念を
取っ払うことが出来たら良いのですが。
おにぎり先生より
おはようございます。
私はおにぎり先生です。
お返事が遅くなりました。
堕落への懸念について、
新たなことへ挑戦して行く前向きさや
身の回りの環境変化などから
迷いが生じられているのではないか
とお察し致します。
ここで、
ひーくんの心はいつでも自由なのだ
ということを再認識してみてください。
自由
というものについて
ひーくんはどのように思いますか?
自由を求めるとき
多くの人は
思いとおりに好きなように・・・
と考えるでしょう。
しかし、
全ての人にとって
生まれる場所が思いとおりにならないばかりか
ある程度成長するまで
住む場所も食べるものも思いとおりになりません。
また、思いとおり好きなように
栄養を摂取することは出来ませんし
病気になることもならないことも出来ません。
寿命だって思いとおりにはならないのです。
では、このことは不自由なことなのでしょうか?
きっと、自分自身の存在意義を認める多くの人は
不自由とは考えないはずです。
故郷、両親への感謝
心身への慈しみ、健康的な生活・・・
これらはむしろ、
万物の素晴らしさを認める
根源的自由 ・・・①
ではないかとおにぎり先生は考えます。
また、同時に一般的に良く知られる
手足を思い通りに動かせたり
興味のあることについて考えたり
好きな食べものを舌で味わったり、
飲み込んだりする
慣習的自由 ・・・②
というものもあります。
人それぞれの自由の中に
①根源的自由、②慣習的自由
がどれくらいあるのかを確認するのは
なかなか難しい作業かと思いますが
この2つがもし対の関係にあるのならば、
適度なバランスを維持する必要がありそうです。
では、何を基準にバランスを考えるのでしょうか?
この基準こそが
生き方を決める重要な要素であり
おにぎり先生はこれを
創造的自由 ・・・③
と呼んでいます。
③創造的自由とは
言葉の通り
何かを生み出す自由であり、
自分自身を社会へ参加させて
世間から評価を受けることにつながるものです。
活躍するフードファイターは
高カロリー食を大量に食べても
世間から賞賛されます。
一流のスポーツ選手は
たとえ勉強が不得意でも、ルックスが良くなくても
人々を感動させることが出来るのです。
これらは創造的自由の一例であり、
自由のあり方が
全ての人に同じでは無い
ということを意味している
とおにぎり先生は思います。
自由への意識によって
ひーくんの中にある堕落への懸念を
取っ払うことが出来たら良いのですが。
おにぎり先生より






