何の役にも立ってないと感じることが、もっともつらいことのようです。

逆もまた真なりで、なにかの役に立ったという感覚がかなりの幸福感を生むようです。

私の母は以前にクモ膜下出血で倒れ、歩くこともままならなかったのですが、リハビリの結果一人で散歩もできるようになり、その途中に知人に会い、そこでの会話の中で、こう言われたそうです。「がんばってらっしゃいますね、私もエネルギーもらってます。私もがんばります。」

その言葉をいって下さったことがとても嬉しく、母は「さらにがんばろう。」と思ったそうです。

「多くの慰めや励ましの言葉をかけて下さる方がいらっしゃったけれど、中でも一番嬉しかった。」と言っていました。

どんなに助けになっているか、母に知らせてくれたその方にお礼の手紙を書くと、その方もたいへん喜んでくださったそうです。

助けられることも嬉しいことですが、助けになったことを知る満足感にはかなわないようです。

しあわせに生きていくためには、誰かの役に立つように意図して生きていくこと。必要な助けがなんなのかを察知できること。その助けができること。助けを受け入れられることが必要なのではないでしょうか。

どんな職業でも、社会や家庭のなかでの役割も、なにかの助けになっているから成り立つのでしょうし求められるのでしょう。その職業や役割に誇りをもって、人のために尽くすことが出来ればしあわせは手の中にあるのではないでしょうか。

どのように助けることができるのか悩むことができる人は、傍観者でいる人よりもしあわせになる機会が多く訪れるのではないでしょうか。
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何かが現れそうな、何かが起こりそうな、少し怖いような、わくわくするような…