59歳になって自分の人生を振り返りたくなり、自伝を書く事にしました。
僕の名前
谷 英明
男性 1967年 2月7日生まれ 59歳
今は新宿区神楽坂の近くに住んでいます。
✖️2で1人暮らしですが、子供が3人、男2人、女1人、孫5人、ひ孫1人います。ひ孫がいるのは、長男が年上の子持ちの女性と一緒になったので、連れ孫がいたからです。
合同会社を2つ持ち販促グッズの制作輸入と神楽坂で飲食店経営をしてます。
僕が育ったのは、和歌山県西牟婁郡大塔村平瀬という200世帯ぐらいの集落です。今は和歌山県田辺市平瀬です。
そこに15歳までいましたが5歳ぐらいまでは、父親の仕事の関係で、土木関係の採石場の小屋で育てられました。兄2人、父、母の5人家族です。そこは、平瀬から3kmぐらいの場所でした。小さい頃の記憶は少し曖昧ですが、採石場の小屋は電気、水道がなく、ガスはプロパン、電灯の代わりにオイルランプ、水は小屋の近くに谷川があったので、そこにバケツで水汲みに行ってました。トイレは山なので野晒しでした。
お風呂は五右衛門風呂で、薪で沸かしてました。
小屋の中にドラム缶で作った薪ストーブがあり、冬はそれを暖炉がわりにして過ごしてました。
交通手段は、父親の125ccのバイクか歩きです。バイクに5人乗りで移動してたのを覚えてます。
前のタンクに僕と次男、後の荷台に長男と母が乗って父が運転してました。ましてその時代はノーヘルだったので、今思うとヤバーって感じです。😆
5歳ぐらいの時は平瀬に家を借りて採石場の小屋と行ったり来たりしてたのを覚えてます。
極貧だったので、食べる物がない時は小麦粉を練って食べさせてた事もあるよって、母から聞いた事があります。
その当時猫(三毛猫のみー)を飼っていて、夜小屋から平瀬の家に移動する時、真っ暗闇の舗装されていない道を、みーの白い背中を頼りに歩いて行った記憶も残っています。それは4歳-5歳ぐらいだったと思います。
確か僕が4歳ぐらいで、次男が5歳長男が8歳ぐらいの時の夏に母が近くの川に泳ぎに連れて行ってくれました。その時、長男が泳いでて、僕は泳げなくて、溺れてしまい、川の中から水面を見て、なんか気持ち良くてキラキラしてて綺麗だなって思ってたら、母の2本の手が僕を引き上げたのを、今でも、はっきり映像の記憶として残っています。引き上げられた後僕は周りを見てる自分を外から見てた感覚が今でも残ってます。母はびっくりして、すぐに皆んなで帰りましたが、次男がまったく泳ぐ時間がなかったので、泣いてました。😆
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続きはまた、時間あるとき書きまーす。😊