ソーシャルメディア、静岡を見よ!  ロバとの対話2 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


しばらく前に、ロバ君と会話した。
ロバのツイッターのフォロワーは14万人、静岡県で一番だ。
何を話したいというわけでもないのだが、話が途切れない。
この日も午前11時からランチをはさんで結局、3時間となった。


この時、僕がもっとも興味をもっていたのは「いいね!革命」だった。
六本木・D・辰也と名乗る人が言い出したグループだ。
フェイスブックのノートに自分の夢を書き、シェアし合おうという運動。
この説明どおりならどうということもないのだが、なぜだろう、
僕はただならないような、嫌な予感がしていた。


それでロバに「いいね!革命って知ってる?」と聞いた。
彼は怪訝(けげん)な顔をしたから、存在を知らなかったのだろう。
「そういうグループって、自然に消えるんじゃないですか?
元々、フェィスブックは『群れ』を作りやすいツールだし」

hidekidos かく語り記-ロバ


言われてみればその通りだ。
「いいね!革命」がここへ来て、急速に”勢力”を伸ばしたのは、
フェイスブックを始めたものの寄る辺のない人たちに、格好の「寄る辺」を与えたからだ。
高い理想と下世話な会話、誰もがつながりを得られたと信じる…。


「おかしなグループだったら、自然に淘汰されていくでしょう」
ロバに言われて、肩の力が抜けた。
確かに!フェイスブックの参加者は基本的には「自分」をもっている。
真贋(しんがん)は自分で見分けるだろう。


■日本のソーシャルメディアは伸びていくか

ブログ、ツイッター、フェイスブック…
日本のソーシャルメディアは発展していくだろうか。


「ツイッターでも、自分の顔を出している人は少ないですね」
自分の代わりにペットの写真を載せる人は多い。
アニメ派、イラスト、風景、ブログ内の似顔絵…
「ひどい場合は人の写真を使ったりね」と僕。


しかし、これは無理もないと思う。
いきなりむき出しの「個人」が前に出るのはどうも日本的ではないらしい。
書き込みで集中砲火を浴びるのを恐れると言うより、
何となく自分の正体を明かすのをはばかられるような空気があるのだろう。


そして今年に入り、フェイスブックのブームが来た。
フェイスブックは実名が原則だ。
異質な文化なのに、それでも参加者は増えた。
僕と同様、ツイッターをやっていた人も続々と入ってきた。


前の話の繰り返しになるが、
フェイスブックを触ってみて、最初に感じたのは
「こりゃ、コミュニティーだね」と言うことだった。
先にやり始めた人たちで、交流の輪というか「陣地」ができている。


『今さら、公園デビューでもないよなァー』
慎重に、言葉を選び、空気を読んで、恐る恐る口を開く……
とんでもないね、僕の流儀じゃあない!!
僕は構わず毎朝、新聞記事を読んでの感想を書くことにした。
(つまり、ツイッターでやっていることを全く変えなかった)


反応は?
なかったね、ほとんど。
でもまあ、僕にはツイッターがあった……。


■「いいね!革命」という名のグループ

と言うわけで、僕には「いいね!革命」を絶賛したくなる気持ちはよく分かる。


「何が問題なんです?」
「騒がしいんだよ」
「騒がしいって?リーダーがですか…」
「まあ、そうかな。この前、富士でセミナーをやったしね……」


この話はこのへんで終わりにしたい。
六本木氏の個性については、稿をあらためて書くつもりだ。
「いいね!革命」と六本木氏のその後のてんまつだけ、記しておく。


富士のセミナー以降、この人は突如理性をかなぐり捨ててしまった。
全国から「美人秘書を募集する」と大はしゃぎしたかと思えば、
それからいくらもたたないうちに「メンバーシャッフル」と称し、
リーダーの自分ごと、グループを強制解散させてしまった。
メンバーは意味が分からず、当然、右往左往した。
さまざまなコメントが殺到している混乱のさなか、
今度は「氷山一角」と名前を変え(以前は北風小憎夫)新たなグループを結成。
女子限定でまた「いいね!交換会」を始めるのだという。
そして「タイタニックに風穴をあける」と、言葉だけは相変わらず勇ましい。



リーダーの在り方論はおもしろいテーマだが、
ロバとの対話に触発されてきょう書きたいことは、別のテーマである。


その日(と言ってもほんの2週間前だが)僕が言いたかったのは、
「いいね!革命」のような特異なコミュニティーでワイワイやるより、
きちんと地域の中で信頼を得るほうが早道ではないか、ということだ。


■静岡県には「静岡友」がある

念頭にあったのは「静岡友」というグループだ。
このグループは、Ustream配信代行のコバンメディア(コバン君)と、
その活動を一心同体で支えてきたトール君がはじめたグループである。
彼らは静岡友のウォールだけ用意して、管理はほとんどしていない。
『場』はつくったから、あとは勝手に使ってよというスタンス。
グループメンバーも当初は彼らが選んでいたが、今は友が友を呼ぶ形。

hidekidos かく語り記-コバン


管理者がそんな調子だから、今はみなウォールを勝手に使い出した。
私設の掲示板のような趣きである。
メンバーは静岡県内の人だから、県内限定の情報が発信される。


「コバンは『顔はめ』(写真に顔はめこむ)をしきりにやっているね。
写真で遊ぶより、まじめにユーストの仕事をPRすればいいのに」
「彼はそれでいいんですよ」とロバ。
「彼のホスピタリティーは、人をもてなすことなんです。
スタジオにいろいろな分野で活躍している人を呼んできて、
発信したいという情報を引き出している。
それを見てまた新しいつながりができている」


「10年続いたら、すごいね」と僕が言うと、ロバはうなづいた。


■ソーシャルメディアの価値、10年待とうよ

うーん、やはり10年……。
僕の持論は「ソーシャルメディア、そんなに急ぎなさんな」である。
ツイッターでも数パーセント、今をときめくフェイスブックでも、
活用している人は100人に1人もいないと僕は思っている。


圧倒的な少数派だ(おかしな表現だが)。
だから今は、何をやろうとしてもその影響力はかすか。
しかし10年ソーシャルメディアの試行錯誤が続けば……。


で、僕はロバにソーシャルメディアの将来について聞いてみた。
意外なことにロバは「変わらないでしょうね」と言う。
参加者の数は増えない、と言うのだ。


「もともと、ソーシャルメディアをやる人は少数派じゃないですか。
フェイスブックは実名だから、もう一度会いたいと思っていた人を検索したけど、
100人検索して1人も発見できなかった。
基本的にこの構造は変わらないと思いますよ」


ロバの言葉を聞いて僕は少しがっかりした。
もう少しソーシャルメディアの明るい未来をこの名手は語ると思ったのだ。
ロバが追い討ちをかける。


「ブログ、ツイッター、フェイスブック、グーグルプラス…
ソーシャルメディアのツールは増えるけど、同じ人がそれをやるだけ」
確かにそれは僕の実感に近いのだけれど……。


今はフェイスブックの世界でサラリーマンはほとんどいない。
社会の構成員の大部を占める彼らが奔放に語るようでなければ、変化は望めない。
そしてそれは「会社の進化」にかかっている。
KY(空気を読めない)などという言葉が使われ、
一挙手一投足に気をつかう気兼ね閉塞社会をつくっているのは「会社」だ。
だから、会社が変わらない限り彼らがものを言うことはない……。


■「静岡方式」とでも呼ぶべきリアルな助け合い

とは思うのだが、卵が先かニワトリが先かと考えると、
誰もがツイッター、フェイスブックをやる社会になれば、
「会社」が個メディアに気を使わざるを得ないように変わるとも思うのだ。


そんな風に考えていると、ロバがポツンと言った。
「いまやっている人の中で、どういう進化(深化)が起こるかに興味ありますね」
音楽の世界で(彼はホルン吹きだ)「静岡はすでに東京を超えている」と言う。
ツイッターを通じて、全国の音楽家が彼の周りに集まり、
「静岡で演奏会やっちゃうか」というようなことが起こっている。


音楽だけではない、静岡ではソーシャルメディアを通じて
さまざまなコラボレーションが生まれているし、生まれつつある。
東京、名古屋、福岡はソーシャルメディアの先進地のように言われるが、
活発に動いているのはアフィリエーターたちである。


しかし、静岡は違う。
飛びぬけたリーダーがいない代わりに、あちらこちらでリアルな助け合いが生まれている。
ロバの10年後の楽しみは、こういう動きがどこまで広がり、深まっていくかだ。


僕の希望もそこにある。
ソーシャルメディアはまだ始まったばかり。
みな「寄る辺」は小さな小さなコミュニティーにすぎない。
しかしこの「寄る辺」はどういう進化を遂げるか分からない。
大きな可能性を持っているのだ。


■リーダーの資質がグループの将来を変える

たびたび「いいね!革命」を引き合いに出して申し訳ないが、
「いいね!」し合うことで日本を元気にすると高い理想と目標を掲げながら、
リーダーのしたことは「北風の一味」などと呼称して、内へ内へとメンバーを囲い込むことだった。
地域への視点を全く欠いた。
自らの元に人を集めることに汲々とし、地方は動員のための場にすぎなかった。
だからメンバー同士の会話は弾んだが、外に向かって何の影響力を持たなかった。


ロバは静岡のソーシャルメディアの象徴的な存在だ。
「影響力はあると思うけど、『自分』というものは消したい」と言う。


コバン&トールと言い、ロバと言い、静岡のリーダーたちは黒子役が好きである。
その在り方は、自分が注目されることのみを欲し、グループを作っては壊して恥じない
六本木氏的なリーダーの対極にいる。
リーダーが存在を消しているからこそ、グループは広がっていくのだ。



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