「10万人」と1本の葦 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

5月10日、僕のTwitterフォロワーが10万人を超えた。



10万人と言うと、衆院選静岡選挙区で勝てるかもしれないという数字だ。

ラジオの聴取率はだいたい2%だから、県内なら7万6千人のリスナー、

数字的にはこの数を超えている。



「すごい!」とまあ、自分でも思うのだが、1年前には思いもよらないことだった。



僕がTwitterを始めたのは昨年6月3日のことだ。

実は、アカウントだけは2009年8月に取っていたが、2ツイートしてやめた。

反応もなく、楽しさをまったく感じられなかったからだ。



それを再開したのは、職場の同僚が始めたのがきっかけである。

当時でもまだ圧倒的に少数派だったから、2人だけで会話が弾んだ。

とは言え、分からないことだらけ。だから今度は本を買い、イロハから学んだ。

つまり、いちおう本気になったのだ。

hidekidos かく語り記-10万人

ところで、有名人でもない僕のフォロワーがどうしてこんなに多いのか。



僕のツイートが素晴らしいから?

そうであることを心から願うが、その推測は見当外れである。

つぶやきがたくさんリツイートされ、多くの返信をもらったときでも、

フォロワーの増加は1日数人から数十人の範囲。

とても万の数には届かない。



ではなぜ1年でこんなに?

ざっかけない言い方だが、

「そりゃー、僕が大勢をフォローしているからだよ」



標榜しているわけではないが、相互フォローは、別の意味で、Twitterの王道だと思う。

管理者は表向き、ツイートすることによりフォロワーが増える、と今も主張している。

違うと思うが、今はそのことを議論する気はない。



もう一つの疑問。

なぜそこまで僕はフォロワーを増やしたいのか。

この答えは簡単だ。しかし答えにくい。

でも、言ってしまう。



ひとつは、誰かが「フォロワーが1万人を超えると見える世界が違ってくる」と言っていたからだ。

ならば『違う世界を見てみたい』と。

1万人、2万人、3万人…、でも僕には違った世界が見えてこない。

それは10万人を超えた今でも同じである。

(ただし、僕の意識自体は明確に変わった。それは後で述べる)



もうひとつの理由は、僕が発信者たらんとしているから。

個を主体としたソーシャルメディアをやっていても、僕の発想はマスメディア的だ。

つまり、読者は多いほどいいと信じている。

ただ、フォロワーの多さが発信力に直結するかと言うと、それは違うのだが。



肝心な理由を述べていないね。

以上は、きれいごととして言う「僕の理由」である。

僕は、フォロー、リムーブをすべて手動でやっているから、

これまで途方もない時間をTwitterに費やしてきた。

そんなに時間を使う以上、もっと切実な理由がなければならない。



実は来春、僕は小さな出版社を開業するつもりだ。

そして今、行政書士の勉強もしている。

あわよくば二足のわらじを履きたい。



しかし、士業不況と言うじゃあないか。

行政書士になれても、お客が来てくれるかどうかは分からない。

出版社立ち上げの狙いは「自費出版お助け人」になることだが、

相手が僕を選んでくれなければビジネスはなりたたない。



と言うわけで、自分ブランドを確立したいためにこんなことをやっている



のだろうか?



つきつめると、僕にも分からない。

3番目の理由は、娘や家内から「勉強もしないでTwitterなんかやって…」と、

非難半分、あきれた半分の言われ方をされたとき、あわててつくった大義名分のような気がする。

hidekidos かく語り記-ツイッター


本当は、ただ単純に「集めることが好き」なだけかもしれない。

以上、ばかみたいな話だが、ウソから出た誠(まこと)と言うこともあるんだよ。



最近、僕は変わってきた。

フォロワー数が重量級になるにつれて、頼まれもしないのに

使命感のようなものを意識し始めたのだ。



「使命」とは、ソーシャルメディアの中の1本の葦(あし)になること。



地方紙の編集局長時代には、いろいろなことがあった。

判断を迷うこと、正しい判断をしても批判されること、筋を通しにくいこと…

けっこう強い風圧を受けてきたし、逆巻く水の流れはゆるくはなかった。

そんな時、自分は1本の葦だと思っていた。

風が強ければ右に左に動かされる、しかし芯が折れることはない、

ゼッタイに!!



まあ、現実はそんなにかっこうよいものではなかったが、姿勢は全うした。

それとTwitterとどう関係あるか、って?

1本の葦と言ったが、僕は1人ではない。

市井で発言する葦がたった1本では何の影響力も持たないが、

見ていてご覧、月を追うごと、年を追うごとに僕のような人間が増えていく。



僕は、大勢の人が「右だ」と走り出すときには、「本当か?」と思う。

走り出すよう駆り立てるのは、(残念ながら)マスメディアである。

今、Twitterで「違うだろう!」と叫んでも、蟷螂(とうろう)の斧かもしれない。

しかし、万単位のフォロワーを得た人が数万人いて、

そのそれぞれが独自の意見をもつようになったらどうだろう。

市民社会は確実に変わると思う。



僕はそういう日が来ると思っているから、発信し続けるのだ。



先ほど、見えてくるものは変わらないが、自分の意識は変わった、

と言ったのはそのことだ。

クウ・ネル・アソブ(食う・寝る・遊ぶ)のつぶやきも悪くはないが、

一人ひとりが、さまざまなことにもっと自己主張するようになれば、日本は変わっていく。

音楽、ゲーム、ファッション、アニメの世界では、もうそういう方向に動き出している。

「ものを言う」世界も、やがて変わっていくに違いない。



そういう社会に進むための一歩として、先日、

「静岡でツイッター!」という会を開催した。

1人でも多く、twitterを楽しめるようになってほしい、との思いからだ。

ものぐさの僕にしては珍しく、自分で動いた。



協力してくれる仲間がいたからね。

全員がツイッターでつながった人たちである。

来年のダブル開業をめざして「ウォームアップ」のつもりだったけど、

僕は確実な手ごたえをつかんだ。



「10万人」は通過点である。

普通の人間でも、あかずに、意思をもってフォローを続けていけば

多くのフォローを得ることができる。

その中に、数々の信じられないような出会いがある。



ソーシャルメディアのある世界は、

それ以前の世界より、確実に希望がある。

「10万人」はその存在証明だと思っている。



フォローしてくださったみなさん、本当にありがとう!!


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