この2ヶ月 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



この2ヶ月は…、うーん、ちょっとくたびれたね。

長いようで、あっという間に過ぎたようでもあり

いずれにしても、これほどゴールデンウイークを待ち焦がれた年はない。

それほど、小休止をとりたくなるような2ヶ月…



くたびれた理由は、職場が変わったからだ。

もう一つ、「静岡でツイッター!」という言いだしっぺ企画の実現とも重なった。

さらにこの時期、ソーシャルメディアで知り合った人たちのイベントが目白押しで

少々、神経を使いすぎた。

情けないかな、今の僕はこの程度のことでペンが停滞するほど瞬発力が落ちている。

hidekidos かく語り記-番宣の仕事1


新聞の編集畑に38年間いた。

長かったァー。(逆のことを言うようだが、一瞬のことのようでもある…)

この3月、職場が放送局に変わった。

思えば、この変化に対して構えが甘すぎた。



「静岡で『ツイッターの魅力を語る会』、やらない?」と、ツイッターで呼びかけたのは

2月20日のことである。

そのときは3月からの異動を知っていたわけだから、

ノーテンキにもほどがあった。



3月1日、僕は編成業務局の人となり、番組宣伝を担当することになった。

右も左も分からない。交わされる会話も、知らない言葉のオンパレード。



数日かけて分かってきたこと

①キー局から送られてくる番宣ビデオを収録する

②それを編集する

③できたテープをオンエアできるように搬入する

④これとは別に、新聞ラジオ・テレビ欄用に原稿を書く

⑤そのほか、説明が難しい重要な雑用がいくつか

hidekidos かく語り記-番宣の仕事2


当面、これらの仕事を覚えていくわけだが、事はそれほどたやすくはなかった。

テレビ局の仕事は、新参者が言うのもなんだが、巨大で、しかも精緻である。

その片鱗は例えば、送られてくる番宣テープは1秒に30コマであり、

15秒のテープは前後に3秒ずつの糊しろ(余裕の部分)がある。

音声は前の糊しろが終わってから10コマ程度(3分の1秒)進んだ所からから入り、

後ろの糊しろの手前10コマ程度で音量を下げ抜けていく、といった具合。



以上は「群盲、象をなでる」例のように、放送業務のごくささいな例のひとつにすぎない。

僕の知らない各部署で、もっと複雑で微妙な仕事がなされている…。

個人として言えば、サラリーマン人生の最後で、こういう現場の仕事に立ち返れたのは

エキサイティングであり、決して嫌いではない。



しかしそれは、余裕があれば、の話である。

僕は行政書士になり、さらに出版社も興そうとしている。

法律関係の勉強もある、開業準備活動もしなければならない。

しかもソーシャルメディアにはまり、お節介にも、その楽しさ・有用性を広めようとしている。



これはいかにも欲張りではないか。

しかも3月2日(新しい仕事に就きたった2日目)、僕は「広める会」のための準備会を行った。

そのときはまだ、この会もまた前途多難であることを想像もしていなかった。



客観的に振り返れば、能力以上に手を広げすぎていた、ということだ。

なんと言っても、新しい現場の仕事である。

もともと器用ではない。なんでも理詰めで考える。見よう見まねは不得手だ。

しかし、現場はまさにそれだった。



以前、初めて98パソコンを買ったとき、店員がMS-DOSを駆使してキーボードをたたき、

アプリケーションのセッティングを手際よくやってのけた。

後ろで見ている僕にはそれが「神業」のように見え、感に堪えなかった。

今度の場合も、「そういう状態なんだな」ということは、おぼろげに分かっていた。



機器の扱いを覚えるための悪戦苦闘ぶりは省略する。

結論を言えば僕は、自分用のマニュアルをつくった(相当に骨は折れた…)。

マニュアルがあればすべて解決するほど番宣の仕事は軽くないが、とにかく2ヶ月あまりたって

ようやく“半人前”程度に使える人間にはなってきた…。



一方、「静岡でツイッター!」の方は、最初に考え方のすりあわせを十分に行うべきを

僕が「形をつくる」と言うか、「とにかく1度やってみる」というところに固執したため、

先を急ぎすぎて、内部混乱を起こさせてしまった。

『焦りだよなぁー』

今になってわかることだけど。



ところが3月11日、東北関東大震災が起きた。

これで社内が騒然。ツイッターも切迫感を増し、僕のつぶやも忙しさを増した。

冷静に判断すれば「ソーシャルメディアの普及」は一時棚上げが正解だったろう。



しかしここでも僕は判断ミスをおかした。

自粛ムードが起きたとき、僕は反対の立場に立った。

それで意地になったわけではないが、会の実施に固執した。



こうして振り返ってみると、僕はほとんど浮き足立っていたのだね。

にもかかわらず「静岡でツイッター!」は、大成功ではなかったが、「うん、まずまずだった」

と言えるところにまではこぎつけた。

数々の不手際と考え方の齟齬がありながら、

見捨てないで最後までつきあってくれた仲間たち5人のおかげである。



「静岡でツイッター!」総括ブログは、開催日の4月23日直後にアップする予定が、

延ばし延ばしで、今も書けていない。

くたびれたと言うより、自分自身があの会について、心のうちを総括できていないからだ。

でも、あしたは書こう。



たいへんな2ヶ月だったけれど、得たものも大きい。

考えてみれば僕の人生、いつも出足は悪い。

つまづき王だ。

でも、どこかで取り戻している。

案外、僕は粘り強いんだ(打たれ強いとも言う)。



では、またあした!


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