静岡でツイッター! 達人トーク in ペガサート | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

どういう気分であったのか、今は思い出せないが2月20日、

僕は、いても立ってもいられない衝動にかられた。

そこで僕はツイッターの友達に向け、以下のようにつぶやいた。


コバン君、透(とおる)ちゃん、提案があるんだけど。
静岡で「ツイッターの魅力」を語る会、やらない。
お二人や僕、ロバさん、ゆうじさん、それぞれ流儀は違うけど楽しんでいるよね。
それを、これからの人に話す。
無料。ユーストありで盛り上げる。どう?



呼びかけに、即座に透君は「のった。やろう!」と返してきた。続けてコバン君も。

ツイートを横から見ていた人からも「やってほしい」「お手伝いします」の声…。

これで一気に僕はその気になった。

『仲間が動いてくれれば何でもできる!』

百人力の気分になった。


hidekidos かく語り記-ペガサート



ツイッターが好きである。

ゆるいつながりだが、ツイッターをやる者同士の「連帯感」みたいなものがある。

ツイッター人口は2000万人と言われるが、こと静岡で感ずる限り、

今も圧倒的な少数派である。(隠れキリシタンとまでは言わないが)



ツイッターはメジャーなコミュニケーションツールになるのだろうか。

可能性はある。

お互いがお互いを縛らないし、何より、簡単…、言葉も少なくて済む。

でも、ツイッターはほんとうにお手軽なのか?

『手軽なツールなのに、やめていく人が多いのもツイッター』と、僕は感じていた。



自分自身がそうだった。2009年8月3日---

「日差しはまだ暑いけど、吹く風には秋の気配が感じられる」

僕はこうつぶやいた。反響なし…。自分のつぶやきがどこに飛んだのかも分からない。

『なーんだ』 

自慢じゃないが、アカウントを取ったのは早かったが、見捨てるのも速かった。

それから10ヶ月間、僕はツイッターを放置した。



休眠から覚めたのは、年若い友人がツイッターを始め2010年6月である。

「アカウントなら、俺も持ってるよ!」

威張った手前、今度はツイッターに真面目に取り組んだ。

書店に行き、ツイッターの解説書1冊とムックを買いこんだ。



本をパラパラっと30分ほど読み、僕はツイッターを少し理解した。

フォロー、フォロワーの関係があるんだね…、でも「リツイート」って何じゃ?

まだこの程度だったが、たった30分でも勉強するとツイッターは分かった気分になれる。

(「ゼロ」でははね返されるよ!)

しかし、ツイッターを続けるには僕の場合、思いのほかの根性と粘りを必要とした。



何を大げさな、と言われるかもしれないが、「つぶやくこと」は至難の技だ。

食う・寝る・遊ぶならすぐつぶやける。

しかし僕は『そんなことはつまらん』と考えていた…(何たる思い上がり!)

マスメディアで生きてきた僕の発想は、ツイッターに至ってもなおメディア的であり、

発する言葉に、常にメッセージ性を求めた。

つまり、意味ある言葉でなければならないと思ってしまうのだ。



だが、これは我ながら重苦しい。

理屈っぽい、いま風でない、あかぬけない。「あんた、何様?」的なツイート…

当意即妙の一言でさらりと受け流し、次々いろいろな人、さまざまな話題に絡んでいく名人たちを横目に

それでも僕は1日も欠かさず、軽くないつぶやきを続けた。



何を言いたいかと言うと、ツイッターは百人百様であるということだ。

勝手放題でいい。しかし、「なんでもあり」だからこそ、かえって難しい側面もある。

多くの人に受け入れられ、それなりのファンが付き、今までになかった交流が始まるには、

多少の根気と、ツイッターという場の流儀を、ある程度は理解したほうがいい。



それを誰が教えてくれるのだろう。

いるとすれば周りの人たちであろうが、それさえ普通は考えられない。

不親切なわけではない。そういう行為は、大きなお世話だからだ。

大の大人に「こんな風につぶやけ」とはなかなか言えない。

日本語がしゃべれる人なら、なんとでも書けるでしょ、と思うのが普通だ。



かくして百人百様のつぶやきになる。

結果、やめていく人も増えていく

「何がおもしろいのか分からない」というのと同時に、

「何を書いていいか分からない」というのも多くの人の感じ方ではないかと思う。



さらに、新参者にとっては“もう一つのカベ”がある。

僕はツイッターを始めてしばらくして、『ツイッターの中にコミュニティーができている』と感じた。

それで、少し疎外感というか、仲間外れ感を抱いた。

これを乗り越えるのは、けっこうしんどい。

人のつぶやきに積極的に絡んでいけば、徐々に関係は築かれる。

それより何より早道は、リアルな交流の場に参加し直接会話を交わすこと。



『何をめんどうな!』と思われるかもしれない。

ツイッターを始めた当座、僕自身、人と会おうなどツユほども考えていなかった。

「居場所」など考えなかったし、必要ならばどこにでも作れると思っていた。

しかし、それは勘違いであったようだ。

ツイッターは生身の人間が参加して運営している。

一見、デジタルでクールな世界に見えるが、

人と人をつなぐのはアナログなつきあいであり感情である。



だが、PCの前から一歩踏み出すことにちゅうちょする人は多いと思う。

だから無理にとはおすすめしないが、僕の場合は、

「一歩の勇気」のおかげで、見える世界が劇的に変わった。

違う視野からツイッターを見るにつけ、次々入ってくるものの、また抜けていく人も多い現状に

焦りのようなものを感じ始めた。



それで僕は動き始めた。

当初の仲間6人+後から協力表明してくれた2人と、都合3回の会合を持った後、

3月11日午後2時43分、

大きな地震が発生した!続いて起きた津波、首都圏では帰宅難民も発生した。



さすがにそのときは、『こんなときにツイッターでもあるまい』と思った。

思いつつ、僕はツイッター上に流れる情報に目をやり、必要と思われる情報はリツイートした。

無事な地域にいる自分に、今すぐできることは『これしかない』と思いながら。



後日、ツイッター参加者の多くが、誰に教わることもなく僕と同じ行動を取っていたことを知った。

人々が自然に自分の役割を果たそうとしていたのだ。

結果的に誤報もあったが、それはマスメディアが言うほど顕著な現象ではなかった。

むしろ、情報の真贋をよく見極めていたし、一時誤った情報が流されても、

だれかが気づけば、即座に「訂正」のリツイートをし、それは瞬く間に広がっていった。

公式の情報が流れない大混乱の中、ずぶの素人のツイーターたちの役割は大きかったのではないか。



ツイッターやスカイプは電話、ケータイ、メールが通じない中、

安否確認手段としても大いに役立った。

僕の場合も、家族の無事確認第1号は長男からの@マーク付きメッセージだった。



世の中にイベント自粛ムードが広がる中、僕は『企画の一時延期』を考えたが、

震災時におけるツイッターの有用性事例を見聞きするにつけ、

今こそツイッター活用事例を話すことが必要、と考えるようになった。



もっと多くの人にツイッターを活用してもらいたい。

僕たちはつながっている。

1年、2年の短期でなく、5年先、10年先も被災した人たちとつながっていたいし、

復興を支えたい。

僕たちは震災を忘れない。

今感じたこと、今行動を起こしたをツイッターに刻み、

その人々の記録は永久に残されていく。

今、この時期にツイッターを広めることも、

僕たちが出来るささやかな応援の一つである。



★「静岡でツイッター! 達人トーク in ペガサート」
4月23日(土)午後1時から5時まで、静岡市葵区御幸町3-21「ペガサート」
入場無料。申し込みも不要。誰でも気軽にお越しください。
パソコンを16台用意。無線環境あり。好きな機器を持ちよりツイートを。

【イベントの内容】
①ツイッターの楽しさと有用性(達人トーク)
②震災時におけるツイッターの活用法(講義)
③ツイッターや周辺アプリの使い方(実技)

※会の模様は、ユーストリーム、ツイキャス、ニコニコ生動画などでも配信します。
※さらにツイッターのアイコンに困っている人のために、カメラマンがお好みの姿
 (本人が出たくないならペットや好みのグッズでも可)を写します。


hidekidos かく語り記-ペガサートの地図



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