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歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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和を以て貴しと為す


わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。



応永35年(1428年)1月も下旬…


上杉憲実(うえすぎのりざね)は足利庄で学校の建築に立ち会っていた。



現在の足利学校 学校門


コアラ憲実さんは学問を学べる場所を作りたいんだよね



憲実はたくさんの職人を導入して学校を建てていたのである。



憲実『形になってきたな、公方様(持氏のこと)のお力添えもあればこそだ。』



そこへ憲実に仕える忍び、平太が現れた。


平太「殿(憲実のこと)!一大事にございます!」


憲実「慌てて、どうしたのだ?」


平太「京の義持(よしもち)様がお亡くなりになりました。」


憲実「何!?大御所様(義持のこと)が亡くなられた!?」



憲実は信じられなかった。


『先に京に行った時にはお元気だった大御所様が既にこの世にいない…そんなことが…』



コアラ義持さんは享年43歳だったんだ、まだ若い



憲実は唖然としたが、


憲実「…まさか、暗殺ではあるまいな?」


平太「義持様は…」



義持は1月7日に浴室で尻の出来物を掻き破ったことで発熱を起こし、16日には、さらに重体に陥った。




17日の夕刻には危篤、そして18日の夜に死去された…。



憲実「…大御所様…。」



足利義持



憲実は涙があふれていた。



憲実「平太、公方様はご存じか?」


平太「既に報せは持氏(もちうじ)様にも入っているはずです。」


憲実「……将軍は…跡継ぎはどうなったのか?」


平太「大御所様は跡継ぎを決めず逝かれました。」


憲実「!?どういうことだ?」


平太「義持様は…」



義持は重体の中、側近の満済(まんさい)から跡継ぎについて聞かれたが、


「たとい仰せ置かれるといへども面々用い申さずば正体あるべからず」


コアラつまり…義持さんが跡継ぎを指名しても幕閣が承認しなきゃどうしようもないってことだね



義持は幕閣で決めよと任せたのだ。



満済は、このことを幕府の重臣、管領の畠山満家(はたけやまみついえ)、細川持元(ほそかわもちもと)、斯波義敦(しばよしあつ)、畠山満則(はたけやまみつのり)、山名時熙(やまなときひろ)らと評議。





幕閣らは相談し、義持の弟、4人、義承(ぎしょう)、義昭(ぎしょう)、永隆(えいりゅう)、義円(ぎえん)まで絞り込んだ。


コアラみんな出家してんだね



この中から1人には決め切らず、満済の提案で籤引きで決めることになった。


そして17日に石清水八幡宮で籤引きが行なわれ、義持の死後に開封されたのだ。


石清水八幡宮



憲実「籤…それで結果はどうなった?誰が将軍となったのだ?」


平太「結果は…」




義円となったのだ…。





つづく…






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