和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
「出陣じゃあぁ!!」
応永29年(1422年)、常陸の小栗満重(おぐりみつしげ)は宇都宮持綱(うつのみやもちつな)、桃井宣義(もものいのぶよし)、真壁秀幹(まかべひでもと)らと共謀して鎌倉公方に対して反乱の兵を起こした。
小栗満重は以前から反抗していたんだよね
満重はこれまで鎌倉公方、足利持氏(あしかがもちうじ)に対して反抗的な動きを見せていた。
ついには同じ持氏に反抗的な意を持つ武将と共謀するようにまでなり、乱を起こしたのである。
東国の争乱を京の将軍、足利義持(あしかがよしもち)は、
義持「ほぉ、小栗が乱を起こしたか…」
義持に報告したのは義持の信頼厚い僧の満済(まんさい)である。
満済
満済さんは醍醐寺の座主であり、幕政にも深く関わって黒衣の宰相って異名があったんだよ
満済「はい、宇都宮、桃井、真壁…京都扶持衆が共闘しておりまする。」
義持「持氏は幕府が東国の守護職の任命を無視し続けておる。ここで抑えておかねば、ますます増長してしまうからの。」
上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)の後、東国の守護職の任命を巡り、幕府と鎌倉府は対立していたのである。
義持「上杉憲実(うえすぎのりざね)はどうしておる?」
満済「憲実は関東管領と言っても、まだ幼く、戦の経験もありません。幕府と鎌倉を調停するほどの力はないと見ております。」
義持「うむ…持氏に取り込まれぬよう、見張っておれ。」
満重らの軍勢は、下総の結城城(ゆうきじょう)を奪うに至った。
結城城跡
結城城を奪取された報せに持氏は驚き、
持氏「我が軍勢は何をしておるのじゃ!?こうなれば、わしが反乱軍を征伐してやるわ!!」
そこへ憲実が入ってきた。
持氏「憲実!その姿は…」
憲実は鎧を身につけていたのだ。
憲実「殿!!私も出陣いたします!!」
持氏「何!?そなたはまだ幼い!」
憲実「関東管領として東国の安寧を乱すものを、放ってはおけませぬ!既に出陣している我が上杉軍にも私が行けば力となりましょう!」
持氏「憲実…よし!そなたとしては初陣。必ず反乱軍を蹴散らそうぞ!」
憲実「はい!!」
持氏と憲実は出陣した…
つづく…







